7、だからシュネーは、自分の判断で死んではいけない


 この大陸の名を、ヴァリアスタという。

 北には富める大国ク・シャール紅国こうこく。中央には分裂した空と青の名をつけられた二国がある。南には、他の国とは異なる独自性を持つ国がある。


 世界が広くて、色々な国がある。

 それは、フィロシュネーにとって知識でしかなかった。

 フィロシュネーにとって世界とは、本の中に文章としてつづられた描写や、絵画に描かれた風景で想像するだけのふわふわした概念だった。


 けれどこの日を境に、フィロシュネーが知る世界は変わることになる。



 * * *


「どうして……どうして」


 黒い馬が荒野の中を走り抜ける。

 赤土が跳ねる音とともに、視界が揺れる。


 大地を駆ける黒い馬。手綱を握る男の指先には力が籠もっていた。風が彼の髪をかき乱す。見つめるフィロシュネーの白銀の髪も、同じ風に煽られて揺れる。

 黒馬は力強く前進して、砂塵さじんが舞い上がる風景を後ろに流していく。もわりとした黒い煙めいた瘴気しょうきが、砂塵といっしょに蹴散らされていた。


「馬の上……お城の外……? ここ、どこぉ……?」

  

 地平線から太陽が生まれる。

 

 その橙色の光が感情を揺さぶる美しさで、現実の急展開についていけないフィロシュネーの情緒をじぃんと揺らした。


 広がる大地は、輝く陽光を浴びても生気を感じさせなかった。黄色い煙のように砂が舞う。草も木も痩せてくたびれて、頼りない。荒涼とした風は魔笛まてきのように妖しく、ビュウヒュウと耳元で鳴いている。


 荷物のように自分を抱える男が、「寝てたほうが楽なのに」みたいな気配で自分を見る。


 この現実は、なんだろう。

 

「気がつきましたか、不憫ふびんな姫……いや……俺の駆け落ち相手さん?」

 静かな声は、自分を抱える男――『黒の英雄』サイラスの声だ。

「サイラスぅ……」

「おはようございます、姫。太陽が綺麗ですね。ショックでもう一度気絶なさったりはしないのですね」

「してほしそうに言うんじゃありませんっ」

 

 フィロシュネーは目の前の男が「青王陛下から、姫は自死はなさらないと聞いています」と呟くのを耳にして、父である青王クラストスを思い出した。

 

 無法者にかどわかされた時、王族は誇り高き自死を選んだりする。舌を噛むとか、ポイズンリングで毒を飲むとか。フィロシュネーはそんな本を持っていた。

 

「シュネー。この物語はよくないね」

 青王クラストスはその一冊を取り上げて。

「いかなる時も、自分から死んではいけない」

 そう語ったのだ。

「死ぬ必要がある時はパパが苦痛なく殺してあげる。それ以外の時は、パパが助ける」

 だからシュネーは、自分の判断で死んではいけない。

 青王クラストスは、娘にそう約束させたのだった。

 

「ゆ……誘拐犯……あなたは、死罪です……っ」

「姫は死罪がお好きですね。拷問ごうもんむごさなどはご存知でないのでしょうね」

 

 周囲の景色が凄まじい速さで後ろに流れていく。

 黒馬の足を魔法で強化して、速度を上げているのだろう。


「おばかさん。拷問ごうもんなんて、野蛮です。エレガントじゃなくってよ。ところでここはどこぉ……っ? ここ、死後の世界? あなたもしかして、わたくしと心中でもなさった?」

「心中をご所望?」

「しましぇんっ!」

「姫、舌を噛まないように気を付けてください?」

  

(誰のせいだと思っているのかしら!) 

