08:取引の対価


殆ど親たちの宴会となった食事の場で、質問攻めを食らいそうになった俺は、蓮音にすべて任せることを決め、脱衣所へと逃げ込んだ。


(早く帰りてぇ......)


散々同居生活について言及された俺は、帰省1日目にして既に疲れ切っていた。


疲れ切った体を癒すため、浴室へと入る。


「ちょっと、あんた何逃げてんのよ」


浴室に入った直後、脱衣所の方から蓮音に声を掛けられる。


察するに、蓮音も一旦逃れてきたのだろう。


「あぁ、悪い」

「悪いって......あんたホントに思ってんの?」

「思ってるよ...」


蓮音は腰を下ろし、風呂の扉にもたれかかる。


「...居座るつもりか?」

「そうよ」

「後で何してたかの質問攻め食らうぞ」

「いいわよ、別に」


蓮音の返答に違和感を覚える。


いつもと違うというか...ほかの事に夢中になっているような、空返事ばかりだ。


「私たちって、よく一緒にお風呂入ってたわよね」

「まぁ...小さい頃だし、よくある話だろ」

「そうね......ねぇ、あんたの背中...流してもいい?」

「...は?」


一瞬思考回路が停止した。


「高校生だぞ!?俺達」

「分かってる!私は服着てるし...背中流すだけだから!///」

「流さなくていい!むしろやめてくれ!」

「流さなくちゃいけないの!」

「...まさか」

「もう!入るから!」


ガラッ


「おい!いきなり入るなよ!」


生まれたままの姿が、蓮音に晒される。


「った、タオルぐらい巻いときなさいよ!!///」


まだ脳の処理が追い付かない俺は、顔に乾いたタオルを投げつけられた。







「......もうい~か~い?」

「かくれんぼか!もうタオル巻いてるよ...」


先ほどの出来事で動揺しているのか、蓮音のテンションが変になっている。


ガララ...


「お、お背中流しま~す......」


鏡の前の椅子に座り込んだ俺の後ろに、蓮音が座り込む。


「じゃ、じゃあ、最初軽く濡らすわね...」


蓮音はシャワーを持ち、お湯を出すためにカランを捻る。


最初に出てくる水がお湯になるまで、蓮音が手で温度を確認する。


「じゃあ...いくわよ」


背中を軽くお湯で流された後、蓮音がタオルで背中を流し始める。


「で、何で急に背中を流すんだ?」

「何でもない」

「何でもないって...」


いつもと違う行動を取るのは、いつもと違う要素があるからだ。


今回の場合は分かりやすい。


「母さんか?」

「えっ」

「図星か......別に母さんの言う事なんて無視していいぞ?」

「そんなの悪いし......今回は取引だったから...」

「取引...?なんの取引だ?」

「それは内緒!」


(まぁ...後で母さんに聞くか...)


会話をしていないと、嫌でも背中の感覚に集中してしまう。


「...どう?」

「どうとは?」

「気持ちいい?」

「...わからん」


蓮音の持つボディーソープを含んだタオルが、背中、腰へと流れ、脇腹に移動する。


「っふ...」

「?」


脇腹を軽く撫でられると、少し声が出る。


それに気が付かない蓮音はそこを気にせずタオルで攻撃してくる。


「っふ...ふふ」

「あんた、もしかして......」


何かに気づいた蓮音は、タオルを使って俺の脇腹を集中攻撃してくる。


「や、やめろ...ははっ」

「脇腹、弱かったんだ」


普段は見せない俺の弱点を見つけたからだろうか、蓮音の表情が悪戯を覚えた子供のような表情へと変わる。


「へぇ~......脇腹弱いんだぁ...」

「...なんだよ」

「何でも~?」


蓮音はシャワーを持ち、背中のボディーソープを流し終える。


「じゃ、私もどるから」


そう言って、蓮音は浴室から出ていく。


(何か弱みを握られた気分だ......)






お風呂から上がってリビングに戻ると、母さんが夕食の後片づけを行っていた。


「母さん、あんまり蓮音で遊ぶなよ」

「あら、本当に背中流しに行ったの?」

「冗談だったのかよ......で?蓮音が言った取引ってなんなんだ?」

「内容は女子同士の秘密よ」


自身の母親が、未だに自らを女子と表現していることに少し寒気を覚える。


「はいはい...」


俺は母と話すことを諦め、自室に向かおうとする。


「あ、そういえば後で蓮音ちゃんがもう一度こっちに来るって」

「なんで?」

「勉強しに来るって言ってたわよ」

「あ~...了解」


出かける前に、勉強を教える約束をしていたことを思い出す。





自室に戻って暫くすると、扉のノック音が聞こえる。


「どうぞ」


ガチャ


てっきり蓮音が来たのかと思っていたのだが、扉を開けたのは意外な人物。


「どうした? 藍」

「...お兄、勉強教えて」

「勉強?」


実家を出る前に仲が良かったころは、色々なことをして遊ぶことはあった。


しかし、藍から勉強を教わろうとしたことは今までなかった。


「何で急に?」

「別に...今年受験だし...」


藍は今年中学3年生。


確かに受験を強く意識し始めてもおかしくはないが...


「藍ならある程度の高校は余裕じゃないか?」

「~!!いいから教えて!」


扉の前で話していた藍は、勢いよく部屋の中に入り、机の上で持ち込んできた教材を開ける。


「で、どこが分かんないんだ?」

「......そのうち出てくる」

「は?分からない問題があったから来たんじゃないのか?」

「...~!悪い!?」

「いや、いいけどさ」


あまりの剣幕に押し切られてしまう。


暫くの間、無言の空間が続く。


時折、藍の教材を覗き込んでみたが、ついこの間まで中学2年生だったとは思えない問題を解いていた。


兄妹の贔屓目を考慮しても今受験を行ったら、かなりいいところまで行けるだろうと予測できる。


(あまり教えることは無さそうだな...)


