第9話 命

 周辺の偵察を始めて数分、海神の三叉槍を握りしめ、警戒しながら慎重に調べ歩くと、現状の様子が少しだけ見えてきた。

 外はどこもかしこも破壊の跡が目立ち、真新しい血痕が散乱し、そして人の気配が全くない。

 あとは、時々聴こえる獣の遠吠え。


『ジェネシス・ワールド』が始まって三日。俺の知っている日常は、もう完全に破壊し尽くされていた。

 アビスベアーの様なモンスターが他にも出現している事は間違いない。

 そんなモンスターと誰かが争った形跡もある。

 人の気配が無いのは、どこかに身を潜めているのか、それとも避難しているのか。

 なんにせよ、やはり三日も眠っていたブランクはかなり大きいようだ。


「……よし、大まかな現状は大体把握できたし、一旦家に帰るか」


 出来ることなら、鳴き声だけでなくモンスターの姿も視認しておきたかったが、余り家から離れるのも危険だ。

 そう考え、唯一の避難所である我が家へと向かう。暫く来た道を戻ると、進む先に白い塊があるのに気が付いた。さっき通った時は無かった存在だ。

 警戒を強め、目を凝らしてその塊をじっと観察する。すると、塊の正体が直ぐに分かった。

 

 真っ白なウサギ。


「どう考えても、こんな道の真ん中にウサギがいるなんておかしいよな……」


 住宅街に野生のウサギが生息してるなんてあり得ない。だが、もっと奇妙な事があった。

 道を塞ぐ白いウサギの頭には、一本の角が生えていた。角は10センチ程で、愛くるしい姿に似合わず禍々しく捻れている。


「キシャアアア!!」


「うわっ!?」


 突如、こちらに気付いたウサギが牙剥き出しで威嚇してきた。ウサギは頭から生えた角を突き出すように俺の方へとジャンプで迫ってくる。

 可愛い顔して完全に殺る気満々。この角ウサギもあのアビスベアーと同様のモンスター、敵だ。

 徐々に迫ってくる角ウサギの瞳は、俺への殺意に満ち満ちていた。


「念のため別の道を通って家に帰るか……」


 モンスターといっても、大きさは普通のウサギと変わらないため、少し走ると簡単に撒くことができた。


 角ウサギの姿が見えなくなった事を確認し、ふう、と一息吐いて安心する。

 予想外の遭遇に驚いだが、探索の一つの目的であったモンスターの確認も出来たし、良い成果だ。

 あの角ウサギはきっといつか倒さなくてはならないだろうが、今日はこれで良しとしよう。


 そう結論付け、俺は家へ帰るため別ルートを選ぶ。


「いや、何を言ってるんだ俺は……!?」


 俺はそこで初めて、臆病になっている自分に気が付いた。


 敵から逃げて何を安心してるんだ。

 いつか倒さなくてはいけない? いや、いつかではない、今やるべきだ。


 もうこの世界に安全な場所はない。危険が日常となった世界では、命を奪う事、奪われることに回避的になってはいけない。

 殺さなければ、こちらが殺される。


 俺は護身用にと持っていた海神の三叉槍を強く握りしめると、逃げてきた道を引き返した。

 しばらく歩くと遠くの方で、角ウサギが一生懸命ジャンプしながらこちらへ向かって来るのが見えた。


 敵はあの小さなウサギだけだ。難しい事じゃない


 最初の敵が、ひ弱そうな兎でよかった。

 邪魔をするのは、恐怖心ではなく道徳心。例えモンスターとはいえ命を奪うという行為への抵抗だ。

 俺は今、明確な意思のもとに初めて生き物を殺そうとしている。

 ふー、と息を鋭く吐き出し、覚悟を決める。躊躇や迷いをここで切り捨てる。


 角ウサギが此方へ近づくまで気持ちを整え、その時を待つ。


 彼我の距離は5m。


 ヤツの攻撃手段は、跳躍による角での刺突だ。

 ならば飛び込んできた所を狙うカウンター攻撃での対処が最も有効だろう。


 重心を低くし、槍を前方へと突き出す。

 柄を握る手が汗ばむが、消して滑らせはしない。

 例え相手がウサギと言えど、集中しなければ大怪我は免れないだろう。


 残り、3m。


 呼吸は浅くなり、感覚が研ぎ澄まされていくのが分かった。

 周りの風景は徐々に消え去って、角ウサギだけが視界に残る。


 あと、2m。


 俺の覚悟と角ウサギの確かな殺意が交差する。そして射程圏内へと飛び込んできた瞬間──


 槍を勢いよく突き立てた。


 ──ザシュッ!!


