53、だから、オルーサは死んだのだろう
サイラスは、フィロシュネーが人々を魅了する姿を一番近くで見ていた。
白銀の長い髪を上品に結い上げたフィロシュネーの髪飾りにはピュアな輝きを放つダイヤモンドやルビーが散りばめられ、動くたびにきらきらと煌めいている。
白い肌には透明感があって、淡い桜色に色づいた頬や唇が可愛らしい。
暗黒郷の王族だけにあらわれる特徴的な
赤を基調としたドレスには、華やかなレースや宝石が織り込まれている。
胸元は深く開いており、少し背伸びがちな印象。成長途中のつぼみに似た気配が控え目な胸もとのふくらみから感じられて、初々しさや清純さが微笑ましい。
――喜ばせてあげたい。
そんな欲求が、自然と湧く。
「あなたが好まれるような台詞を申しましょうか? お姫様?」
「なあに」
台本なしで、あなたに何が言えるの。
そんな『独り言』を小さく呟いて、フィロシュネーが言葉を待っている。これは、声に出しているつもりがないのだ。こんなところが、なんとも憎めない愛嬌がある。
「今宵の姫君は、美しさの極みを誇ります。その美しさに、月や星々も嫉妬することでしょう」
「っふふ、お芝居みたい。もっと言って」
苦労知らず、箱入り姫の指先は柔らかく、華奢な感触を伝えてくる。
この姫は、守られるために生まれたような存在だ。
汚してはいけない聖域のような特別な、俺の姫なのだ。
優雅な音楽にあわせてステップを踏めば、共に踊る姫の背景が動きにあわせて流れていく。
光が眩しい空間だ。
ここは、俺に相応しい場所ではない。そんな意識が、
けれど、青国も自分の居場所だとは思えないのだ。
ずっと、ずっと、そうだった。
生まれ育った村にいた時も、村のために尽くしていた時も、心のどこかで思っていたのだ。
ここは自分の居場所ではない。
青国という国は、俺の生きる場所ではない。
俺は異邦人で、だから世界はこんなに違和感があって、しっくりこなくて、居心地が悪いのだ。
――そんな思いが、ずっと消えなかった。
(いいや、俺は、青国人ではないか。俺の人生は、村で生きる妹のためにあるのだ。金を稼いで、村を支えて俺という男は終わるのだ)
それでいいのだと思いながら、どこかに「どうして、こんな人生なのだろう」という納得できない感情があった。
そもそも、同じ人間なのに、なぜ上や下があるのだろう。
王族に生まれただけで恵む側の立場になって、貧しい村に生まれただけでこびへつらって恵んで貰う立場になるのは、なぜだ。
……俺は、世界が嫌いだ。
世界が大嫌いだ。ずっと、ずっとそうだ。そんな気持ちがあるのだ。
「姫殿下の美しさは、紅城クリムゾンフォートの全ての輝きをも
「素敵ね。もっと褒めてちょうだい」
言葉を飾れば飾るほど、安っぽくて薄っぺらい。俺には似合わない言葉だ。姫もそう感じているだろうに、楽しそうにしてくれる。
目の前でふわりとフィロシュネーがまわる。
赤い生地のドレスがふわりと広がるのが、美しい。白銀の髪がさらさらと上品に揺れるのが、神秘的だ。ドレスにも髪にもふんだんに宝石が散りばめられていて、きらきらと輝くのが眩しい。
リードに身を任せる肩は華奢で、腰に手を回すと不安になるくらい、細い。
「聖女様の美しさは、俺を
「あなたは、わたくしの虜になっているの?」
このお姫様ときたら、嬉しそうに確認するのだ。
「フィロシュネー殿下の美しさは、俺の魂の穢れを祓って真っ白にしてしまうほどの輝きを持っております」
「ねえ、それ、暗記したの? 練習した? 本当っぽく聞こえて、素敵よ」
「お気に召しましたか」
「とても」
先ほどは少ししょんぼりしていたが、ご機嫌は直ったらしい。よかった。
「姫の美しさは、美の極みを超越した美しさです。俺はその美に魅了されて、あなたに心を捧げるわけです。こんな風に」
曲の終わりに手を取って
未熟な年下の少女が年上の男に憧れる、というのはよくあることだ。箱入り育ちで異性に耐性のないお姫様なら、なおの事。だから、年上の紳士たる男性には、慎重で良識ある接し方が求められるのだ。
(なのに俺は、甘い言葉で喜ばせて、婚約を申し込んで、自分のものにしようとするのだな)
そんな罪悪感が、胸にある。
「あなたは青国に良い思い出がないかもしれないけど、これからお兄様が良い国にしてくださるわ。わたくしも、お手伝いをします。だから、良い国になったら、青国でもこんな風にパーティをするから、一緒に踊ってくださる?」
可憐な声が懸命に愛国の心をちらつかせる。俺が青国をよく思っていないのを、理解した上で好きになってもらいたいと思っているのだ。
「あなたに青い宝石のアクセサリーを贈ったら、だめかしら? あのね、わたくし、国に戻ったらお手紙を書くから……」
無垢な瞳が、美しい。
暗黒郷の王族の不思議な瞳は、どこか懐かしい。惹きつけられてしまう。
――あの呪術師も、この瞳を持っていた。
サイラスの中には、ひとつの名前があった。
オルーサ。
あの呪術師は、オルーサという名前だ。
あの呪術師を滅ぼしたとき、自分の中にふとその名前が湧いたのだ。
『俺は、呪術師オルーサを憎んでいた』
『呪術師オルーサと何かを約束して、それを果たしてもらうために生まれたのだ』
――あの時、強くそう思ったのだ。
「姫はゆっくり大人になって、将来は俺を介護してください」
「さっきまでのきらきらした台詞はもう品切れなの? ……でも、わたくしは早く大人になって、介護してあげる」
――俺の人生のご褒美は、このお姫様なのだ。
「……長生きします」
「最後がやっぱりちょっと……ふふふ。俺が婚約者になったら大切にします、俺が一番幸せにします、とか言って欲しいのに。おばかさん」
くすくすと笑うお姫様は可愛くて、長い年月かけて心に降り積もり、淀んだ、凝り固まった負の感情を全部清めてしまうようで、どうも
何をもって『
けれど、サイラスの中にはそんな思いがあるのだった。
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