11、さようなら。お幸せに

「怪我が治った……すごい。これは王族の力じゃないか。王族から賜った神器か何かなのか……?」

「ああ、命を助けてくださって、ありがとうございます。俺は生まれたばかりの赤子がいるのです。妻を悲しませずに済みました」

「争いをやめろだと? 空国くうこくの王族の威光をひけらかしやがって。ここは青国せいこくで我々は青王の兵士だぞ!」


 青国の兵士の反応はきれいに分かれていた。

 感謝と、反発と。


 村人は、遠巻きに見ている。怯えた様子で、自分たちに類がおよばないようにと祈るようにして。


 ハルシオンはニッコリとした。

「ここは青国せいこく? いえいえ。ここは本日から、空国くうこくの土地になるのですよ?」

 ほら、とその視線が背後に向く。

 すると、なんと空国の旗をひるがえした軍勢が遠くからこちらに向かってくるではないか。

「し……侵略行為だ」

 誰かが呆然と呟く。

 ハルシオンは他人事のように「こわいですねえ」と言いながらフィロシュネーに近寄った。


「ひめ……、いえ、お嬢さん。……えー、……は、はじめまして……?」

 初対面を装う声は、ぎこちなくて初々しい。兵士に対する接し方とは、がらりと雰囲気が変わって人が変わったよう。 

 優しいお兄様といった雰囲気のハルシオンは、「好青年」の三文字がよく似合う。ただし、「今この瞬間だけを切り取って、直前までの言動や周囲のシチュエーションを除外するならば」という条件付きだ。


「……し、し、侵略者……」  

 国旗を掲げる兵士を動かして「今日からここは空国です」と言うのだ。どう考えても、侵略である。一度、この土地は奪われるだろう。しかし、父は当然怒り、取り返すために兵士を動かすだろう。これをきっかけに二国の友好関係は終わり、戦争が始まるかもしれない。これは、笑いごとではない。とんでもない大変なことだ。


 フィロシュネーは震えあがってサイラスにすがりついた。なのに。 

「このへんでお別れですかね」

 サイラスは、そんなことを言うのだ。

「サ、サイラスぅ……?」  

 馬上でフィロシュネーを見つめたサイラスは、フィロシュネーにささやいた。


「姫、。姫はハルシオン殿下を篭絡ろうらくしてください」


「はっ……?」

 フィロシュネーは耳を疑い、サイラスを見上げた。

 鋭い目付きでハルシオンを睨むサイラスは、ひそやかに小声を連ねた。


「姫、ハルシオン殿下を味方につけるのです。あの殿下は、権力もあるし魔力も高い。守っていただきなさい。そして可能なら、けしかけてください。彼が愛する弟陛下を討ち、空国の王になるように……と」


 何を言っているの。

 何を言われているの?

 お父様からの伝言――? あなたは、第二王妃に命令されたのでは?


 フィロシュネーは瞳を揺らしてサイラスを見つめた。

 本と違って現実は、フィロシュネーを待ってくれない。理解するより先に、声は続いた。子供に言い聞かせるように。不思議とあたたかに聞こえる、優しい声が。

 

「俺は、慕情ぼじょうに狂って姫をさらった不届きな咎人とがびとです。空国の王兄に裁かれるにせよ、青国に引き渡されるにせよ、姫とお会いすることはもうないでしょう」

 

 大きな手が何気なくフィロシュネーの髪を撫でようとして、血濡れた自身に気付いてピタリと止まる。触れるのをやめた距離が寒々さむざむと感じられて、フィロシュネーは意外なほど心が乱れるのを自覚した。

 

「さようなら。お幸せに、フィロシュネー姫」


 何にも染まらない黒の瞳がフィロシュネーを見つめて、やいばのようだった眼差しが優しくなる。かすかに表情が歪む。氷がけるように、柔らかに緩む。

 笑顔だ。笑っている。

 フィロシュネーは何も言えなくなった。



「お別れは、済みましたかぁ……?」

  

 ハルシオンの声が割り込んで、混乱を極めるフィロシュネーの全身が魔法の力でふわりと浮く。

「ひゃぁっ」

 サイラスの腕からハルシオンの魔力によりアッサリと奪われたフィロシュネーは、ふわふわと綿毛にでもなったように空中を飛んでハルシオンに迎えられた。

 