 黒馬はやんちゃな気配で元気いっぱい駆けている。


「愛馬は、ゴールドシッターといいます」

「それはお金のお世話をする係という意味の名前かしら? お馬さんがどうやってお金のお世話をするの」

 素朴な疑問がついつい口をついて出る。それどころではないのに。

「金を稼ぐ俺の世話をしてくれる馬、という意味です」

「あなた、お馬さんにお世話されているの」

「とても」


 なんだろう。脱力する……フィロシュネーは口を閉じた。時折、黒馬の足元の影からぬるりと魔物が手を伸ばして、強化された馬脚で豪快に蹴られてあちらこちらに吹っ飛んでいったりしている。


「お馬さんって強いのね。あなたの功績、実はお馬さんのおかげだったりして? 黒の英雄は、ゴールドシッターね」

 フィロシュネーが意地悪な笑みを浮かべて言ってやれば、サイラスは気にした様子もなく冷ややかに声を返した。

「では、姫の婚約者はゴールドシッターになってしまいますね」

「わたくし、こう見えて動物好きなの。無礼な発言ばかりする男よりもゴールドシッターのほうが可愛げがあって、よい婚約者かもしれないわ」


 ツンとして言いのければ、黒馬ゴールドシッターが会話に混ざるように鳴き声を放つ。 


「ひひぃんっ、ぶるるっ」

 いななく声は、雄々しい。どんな感情でいるのかは、わからないが。

「よし、よし。しめしめ」

 サイラスが優しく馬の首筋を撫でている。この男、馬には優しい――フィロシュネーはジト目になった。

  

「その『よしよししめしめ』って、流行ってるの……?」

 フィロシュネーは微妙に脱力しつつ、自分を抱える男の身体の隙間から馬体に手を伸ばした。

「それにしても、この密着具合……! 貴い乙女の玉体ぎょくたいに不用意に触れただけで万死にあたいするというのに!」

「あなたは俺が手を放すと姫は落馬してすぐに儚くなる死ぬでしょう……何をなさっておいでで? 子ウサギさん?」 

「わたくしを動物扱いするなんて無礼ね。そえにゃら、サイラスのことは駄犬って呼んであげますぅ!」 

「舌を噛まないようにお気をつけて」 

 もう噛みました!

 

 むすりとしながら、フィロシュネーは治癒魔法を使った。手からふわふわと純白の光があふれて、黒馬ゴールドシッターが甘えるように鼻を鳴らす。可愛い。


「魔物に絡まれながらシュウキの中をずっと走っていて、かわいそう。脚が痛くなったりしないの?」

 騎手はとんでもない誘拐犯で、無礼で、死罪に値する。でも、馬は可愛い。

「ほう。それは王族がお得意の治癒魔法ですね。お小さくて何もできないお姫様だと思っていましたが」


 サイラスが目をすがめて光を見つめている。ちょっとまぶしそうだ。素直に称賛するのとは、少し違う温度感。


「感謝なさい……っ?」

「ゴールドシッターに治癒魔法をかけてくださり、ありがとうございます、姫。ところでシュウキとは?」

「あら。ご存じないの? シュウキは、禍々まがまがしい気です。人や動物に害を及ぼすような、霧状のものを指しますの」

「それは瘴気しょうき……いえ、なんでもありません」


 サイラスの大きな手が馬の首筋をぽんぽんと叩いてから、フィロシュネーの頭に触れかけて止まる。


(まさか、わたくしを撫でるのではないでしょうね? 馬のように?)

 フィロシュネーがキッとにらんで首をすくめると、指先は無言で離れた。

「危うく間違えて撫でるところでした。姫が嫌がってくださったおかげで間違いに気付きましたよ」

 淡々とした声が呟く。

 

「な、なんか……その言い方、気に入らない……」


 この男は、百回死罪にしても足りない!

 

 こうしてフィロシュネーはその日一日を馬上で過ごし。夜は道の残骸ざんがいらしき石畳のそば、ひょろりとした半分枯れかけた木の根元で、たき火を頼りに寝ることになった。恋愛物語にはあまり出てこない体験だ。


 たき火は、暖かい。ゆらゆらと赤黒い炎を揺らしている。

 火がないと真っ暗なのだ――そう思うと、怖かった。

 

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