52、あなたは、わたくしを愛してくださる?

 優雅な宮廷音楽が流れる紅城クリムゾンフォートの夜会。


 バルコニーから見下ろす中庭には、深紅の花が群れ咲いている。

 頬を撫でる風は花の香りを含んでいて、少し冷たい。


 空には二つの月が寄り添い、白く輝いていた。

 

「あなたは、わたくしを愛してくださる?」

 フィロシュネーは、寄り添うように立つ傍らの騎士サイラスに問いかけた。


 呪術師が討伐されてから、紅国が主導して青国と空国は友好関係に戻り、復興に努めている。


 神鳥はあれ以来、姿を消している。けれど国土が荒れる気配はなかった。


 国土の呪いは解けたらしい。各国の有識者が『解けたと判断してよいのでは』と結論を出したので、今夜はそのお祝いで夜会がひらかれたのだ。

 アーサー王太子によりストップがかけられて、フィロシュネーは未だ婚約者が確定していないのだが。

 

「愛……」


 サイラスが身に纏う伝統的な紅国騎士の夜会服の一つであるテールコートは、背中の中央で分かれる「テール」と呼ばれる長い裾が特徴的なジャケットで、前側は短く、後ろ側は長い形状をしている。

 上品で清潔感があり白いドレスシャツに赤い宝石をあしらったカフリンクスが華やかでよく映えている。体格がよく、背筋の綺麗な目の前の騎士は非常に洗練された雰囲気を持ち、目を引く存在感があった。耳もとで揺れるのは、赤い耳飾り。

 

「ねえ、そこで『愛ってなんだっけ』みたいな反応はダメよ。恋愛物語のヒーローはね、『もちろんです。あなたの美しさと優しさに、私は心を奪われています。あなたと共にいることが、私の最大の幸せです』とか言うのよ」

「姫はお美しいですし優しいですし可愛らしいですが、俺には愛というやつがいまいちピンときませんね。歳も離れている俺があまり姫に愛を囁いて誘惑するのも、悪い大人になった気分で好ましく思えません。歯の浮くようなセリフも苦手です」

「あ~……、ある意味、正直でよろしい……のかしら……」

 

 フィロシュネーも、言われて見れば『愛』という感情があまりピンとこない部分はある。

 格好良い貴公子に憧れたりする気持ちは、わかるけど。

 

 サイラスの滑らかな褐色の肌が魔法の明かりに照らされて、蠱惑的な色を魅せている。

 黒髪黒目は、星の輝きを隠してしまった深い夜のよう。吸い込まれてしまいそうで、少し怖い。


 何にも染められないような黒だと思っていた男は、女王の赤に染められてしまった。

 その心には、青国への恨みのような念がある。

 理不尽の積み重ねで構築された鬱屈した感情や、諦観や、傷がある。

 怒りが底深くに沈められている。


(手負いの獣のよう)

 フィロシュネーはたまに、この男と接していて、そう感じる。

(けれど、わたくしがかわいそう、いい子いい子ってすると、サイラスはもっと傷付くのかしら)


『俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです』

 サイラスが女王に告げた声が心に蘇る。人間扱いしていないって言っているのだ、あれは。

  

「姫。北方の夜は冷えますから、中へ戻りましょう」 

 会場へと誘う手は紳士的で、立派な騎士様といった風情で、王子様然とした雰囲気がある。


「わたくし、ダンスを踊りたいの」

 

 絢爛けんらん豪華なダンスフロアで、光を浴びて上流階級の一員として、そこにいるのが当たり前みたいな空気感で踊るあなたが見たいの。


 甘やかに囁いて上目に様子をうかがえば、サイラスは頷いてくれた。


「わたくし、教えてあげる」

 

 あなたが知らない作法を、ステップを。

 貴族社会の常識を。

 たくさん、たくさん、教えたかったのだ。

  

 それは全部、『紅国流のではなく、青国流の』という前置きがついてしまうけど。

(あなた、もう「わたくしの国の英雄」ではないのね)


「なんでちょっとしょんぼりなさってるんです」

 不思議そうに問いかけるサイラスの声は、優しかった。

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