そう思い、東京に持っていくことのなかった自室に置いてある本を開ける。


「ねぇ、お兄」

「ん? 分からない問題か?」


読み始めた本を閉じ、藍の方に顔を寄せる。


「違う」

「じゃあなんだ?」

「...東京で高校行ってるんだよね?」

「...?あぁ」

「その...何で髪とか切らなかったの? 友達出来ないじゃん」


藍は藍なりに、突然覇気のなくなった兄の事を心配しているのだろう。


「友達はできたよ」

「...ホント?」

「ホントホント」

「前みたいなお兄に戻ったの?」


(前みたいな、俺。)


きっと藍は、以前の様に誰の目も気にすることなく、常にトップを目指していた俺の事を話しているのだろう。


今の俺からすれば、前の自分の方が少し変だった。 と言いたいところだが...


恋は盲目。


きっと蓮音に対する恋心が俺をおかしくさせていたのだろう。


今はそれから目覚めただけだ。


「前みたいなことはしてないよ」

「なんで...?」

「なんでって...目立つことに疲れたから?とか?」

「...そっか...」

「...あ、でも前リレーの時だけ頑張ったな」

「ホントっ?」


すごい食いつきだ。


前のめりになって俺に質問してくる。


「あ、あぁ。 何だったら蓮音に...」


そこまで言って思い出す。


蓮音のあの時の記憶は朦朧としていて、全て夢だったと本人は思っている事を。


「ねぇ、なんでリレーだけなの?他は?」

「いや、他は特に何もしていないな」

「なんでリレーは本気出したの?」

「なんでって...」

「もしかして...また蓮音さん?」


否定も肯定もしない。


その空気感から察したのだろうか。


藍は少し残念そうな表情を浮かべた。


「お兄は何をするにしても蓮音さんだね」

「そうか?」


確かに過去の俺はそうだったかもしれない。


しかし、今の俺はやりたいことをやっているつもりだ。


「今髪を切らないのも、もしかして蓮音さんのため?」

「......」


否定もできなかった。


俺は目立ちたくないから、そういうことをしないと考えている。


しかしそういう考えになったのも蓮音が居たからだ。


蓮音という行動理由を無くした本当の俺というのが居るのであれば、何がしたいのだろう。


「わからない」

「...そっか...あのお兄でも、自分の事は分かんないんだ」


幻滅させてしまっただろうか。


今まで自分について考えてこなかったことを少し悔いた。


藍はもう一度教材に向き合い、俺は本へと目を落とす。


その状態がしばらく続くと、もう一度ノック音が聞こえてきた。


「お邪魔しま~す...って、藍ちゃん?」

「蓮音...さん」


藍には蓮音が来ることを伝えていなかったので、少し驚いたようだが、教材を端に寄せ、俺の傍へと近寄ってくる。


藍は少し人見知りなところがあるため、1年ぶりぐらいの蓮音に少し委縮しているようだ。


「なになに?勉強してるの?教えてあげよっか?」

「いえ...大丈夫...です」

「私が教えなくても、お兄ちゃんに教えてもらえるか」


蓮音は持ってきた付箋だらけの教材を開けるなり、俺に質問する。


「ねぇ叶羽、ここなんだけど......」


俺は蓮音に分かるように1から説明をする。


「なるほど...やっぱ賢いんじゃん」


フフンとでも聞こえてきそうな表情の蓮音は、何故か自慢げだ。


「蓮音さん、学校のお兄ってどんなのですか?」

「え?ん~......地味?」

「否定は出来んな」


確かに学校での俺は地味そのものだ。


蓮音のような人物と話すと、不釣り合いといわれる程度には。


「やっぱり...そうですか」

「あ、でも任せて!藍ちゃん!私が前みたいな叶羽に戻してあげるから!」


以前の話の続きだろう。


俺に本気を出させることを、蓮音はしっかり覚えていたようだ。


「ここだけの話、もう手は打ってあるの」

「え?」


藍が驚いたような表情を浮かべる。


俺も同様だ、何か実力を出すための誘導を行われた覚えはない。


(でまかせか...?)


そんなことを考えていると、もう一度ドアがノックされる。


「は~い、勉強お疲れ様! 飲み物持ってきたわよ~」

「わ~!トモちゃんありがとう! あ、あと...」


そう言って蓮音は母さんに耳打ちを始める。


なんだろう、すごく嫌な予感がする。


何か、もう既に逃れる事が出来ない術中にハマっているような......


思考回路を加速させているうちに、目の前に飲み物が置かれていく。


役目を終えた母さんは、何事も無かった様に部屋から出ていこうとする。


予感は外れたのだろうか、そうも感じた時。


「あ。 そうそう、叶羽?」

「...何?」

「1学期のテスト、中間と期末の両方10位以内入らなかったら、夏休み実家で勉強生活だから」

「......ずっと?」

「えぇ、初日から最終日まで」


終わった。


既に詰んでいたのだ。


俺が席を外し、宴会のような悪ノリが出来る席で。


蓮音と母さんを会話させてしまった時から。


「どうするの?叶羽」


ニコッと笑った蓮音がこちらを見つめている。


藍は期待の眼差しを向けてきている。


柊家は、母親は絶対的存在だ。


「......できるだけ頑張ります、出来るだけやるので...」

「出来るわよね?」


母さんが少しの逃げ道も許さないといった風に追い詰めてくる。


「...やります。 10位以内に入ります。」


こうして、俺は蓮音に完全敗北を喫した。




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