8、ドワーフの炭坑茶

 ぽふり、ふぁさりと防寒布がかけられて、ぐるぐると体が包まれる。


「ふわふわのベッドじゃない……枕がない……」

「ベッドはないのです」

 

 とても残念そうに現実を突きつけられる。

 

「こんな環境で眠れるわけがないでしょう?」

「限界を迎えれば、人はどんな環境でも眠れます。そのまま目を覚まさない者も多いのです」

「ひどい……ひどいわ、こんなの。ぐすっ、……」

 

 フィロシュネーは防寒布の中に顔をうずめてすすり泣いた。布は、浄化の魔法で綺麗なはずだ。でも、ちょっと泥臭い匂いがする。


「えいっ、えいっ」


 えいえいと浄化しても浄化しても、満足できない。


 そんなフィロシュネーを、サイラスは珍しい生き物の生態を観察するような目で見ている。

 癖なのか、目を細めて見下ろすようにされると、フィロシュネーはむかむかした。

 ちょっと顔立ちが整っていて格好良い、と思ってしまうのが、むかつくのだ。


「おかわいそうに」

「誰のせいだとおもってるのぉ」

「俺でした」 

「こんな布にくるまっていたら、わたくしまで汚れてしまうわ。わたくしの品位が……ひっく、わたくしの気高さが……ぐすっ」

 

 サイラスが微妙に近寄ってくるのがわかる。

 怖い。嫌だ。

 フィロシュネーは震えながら全身で拒絶した。


「近寄るのではありません、無礼者っ、不心得者ぉ……っ! わ、わたくひ、じぇったい、許しません」


 近寄る気配が止まる。

 微妙な距離感のまま、様子をうかがわれている。


 べそべそとひとしきり泣きじゃくったフィロシュネーは、しばらくしてそっと目を開けた。


(いつの間にか眠っていたみたい……あら?)


 その眼がぎょっと見開かれたのは、少し離れた木陰にうごめくモヤモヤした影みたいなものが見えたから。


 黒いモヤモヤした影は、丸いフォームをしていた。

 つぶらな目と口らしきものもある。短い手足みたいなのも、ある。

 モヤモヤした影は、わさわさと手足を動かして、何かしていた。

 立ち上がって。ひざをついて、前のめりに倒れて。人間でいう額のあたりをポコンッと地面につけたあと、起き上がる。

 そして、また同じ動作を繰り返している……。

  

(あれは、魔物ではないの? サ、サイラス?)

  

 視線を向けると、たき火に枝をくべながらサイラスは本を読んでいる。

 

「あの……そこの木陰で魔物がわさわさしているの」

「あの魔物は食えないのです」


 適当な相槌あいづちを打っている。視線を返すこともない。


「……襲われません?」  

「襲ってきたら退治しましょう」  

「えええ……」

 

 黒の英雄、受け身! わさわさしてるのに。


「無害で食えもしない生き物を殺しても、メリットはありません」 

「いいの? それでいいの? わたくし、聞いたことがあるのよ。魔物は、人間に害を成す危険な生き物で、悪なのでしょう。存在自体、許してはいけない……全部退治しないと……」

「キリがないです」

「そうなのぉ……? ねえ、あなたが眠っている隙に襲ってきたら、死んじゃうわよ」

「眠りません」

「い、言い切るじゃない……」


 本を閉じた男の手が、荷物の中から小さな木椀もくわんを取り出している。皮の小袋から謎の粉末を椀にいれて、水筒から水を注いで、魔法をかけている。


「どうぞ、お姫様」


 差し出された謎の飲み物は、ほかほかと湯気をあげていた。あたたかそうだ。


「ど、毒……?」

「殺すならもっと早く殺しています。水分を補給なさったほうがよろしいかと」

「そうね、そうね……」


(この男にお礼を言う必要はあるかしら。ないわよね? だって、わたくし、誘拐された被害者よ?)