「ピギュウウ!?」


 カウンターの一撃が見事命中し、角ウサギは短い悲鳴を上げる。

 槍に突き刺したまま地面へと押さえ付けると、直ぐに動かなくなった。

 真っ白だった身体が、血で紅く染まる。

 どう見ても致命傷だ。


 倒れ伏す角ウサギは苦しそうに浅い呼吸を繰り返し、喘いでいた。その真っ赤な瞳は未だに俺を捉え続けたまま。

 瞳は次第に輝きを失っていくと、角ウサギは完全に息絶えた。そして身体が黒いモヤとなってどこかに消えてしまう。


「ふぅ……」


 最後の瞬間を見届けると、緊張の糸が切れて無意識にため息が漏れた。

 

 相手はモンスターで小さなウサギ。けれどそこには確かな命があった。

 両手には肉を突き刺した感覚がハッキリと残っている。不快な感覚だ。


 これから俺は、もっと多くの命を奪うことになる。そうしなければ、この世界では生き残れないのだから。


 ××××××××××


 角ウサギを殺した不快な余韻に包まれつつも、俺は気を緩める事なく当初の予定通り自宅へ向かっていた。

 早く家に帰って落ち着きたい。殺し殺されるという自然の摂理が、こんなにも精神を削るとは。

 そんな中で我が家だけは、変わらぬ安心感がある。


 しばらく進み、愛する我が家が目に入って安堵した時、俺は玄関の前の異質な存在に気が付いた。


「おいおい、嘘だろ……」


 俺の家の前に一匹の犬が優雅に横になって眠っていた。

 その姿はまるで、自分のテリトリーに居座る番犬。玄関先で機嫌良さそうに寝ている飼い犬だ。だが、俺の家で犬を飼っていたことなど一度もない。


「コイツいつの間に……」


 見た限り犬の形をしているし、犬に違いないのだろうが、通常より二回りほどデカい身体に漆黒の体毛を持っている。

 完全にヤバめのモンスターだ。


「なんでよりによって俺の家の前で寝るんだよ……くそっ、取り敢えず回れ右だな。無傷で勝てるビジョンが浮かばない」


 先程の角ウサギは、普通のウサギサイズだったから、まだ倒せると踏んで戦った。

 だが今回は野犬以上のサイズの犬だ。強敵の予感しかしないし、下手をすれば怪我どころでは済まない。


 一難去ってまた一難。

 取り敢えず気づかれないであろう範囲まで離れ、崩れ掛かった垣根に身を潜めて考える。


 いざとなれば殺す覚悟はある。だが、さっきの角ウサギの様に簡単にはいかないだろう。出来る事なら、ぐっすりと眠っている今のうちに仕留めたい。


 静かに近づいて槍で刺し殺すか?

 犬は音や匂いに敏感だと聞くから難しいかもしれない。


 ベストなのは遠距離からの必殺の一撃だ。

 もう一度、アビスベアーの時の様に『天空神の雷霆』を使って倒す?

 いや、これも得策ではないな。技を撃った直後、また三日も気絶したら今度は確実に死を待つのみだ。ここ外だし。


「なにかいい遠距離攻撃の手段はないか……?」


 手に持っている槍に視線を落とす。

 そう言えば、これも『天空神の雷霆と』同じ星5の武具でギリシャ神話シリーズだ。

 説明欄には海と陸を支配する権能を持つと書かれていた。

 もしかしたら、コイツも何か特別な能力があるのかもしれない。


 遠くで眠る犬をすがめ見る。

 まだぐっすりと眠っているから時間は十二分にある。

 そうと決まれば、早速試してみよう。

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