51、あの箱入りの姫君は、俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです
浅黒い肌に、しっとりとした黒い髪。
女王アリアンナ・ローズの前に膝をつく精悍な顔立ちの騎士ノイエスタルは、間違いなくフィロシュネーの知る男、サイラスだった。
「さあ、救世の英雄には語っていただきましょうか? その出自と、暗黒郷の実態を」
女王が促せば、英雄が語る。
「俺は、暗黒郷出身です」
――貧しい農村に生まれ、大人たちに捨てられて、子供だけで生きようとしてきた人生を。
「生活は、貧困と暴力に満ちたものでした。毎日のように飢えに苦しみました。病、飢餓、暴力――冬の寒さをよく覚えています。子供同士で身を寄せ合い、震えていました。気付くと誰かが死んでいる、そんなのが日常でした。周り中のみんなが、病気や栄養不良のために常に弱っていて……」
女王アリアンナ・ローズが慈愛に満ちた表情で見守っている。見つめ合う主従を見て、フィロシュネーの胸がざわりと騒いだ。
「ある時、俺は商人に仕事をもらおうとしたのですが、彼らは俺の出自を理由に雇用を断りました。読み書きもできない、計算もできない、貧しく卑しく、礼儀も知らず、信用できない。金を盗むに違いない。泥水をすすりながら仕事を探しましたが、なかなか見つからずに苦労しました」
サイラスの声には、どうしようもない不利な生い立ちに対する悔しさが滲んでいた。怒りがあった。不遇に苦しみながら生きてきたのだ、と伝わる声だった。
「ある日、貴族の屋敷で働いていた時に、俺が盗みを働いたとの噂が広まりました。俺は何もしていなかったのに、貴族たちからは盗みを働いた者として疑われ、追い詰められました。俺は無実を証明するために必死になりましたが、貴族たちは俺を信じてくれませんでした」
紅国勢が、「暗黒郷で苦労してきたのだな」「ひどい環境だったのだ」と囁きを交わしている。
(これつまり、政治的な演出よね。救世の英雄に「青国ってこんなにひどい環境ですよ」って言わせて、要指導国家にしたいのよね?)
フィロシュネーは頭の隅で冷静に政治的意図を見抜いた。哀しくなった。
(サイラス……あなた、また利用されている)
わかっていて利用されている? わかっていないで利用されている?
どちらにしても、フィロシュネーは切なくなった。
「上流階級の貴族たちは、底辺出身者を暇つぶしの遊戯の駒やアクセサリーのように扱うものでした。時には英雄と称えて自慢をして、時には奴隷のように扱い、蔑ろにしました」
胸の鼓動がどくんと跳ねる――フィロシュネーは胸が締め付けられる思いがした。
その行為は、自分も当てはまるという心当たりがあったから。
「俺は私心を殺し仕事をこなして得た金を、故郷の村に送りました。そこには病気の妹がいたので。俺の稼いだ金で妹が喜ぶ姿を想像すれば、何にでも耐えられると思っていて――でも、妹は死にました」
女王アリアンナ・ローズは、痛ましさをいっぱいにあふれさせた優しい眼差しを自分の騎士に向けている。
(わたくし……わたくしが、あのポジションにいるはずだったのに。何? 今までこんなに苦労してきたんです~、青国はひどかったんです~って、語り出しちゃって。わ、悪かったわね。それは、それはつらかったでしょう、ね……?)
あなた、わたくしのこと、……嫌い?
フィロシュネーはしょんぼりとした。
女王が優しい声をかけている。
「わらわの騎士、サイラス・ノイエスタルは過去数回、わらわを助けてくれました。此度においては、古代から大陸を脅かしてきた悪を討つという偉大な功績まであげました」
(わたくしの英雄サイラスよ。その男は。わたくしのサイラスは、わたくしを守ってくださったのよ)
そんな思いが胸に湧く。だけど、現実は。目の前の光景は。
「わらわの騎士サイラス・ノイエスタルは、優れた思考能力を持ち合わせています。戦場で迅速かつ正確な判断を下し、困難な状況でも冷静に対処することができます。もちろん、並外れた戦闘能力は素晴らしいものです。剣術の技術が優れており、相手を圧倒する力強い戦いぶりは見事です」
そんな風にみんなの前で褒め称えるのは、自分ではない他国の女王だった。
「わらわの騎士、サイラス・ノイエスタルの勇気と優秀な能力は、紅国にとって非常に貴重なものです。あなたの生まれ出自は、あなたの価値を決して減じるものではありません。むしろ、あなたがそうした過酷な環境で育って、素晴らしい騎士に成長したことは、ますます尊敬に値します」
(わたくしの、では、ない)
紅国に支援されてこれから復興する問題国家、青国の王女であるフィロシュネーが騎士にしていい子いい子するより、紅国の女王の騎士のほうが良い境遇なのだ。
本人も、青国より紅国のほうがいいのだ。そんな雰囲気なのだ。
(あ、あう。あう)
フィロシュネーは涙目になった。
きらっきらの鎧やマントを着せてもらって。青じゃなくて、赤いのを!