 

 ふんふんと匂いを嗅ぐと、穀類めいた匂いがする。

 すこしずつ、おそるおそる味わうと、結構おいしい。しつこくない甘さがあって、さらっとしている。


「ドワーフの炭坑茶です」

「どわ?」

「他国にいる、亜人種のお茶です」

「あじん?」

「……人間に似た容姿を持ちながらも、異なる能力や特徴を持つ種族です。例えば、エルフ、ドワーフ、オーク、トロル、ゴブリン、ホビット……姫のお持ちの本には出てこないのですか」

「わたくしの本棚にある本は、犬や猫、妖精ならよく出てきますわ。魔物も少しなら、出てくる本があるの。人間以外に人間に似た生き物なんて、出てきません」

「鳥さんは? ウサギさんは?」

「出てきますわ。ねえ、そのちっちゃい子をあやすみたいな話し方、なんかやだ……」

「それは失礼いたしました」

 

 暖かな飲み物のおかげか、ささくれだった気分が少しずつ落ち着いてくる。こんな現実あり得ない、と思っていても、時間と共に慣れてくるのが驚きだった。


「おばかさんね、サイラス。王族をさらうなんて、どんな功績でもあがなえない大罪ですわよ。お父様が国を挙げてわたくしを救出してくださって、あなたは死罪です」

 

 天蓋付きベッドもない。お気に入りの本もぬいぐるみもない。でも、眠れてしまった。

 真っ暗な中をぽつんとたき火がともっていて、頭上には宝石箱をひっくり返したみたいに星々が煌めいている。

 

 サイラスがぽつりと告げた。


「第二王妃様には、『城から連れ出した後は殺せ、その後は好きに逃げよ』と言われてますが、空国くうこくにでもお連れしましょう。あの王兄殿下に渡せば、第二王妃様から守ってくれるのでは?」


 わたくしは、第二王妃によって亡き者にされようとしているのだ。

 

 フィロシュネーは、もぞもぞと木椀を返して防寒布に再び埋もれた。エルフ、ドワーフ、オーク、トロル、ゴブリン、ホビット……第二王妃のことを考えるより、未知の生き物に思いを馳せるほうが、気が楽だ。


(わたくしの世界には、わたくしの知らない生き物がいっぱいいるのね)


 横になって目を閉じていると、眠気が訪れる。

 フィロシュネーは眠気に身をゆだねた。


(お父様に言われていなかったら、わたくし、気高く自死するところよ。それでサイラスは、サイラスは……)


 反省する? 後悔する? 悲しむ?

 いいえ、あの男、「姫は食えないので」と言ってそのへんに埋めていきそう。あり得ない、でも、あり得る。


「ゆ、ゆるしゃない……ふぬぬ……」


 むにゃむにゃと寝言で怒りを吐くフィロシュネーは、朝になると再び荷物のように抱えられて運ばれる。


「おはようございます、姫」


 サイラスは、「おやすみ」は言わないのに「おはよう」は言うらしい。フィロシュネーがうつらうつらと眠って目が覚めるたび、「おはよう」が降ってくる。

   

 馬は、西に向かっていく。

 不思議なことに、国の兵士が追ってくる様子はなかった。


 周囲の風景は、フィロシュネーが思い描いていた「我が国」とはかけ離れていて、「貧困」や「荒廃」といった単語が思い浮かぶ。

 民は痩せていて、生活に苦難している様子。


(もしかしたら、ここはもう青国ではないのかしら)


 だって、わたくしの青国はとっても自然豊かで、立派な建物が並んでいて、街道は広くて整備されていて、民はみんな幸せで、文化的な生活を送っているのよ。


 光あふれる地上の楽園。

 王様は神様みたいな存在で。そんな王様が民を守って導いてくれるから、みんな安心で、幸せ。


 それが、わたくしの国、サン・エリュタニア青国なのですもの。


(でも、すごく嫌な予感がするの。目を逸らして「ここは自分の国じゃない」って言っちゃだめな気がするの)


 ……だって、「悪辣な王」の悪夢をみていたから。


(わたくし、自分の国のことを調べてみるって決意したじゃない。その調べようとしていた真実が、これなのではないの?)


 これはとっても怖い現実のように、フィロシュネーには思われた。

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