10、これは、偉大なる呪術王の秘術の一つ

 芽吹きの季節を迎えても緑の芽吹かない大地を、ひゅうひゅうと風が吹いている。

 宿でぐっすりと眠っていたはずが、目覚めるとまた荒野。


「おはようございます。よく眠っておられたので、今のうちにと思い」

「おはよう……何が今のうちに、よ。悪党……」


 西方への旅は、続いた。

 

「お父様は何をなさっているのかしら」

「姫の無事を祈っておられることでしょう」

「わたくし、都市で助けを求めるべきだったわ。兵士とか、宿の人とか。そうすればきっと、わたくしは今頃助けられていて、あなたが捕縛される悲鳴を子守唄に気持ちよく二度寝だってできた……」

「二度寝なさったら、そんな夢がみられるかもしれませんね」

「でもね、わたくしは寛大だから、ゴールドシッターはもらってあげる。あなたのことは忘れて、二人で幸せになります」

「姫はゴールドシッターがお好きですね。幸せになってください」 

「ふぬぬ」 

 あやすような口調である。相手にされていない――フィロシュネーは悔しがった。  


 サイラスの黒い瞳は、前方を見た。

「あれは俺の村です」

 古めかしい風車がまわり、こじんまりとした家が集まる村が前方にあった。

「門のところで手を振っているのは俺の幼馴染で、メアリといいます。村で朝食を摂りましょう。その後で、金を渡してさっさと立ち去ろうと思っています。面倒事に巻き込んでしまうわけにもいきませんし」


 フィロシュネーの脳裏に、英雄と幼馴染の恋物語が展開した。 

「ねえ、赤ん坊を抱っこしていますわね。あなたの子?」

「赤ん坊は、別の男とでもこさえたのでしょう」

 サイラスが若干じゃっかん苦々しい声色になるので、フィロシュネーは「あら」と目を瞬かせた。てっきり良い仲だと思ったのに。


 メアリが声を放つのが聞こえる。

「釣れたわ! 私が釣ったのよ! ご褒美のお金を頼むわね。もちろん、サイラスが持っているお金も私のよ」

 すると、周囲に潜んでいたらしき青国兵士たちがずらりと姿を現した。

 兵士たちの槍の切っ先がずらりと黒馬ゴールドシッターに向けられ、指揮官らしき兵士が宣言する。


「王妃様の命により、姫君にはお隠れ死んでいただきます」

 命令した者と目的をわざわざ宣言してくれるあたりが、お行儀のよい兵士たちである。


「メアリ……俺はまだまだ稼げるのに。今だって、金を持ってきたのに」

「事情が変わったの。悪いわね、サイラス」

 驚き、ショックを受けた様子のサイラスの呟きはフィロシュネーには新鮮だった。あまり心を動かさない印象の男だったのだ。

(あっ、これは、振られたのかしら? 貢いでいたけど振られてしまったのかしら? サイラス?)

 憎たらしい男が振られた。これは「いい気味」と言っていいのではないか……しかし、生命の危機でもあるのではないだろうか。

 フィロシュネーは思考を巡らせた。


(お父様は助けてくれる様子がなく、第二王妃は堂々と殺そうとしてくる。これ、わたくし……死ぬんじゃなくて? 味方がいないのでは?) 

 

 そもそも、今日まで自分が生かされていたほうがおかしいのだ。

 『城から連れ出した後は殺せ、その後は好きに逃げよ』と言われてます、とサイラスも語っていたではないか。

 

(わたくしがいつまでも殺されないから、しびれを切らして兵士を送ってきたのかしら) 

 考え込んでいた視界に、武器の鈍い金属光が走る。


「きゃぁっ……!」 

 硬い物体同士が衝突する音が響く。耳が痺れそうなほど甲高く、恐ろしく。


 ぎゅっと目をつむったフィロシュネーは、兵士の悲鳴と、馬のいななきを聞いた。

 

 全身が揺れる。サイラスの筋肉質な腕にフィロシュネーの細い腰ががっちりとつかまれる。腰をおろしている馬の体が振動して、また「キィンッ」と澄んだ刃鳴はなりの音がする。悲鳴が聞こえて、地面に重い物体が落ちる音がしたりする。怖い。


(た、戦っている?)

 そんな気配だ。

(斬ったり、斬られたりしている?)

 人間同士で?