家名をもらっちゃって。わたくしからじゃなくて、女王から!
(く――……、く、や、し、い……っ)
何も言えない。
フィロシュネーはふるふると悔しさに震えた。
と、そんなタイミングで、サイラスがフィロシュネーを見た。
黒い瞳と目があって、フィロシュネーはびくりとした。
「麗しのローズ陛下。俺はあの姫君を望みます。飾らぬ言葉を許していただきたいのですが」
それは、ストレートな要求だった。女王が「ん?」という顔で首をかしげている。
「あの箱入りの姫君は、俺を愛玩動物やアクセサリー、着せ替え人形のように思っておられるようです。そのように思われること自体は遺憾ですが、生まれ育った環境を思えば当然でもあり、――ああ、いえ。別に……復讐をしたいわけではないのです」
フィロシュネーの目に怯えと
復讐ではないらしい。よかった!
「このたび、真実を見抜いたのも、聖女である姫のおかげです。姫は、善良な方です。正義感があり、民の現実に胸を痛めたり、他者の気持ちを想像し、同情できるお心をお持ちです。あと、ちょっと幼稚でおばかさんなところも――そういったご気性を、俺は好ましいと思っています」
――褒めてくれている! 後半は聞かなかったことにしてあげる!
「俺と姫は数日に渡り二人きりで旅をして、夜はひとつのベッドで眠りました。誓って手は出していませんが、姫の名誉は傷付いています。その点について、俺は申し訳ないと思っています」
――申し訳ないと思ってくれていた!
フィロシュネーは「いいのよ」と胸の前で手を組んだ。それを見るサイラスの眼差しは、可哀想な生き物をみる温度感だったけれど。
「しかし、俺は、どうも姫に気に入られたようで、同情もされたご様子で。姫は俺を可愛がってくださったのです。俺は首輪をつけられ、可哀想と言われて、飼い犬のように『わん』と鳴いてお小遣いをもらい……」
(な、何を語り出すのかしら~!? 首輪をつけたのはハルシオン様よ。あなたが「わん」と鳴いたのは事実だけど、わたくしが強いたみたいじゃない。あなたが勝手に鳴いてたんじゃない? 誤解されるじゃない?)
周囲から「そんなことをさせたのか」という眼が注がれている。
やめて! そんな目で見ないで!?
サイラスは、淡々とつづけた。
「体を壊したり老いて働けなくなっても介護してあげる。長生きできるよう労わる。亡くなったらいっぱい泣いて悲しんであげる……後追いして一緒のお墓に入ってあげても構わない。看取る覚悟もできている……前世からの恋ですとか、運命ですとか、あとなんでしたっけ。わたくしの男? 姫はそう仰いました」
「!!」
ざわざわとしたどよめきと好奇の視線が集まる。フィロシュネーは真っ赤になった。
「俺に執着を示してくださるので、俺としても悪い気がしないといいますか、……可愛らしいではありませんか?」
可愛らしいと思っても許されるのではないか? そう訴えるような視線が会場を巡る。
女王アリアンナ・ローズはそんな『自分の騎士』にくすくすと笑った。
「女王の騎士は、女王に忠誠を誓うものです。神に生涯を捧げる修道者のように、その心には女王以外を住まわせてはならぬ。女王に直接仕えることが求められるため、女王との関係が深くなり、特別な関係が築かれることも多い」
周囲からは、はらはらと心配するような視線も向けられている。
女王の騎士になっておいて他の姫が欲しいと言い出すとは、女王の機嫌を損ねてもおかしくない発言なのだ。
「女王の騎士が他国の王女に愛を捧げるならば、女王に対する不忠や女王の権威を損なうと――大昔は、そんな風潮もありました。けれど、わらわが治める現代の紅国では、その心を他の女性に捧げても構いません」
その可憐な声は、身分の釣り合いについて論じる。
「紅国は、今後の青国と空国の立て直しを支援する立場。けれど、王女の身分が非常に高いのは言うまでもありません。女王の騎士は特別な立場ではありますが、釣り合いを考えるなら武勇や功績によって爵位も与えるべきでしょう。わらわは単に『褒賞』として、政略の道具としての婚姻を好みませんから、フィロシュネー姫の側と、その後見人にあたる兄王太子殿下の合意は絶対条件ですよ」
女王アリアンナ・ローズはそう言って、「わらわは爵位を与え、婚約を申し込むところまでをひとまず約束しましょう」と告げた。
そんなわけで、青国の第一王女フィロシュネーはこの瞬間に三人の婚約者候補がいる状態になったのだった。
一人目は、サン・エリュタニア
二人目は、サン・ノルディーニュ
三人目が、ク・シャール
「……あっ。わたくし、選ぶ立場?」
てっきり、もう「ご褒美にいただきます」なノリかと思っていたが、フィロシュネーは選べる立場だった。
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