9、わたくし、絶対あなたを死罪にしてあげる


 しばらく駆けるうちに、都市に立ち寄る機会が訪れた。


 割れた隙間から草が茂る石畳の道。古びた石造りの建物。塀は高く、都市の外に向けられた筒や、矢を打つ装置が物々しい。

 狭い路地には放置されたごみや汚水がたまっていて、生活に便利に活用されている浄化の魔法で掃除されている様子がない。

 あちらこちらに旗が掲げられている。

 

「ああっ、旗を掲げているわ! ここは青国せいこくね!」


 自国の旗をみて、フィロシュネーは胸を熱くした。


「なんて誇らしいのでしょう。わたくしの国の旗よ」


 でも、この都市はぼろぼろで、「悪辣な王」の悪夢をまたしても「現実ですよ」と裏付ける様子ではないか。


「……あちこちぼろぼろで、不衛生さも気になります。もっと整備して、衛生的で明るい雰囲気の街にしたらいいと思うの……」

「お城に戻れたら、青王陛下におねだりなさってみてください」


 しょんぼりと言えば、サイラスはいつものように冷たい声を返してくる。


(お城に戻れたら? 青王陛下におねだり?)


「わたくし、帰れるの? この都市はなんて名前? 都市の責任者はどの領主かしら。間違ってもモンテローザ派ではないわね。この一帯、目に余る荒れ具合でしたわ。領地経営を指導した方がいいと思うの」


 考えてみれば、領主がこの付近の土地の責任者ではないか。

 父は善良で、でも領主が悪徳領主、という可能性もあるのだ。


(そのほうがいいわ。だって、それならこの領地だけの問題。領主を「めっ」って処罰したら済むのですし)

 国の頂点にいる絶対君主が悪辣であるより、ぜんぜん救いがある。解決も簡単だ。

 フィロシュネーはその可能性に縋りたくなった。


「もしかして、領主は物語に出てくるような悪徳領主だったりして……嘆かわしいですわ、わたくしの青国にそんな領主。わたくし、お父様に言いつけ、んきゅっ」

「少し大人しくなさっていただいても?」 

 

 フィロシュネーにローブのフードを目深まぶかにかぶらせつつ、サイラスは門兵に堂々と身分証を見せている。門でとがめられることはなかった。

 むしろ「黒の英雄様ではないですか」「青王陛下に取りたてられて直属の騎士になるという噂を聞きましたよ」なんて声をかけられている。


「今夜は宿に泊まれます。嬉しいですか」

「う……うれしいです……」

 

 城の外に出たことのないフィロシュネーにとって、馬上で一日の大半を揺られて夜はき火を頼りに薄い布にくるまって眠る旅生活は、過酷だった。  

 

「素直で結構」

 

 募兵所の前を通り過ぎ、サイラスは愛馬の背からフィロシュネーを降ろして抱き上げた。恋愛物語ならお姫様抱っこをしてくれるところなのに、サイラスは荷物でもかつぐような運び方だ。しかも、部屋は同室。ベッドもひとつ……。


「うう……サイラス、王族の尊厳ってご存じ……?」

「尊厳死をご所望?」

「違いますっ」

 

(お父様は何をなさっていますの。わたくし、早くお城に帰りたぁい……)


「ひっく、ぐすっ、……現実なんて嫌ぁい……」

  

 ぐすぐす、ぶつぶつと呟くフィロシュネーを背景に、サイラスは宿の者に湯桶と衝立ついたてを運ばせた。そして、運んだ者に金を握らせ、何かを頼んでいる。


「姫、湯を運ばせましたが俺が洗います? ご自分で湯を使えます? 魔法で清めるだけでいいです? 湯は不要?」

「自分で使いますわぁ……あのね、あなたはわたくしをなんだと思っていますの。あなたごときが本来、軽々しく口をきいたり触れたりできない至高の王族ですっ。花も恥じらう乙女ですっ。『俺が洗います?』じゃないの、とんでもない……おばかさん。お部屋の外に出ていなさい」 


 魔法で清めるだけでもいいが、湯があるならやっぱりお湯で洗いたいのが乙女心というものである。 

 フィロシュネーは衝立に隠れて身体を洗った。お城にいた時はたっぷりのお湯に身を浸して、世話係に奉仕されていたのに。


(なぜこんな目に……)

 湯あみを終えてベッドに座っていると、生真面目な調子で扉がノックされる。


「湯あみは終わりましたか、花も恥じらう乙女さん」

「その呼び方、すごく恥ずかしいわ。やめて……」 


 そして、何故わたくしは下賤な男のために扉を開けてあげるのかしら。首をひねりつつ、フィロシュネーはサイラスを部屋にいれてあげた。

 

 サイラスはベッドに転がるフィロシュネーの隣で寝物語を語ってくれた。


「ねえサイラス。こういうときって、ヒーローは一緒のベッドでは眠らないのよ。床で眠ったりするの。紳士の振る舞いってそんな振る舞いよ。わたくしが贈った本は、読んだ……?」

「9ページ読みました」

「もっと読んで……」 


 もはやフィロシュネーにはわかっていた。この男は、無礼だが無害だ。暴力を振るうこともないし、いやらしい目で見たり触れたりすることもない。フィロシュネーを荷物としか思っていない。たぶん。