 それは、とても嫌な感じだ。

 

 重い金属同士がぶつかり合う音は、武器同士が衝突している音だ。悲鳴は、斬られた相手が発しているのだ。

 この鼻をつく匂いは、血だ。


 フィロシュネーはガクガクと震えながら自分を抱く男の身体に腕をまわし、しがみついた。


「ひ、ひぅ。ひぃっ」

 情けない悲鳴が口から零れる。

「すぐに終わります」

 それって、すぐに死ぬってことぉ?

「相手が」

 まともに言葉を発している自覚がないけど、返事は淡々と返ってくる。落ち着いている声だ。

 

(無理よ!) 

 サイラスは強い。しかし、相手は大勢いるではないか。

 自分という荷物も抱えているではないか。

(し、死んでしまう。殺されてしまう。二人揃って……ああ、サイラスも一緒に死ぬのね、おばかさんっ。うわぁぁん!)

  

 人生は、どうしようもなく突然終わるのだ。

(わ、わたくし、最期まで気高くあるのよ。ふえふえ泣いちゃだめよ。シュネー、王族の誇りをほこほ、ほこほこ……お父様ぁぁっ!! やだぁぁぁ!! たすけてぇえ!?) 

 

 そんなフィロシュネーの耳に、ヒュンヒュンと風が唸る音が届いた。

 次いで、どよめきのような声の波も。


「ぎゃっ」

「は、旗が」

「矢だ。矢が……」


 何か、様子がおかしい。 


「なんだ……っ」

 間近から発せられる低くうなるような声は、サイラスだ。

 絶えず聞こえていた怒号や衝突音がおさまり、サイラスや馬の動きが止まったので、フィロシュネーは恐々こわごわと目を開けた。


「……ぴっ」

 喉から引き攣った悲鳴が小さくれたのは、凄惨な戦いの跡が目に入ったから。

 

 耳に届くのは、聞いたことのある青年の声だった。

「みなさぁん、武器をおさめてくださぁい」

(あっ、この声)

 陰惨な現場に、場違いなほど柔らかで爽やかな声が響く。

 多数に呼びかけることに慣れている様子の堂々とした伸びやかな声だ。緊張というものがない。


「この場は我々、カントループ商会が預かりまぁす」


(カ……っ?)

  

 悪夢の中で聞いた名前だ――フィロシュネーは背筋を凍らせた。

 

 周囲には「商人が何を偉そうに」というささやきが溢れる。けれど武装兵と商会旗の数に視線を交わして、兵士たちは武器を下ろした。


「んっふふふ。ふふふ……、よきかな、よきかな。従順でよろしい。いい子たちですねぇ!」

 青年が笑っている。

 

(ハルシオン殿下っ?)

 

 フィロシュネーは、目の前の現実に驚いた。

 一国の兵団と言われたほうがまだ納得できるほどの数の武装兵が、無数の旗と明かりを掲げている。


 旗は青地で、中央に商会の紋章が描かれていた。

 紋章は赤い円形で、白い縁取りがある。円の中には、銀色の三日月と星が描かれた空色の盾。盾の下部には、黒い文字で「カントループ商会」の名称が記されている。


 旗の上部には、空国の王兄ハルシオンの旗が添えられていた。

 王兄の旗は、空色の盾の中に、銀色の三日月と星が描かれている。


「私は、商会長カントループ。我が商会の背後には、空国くうこくの王族がついています。ふっふ、これがその証ですよぉ」

 

 商会長カントループと名乗った青年は、仮面をしている。目元だけを覆うタイプの仮面には、目の部分に色付きのレンズのようなものが填められている。特徴的な王族の瞳を隠しているが、どう見ても空国の王兄ハルシオン本人だ。

 その手が披露するのは、見るからに特別なゴブレットだった。

 

「天下の万民は、傷つけあうのをおやめなさい。あなたたちの父は、子供たちの争いを望みません」

 ――ハルシオンが唱える声は、うたうようで耳に心地よく、優しかった。

  

 青いゴブレットは側面に空国王家の紋章が描かれていて、ハルシオンが魔力を注ぐと色合いを複雑に変えていく。


「これは、偉大なる呪術王の秘術の一つ……」

 

 王兄ハルシオンがゴブレットを高く掲げると、周辺一帯に幻想的な光がふわりと広がっていった。


 

 優しい夜明け色の紫。

 希望の象徴みたいな空の水色。

 深く包容力のある海の青。

 大地に親しむ緑に近い蒼緑。


 

 神秘的な光に包まれて、負傷者の傷が癒えていく。


 王族が得意とする治癒の魔法。空国風にいえば「呪術」――それは、まるで奇跡のような凄まじい魔力だった。

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