「私は、カントループです。愛らしいお嬢さん」

 フィロシュネーを迎えたハルシオンは、世界で一番貴重な宝物をみつけたような顔で、嬉しそうに小さな声をはずませる。

「よかった。心配していたんです。さらわれたと聞いて。空国の預言者ネネイが、あなたの危機を教えてくれたのです」

 ハルシオンは御伽噺に出てくる王子様のように優雅に一礼して、フィロシュネーに腕を広げた。

 風がふわふわと周囲を舞っている。

 花畑にいるみたいに、とても甘くて柔らかな良い匂いがした。


 フィロシュネーを受け止めたハルシオンは、壊れ物を扱うようにそっと腕をまわし、フィロシュネーを抱き上げた。

 恋愛物語に出てくるみたいな、お姫様抱っこだ。


 間近に見つめる表情は、仮面をつけていても優しくて親しみが湧く雰囲気。でも、あやしい。胡散臭うさんくさい。


「お名前は? お嬢さん。初めましてのお嬢さん」

「バレバレですわよ、ハルシオン殿下」


 ひんやりとした声で言ってみれば、ハルシオンはギクリとした様子で慌てて首を振った。

「わ、私はハルシオンではありません。カントループです。そう呼んでほしいのです」


 その様子がなにやら憎めない感じがして、フィロシュネーは大いに戸惑った。


(この方は、怖い人でしょう? 危険な方でしょう?) 


「わたくしは、フィロシュネーです。カントループさん」

「では、シュネーさん。そう呼びましょう。シュネーさん、この辺りはしばらく物騒なので、私の商会でシュネーさんを保護しようと思います。安全になったら、おうちに帰れますからね。ちなみに、どういったご身分で?」


 身分を偽ってもいいのだ。

 そんな意思が伝わって、フィロシュネーは少し考えて答えた。

 

「兄と、旅をしていました。空国に行くつもりだったのです」

「兄? そちらの拉致犯は捕縛して……彼は、英雄……ん……」

 

 サイラスに視線を移したハルシオンが軽く眉を寄せて言葉を切った。何事かと見ているうちに、顔色が悪くなっていく。突然の変化に、フィロシュネーはびっくりした。


「あのう。だ、大丈夫?」

「……少し、頭痛が。もう、大丈夫です。話していれば、おさまります」


 ハルシオンは弱々しく首を振った。

「シュネーさんは、あの男に誘拐されたのでしょう? 違うのですか? 怖かったでしょう? 酷い扱いをされたのではありませんか? 乱暴されたり……ああ、可哀そうに……」

 春風のような声は、本心からフィロシュネーに同情しているように感じられた。

「殺してはいけないかな。簡単じゃないか。殺してしまいたい。いや、だめだよ。いけない、いけない。だめじゃないよ。私を不快にさせる悪い子はお仕置きをしてやったらいいんだ」

 ぶつぶつと呟く独り言が、とても不穏だ。


「ひっ」

「ああ、シュネーさんっ、大丈夫ですか? 震えていますね」

 顔を覗き込むハルシオンの気配は、優しい。心配で仕方ないって顔だ。


 フィロシュネーは彼に対してどんな感情で接すればいいのか、悩んだ。


(ハルシオン殿下は、優しそうに見えて、危険な人物かもしれない。サイラスは、お父様から命令を受けて動いていた様子で、わたくしが知らないことを知っている。第二王妃の兵士たちから、わたくしを守ってくれたりもした……)

  

 フィロシュネーは、そっと選択した。

 

「カントループ。サイラスは私の兄です。一緒に隣国にお出かけしようとしていたの」

「へえ、シュネーさん。本当に?」 


(サイラス。あなたは、きっと、わたくしの味方なのよね?) 

 まだわからないことが多いが、フィロシュネーはまっすぐな目をサイラスに向けた。

「そうよね、お兄様」

 サイラスは一瞬息を呑んでから、初めて聞く優しい声で調子を合わせてくれた。 

「ええ。シュネー、……俺は、あなたの兄です」


(演技が下手ね)

 

 『兄』の腕の中に自分から戻ったフィロシュネーは、ここ数日で慣れ親しんだ体温に不思議なほど安堵した。

 そして、こそりと呟いた。


「サイラスは、わたくしに冷たくしたことを死ぬほど後悔して『ごめんなさい』って言わなきゃいけないの。そうしたら、わたくしは『もう遅いのよ』ってあなたを振るのです。だから、その前に勝手に『さようなら』をしてはダメよ。許さないわ」


 もそもそと居心地悪そうにサイラスが呟く声は、やっぱり無礼だった。

 

「姫……前から言おうか迷ってましたが、若干じゃっかん性格が歪んでおられるような」

「それ、控えめな表現だけど、性格が悪いと言いたいのよね?」

 

 こうしてこの日、フィロシュネーはサイラスを兄という設定にして、旅の兄妹としてハルシオンのカントループ商会に保護されたのだった。

  

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