 

「募兵所は、農作物の実りが悪い地域に多く立ちます。食い扶持ぶちに困っている男がたかるので」

「この辺りは不作なの?」

「道中でご覧のとおりの荒れ模様の大地です。この辺りに限らず、青国も空国くうこくも、全体的にですが。天候は不安定ですし、魔物も多く出没しますし。瘴気も濃く……」

「まあ……なぜ?」

「姫はお勉強熱心ではないとお聞きしていましたが、なるほど」

 

 サイラスがいかにも「世間知らずですね」という声色なので、フィロシュネーは羞恥をおぼえて頬を染めた。言い返してやりたい。それはきっと、『賢そうに振る舞わなくていい』という父である青王クラストスの教育方針には反するけれど。


「さて。理由は、数代にわたって青国と空国両方の王家が神鳥の加護が得られていないからでしょうか? それとも、悪い魔法使いさんのせいでしょうか」

 サイラスが子供に御伽噺 おとぎばなしを話すみたいな口調なので、フィロシュネーはムッとした。

「加護があると良いことが起きるのは知っているわ。でも、加護がないからという理由で国が荒れるのは、おかしくないかしら」


 だって、二国以外の国にはそもそも神鳥の加護も何もない。あるとプラスに働くが、なくても困らないはず――フィロシュネーは神鳥の加護をそう認識しているのだ。


「ほう。姫は知識はお持ちでないようですが、自らの経験や手元にある情報を元に、物事を推測したり論理的に考えたりする能力をお持ちなのですね」

「わたくしがおばかさんだと思っていたのでしょう」

 

 フィロシュネーが指摘すると、黒い瞳が細くなる。微笑するような表情に、胸の奥で鼓動が跳ねた。フィロシュネーには兄がいるが、兄とすらこんな風に距離近く二人きりで話したことは、ない。


 自分は大人の異性と一緒にいて、見守る侍従もなく、二人だけで過ごしている。それを意識すると、どきどきした。

 

御伽噺おとぎばなしをご存じありませんか? 古代の呪術王の呪いのせいだと言われていますよね。二国の土地は呪われていて、加護がないと荒れてしまうのです。二国は、他国からは暗黒郷あんこくきょうとまで呼ばれているのですよ」

「わたくしは、そんな御伽噺知りません……」


 大地が呪われている、なんて、聞いたことがない。

 悪夢にも白昼夢にも、そんな情報はなかった気がする。


 きっと、他国の民は嫉妬しているのだ。

 二国は神聖で特別な預言者がいて、王様がいて、神鳥が加護をくれるから。

 

 サイラスが語るお話は、父の許しを得て本棚に並べさせる恋愛物語とはどれも雰囲気が違う。


 最初は「魔法使いが悪いことをしている」といった御伽噺。そして、「幼馴染が奴隷商人にさらわれかけたので助けたら、北国の王族も捕まっていた」という語りになる。


「あのう。あなたのお話、途中から自分語りになっているわよって教えてあげたほうがいい?」

   

 フィロシュネーが指摘した時、こんこん、と扉を叩く音がした。

「入ってください」

「入れるのぉっ? あっ、ちょっと……」

 大きな体がすっぽりとフィロシュネーを抱きすくめるので、フィロシュネーは動揺した。荷物のように抱えられるのとは違う、抱擁という言葉がふさわしい恰好に鼓動が騒ぐ。体温が熱い。

 

「お静かに。大人しくなさってください」

 ささやく吐息が耳にかかって、「ひゃっ」と変な声が出る。 


 がちゃり、と扉が開く音がしたのは、その時だった。

「し、失礼します。お約束の時間なので……あ、お、お邪魔でしたか……」

 宿の者だ。


「お疲れ様です。気にせずに」

 返事をしつつ、サイラスの指がこれ見よがしにフィロシュネーの白銀の髪をつまみあげている。

「湯をお下げしますね」

「ええ、お願いします」

 

 身じろぎひとつできないで縮こまっているフィロシュネーの視界の隅で、つまみあげられた髪にキスが落とされるのが見えた。

 

(あああああああっ!?)

 何をなさっているの……! わたくしの髪に、わたくしの髪に!

「しーっ、いけません、姫。俺も愛しいあなたの可愛らしいお声を楽しみたい気持ちはあるのですが、宿の者がおりますので」

 静かにするようにと言い聞かせるようにしながら、サイラス自身の声はとても大きい。わざとだ。絶対、わざとだ。


「失礼しました。では、ごゆっくりぃ」

「ええ。良いサービスをありがとうございます」


 宿の者が意味ありげに言って、ぱたんと扉を閉めて部屋から出て行く。サイラスはゆっくりと起き上がり、扉を施錠して戻ってきた。

 

「あ、あ、あなたっ、あなた……あうあう、あうっ」

 真っ赤になって涙目で文句をつけるフィロシュネーに肩をすくめて、サイラスは床に転がる。


「では、おやすみなさい。お姫様」

 この、何もなかったような、つるりとした声!

「わたくし、絶対あなたを死罪にしてあげる……!」 


 フィロシュネーは怒りに満ちた声を放ち、背を向けて両腕で自分の身体を抱きしめるようにしながら眠りについた。

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