第四話

 その夜、ひたすらに美術大学のことを調べた。

美大と一言に言っても一般大学と同様に国公立大学と私立大学があるらしく、宮古藝術大学は唯一の国立らしい。他の公立校は地方校らしいのでまず進学先の候補にはならないだろうと考えていた。私立と国立どちらがいいのかわからないまま、とりあえず学費や学科などを調べていく。

一言に美大といっても、詳細の学科は日本画や油画など、博物館でみるものから舞台美術やテキスタイルまで、康太朗の耳なじみの少ないものまで多岐にわたっていた。

「んー…学科かぁ…。」

よくわからず調べているときにふとケイの連絡先を聞いたことを思い出した。

(ケイさんはどこの志望なんだろう。)

そう思うと、自然と指先はケイへの文章を書き始めていた。


『おつかれさまです!

さっきはありがとうございました。いろいろ今学科悩んでるんですけど、耳なじみのないものばかりで正直わからなくて…。

ケイさんってどこ目指してるんですか?』


どう書き出すかを迷いながらもできあがった文章を眺める。まぁいいか、と思い送信ボタンをタップする。ポコンという音とともに出たメッセージを少し眺めてからまたPCへと向き直した。

しばらくするとスマホに通知が届いた。ケイだ。


『おつかれさまー!こちらこそ会えてよかったよ!びっくりした。

学科調べてるんだね、いいね。

私は宮古藝大のデザイン科を目指してるよ。あんまりイメージ付かないかな?

もしわかんないことあったらきいてね。応援してる。』


ありがとうございます!とお礼とともに数行添えて返信したのちPCの検索に『宮古藝術大学 デザイン科』と入力してみた。

でてくるページは入試情報を記載するページばかりでよくわからなかったが、画像検索のタブを開くとさまざまな作品であふれかえっていた。

出てくる作品はどれも先ほど調べていた日本画や油画の雰囲気とも違ったものばかりでもっと視覚的に刺激のある作品ばかりだった。

「すげぇ…なんだこれ…。」

博物館などでみかけるような作品はある意味見慣れており、確か高校の美術でも何点か見たことはある。どれも肖像画だったり時には抽象的で作者の意図が見えにくいものもあったように記憶していた。

だが、『デザイン』と調べて出てくる作品はグラフィカルなものやポスターのような作品ばかり並び、康太朗にとって期待や高揚感ある作品ばかりだった。自分も進むならデザインの世界なのだろうか。そう漠然と思いながらその夜はまた作品をとにかく見漁って過ごした。



 週末、予備校も休みな日曜日。康太朗にとっての決戦の日がやってきた。両親も今日は家にいる。そう、予備校の相談をする時が来たのだ。

デザイン科という存在に出逢ってから数日、毎晩勉強もせずにずっとPCと向かい合っていた。学費を考えるなら国立か、いや自分がそんなレベルに行けるものなのだろうか。予備校はどこがいいのだろうか。桜田美術学院はケイもいるし八幡もよくしてくれていた。だが学費は?交通費はどうだろうか。いや、そもそも美術予備校に行けると決まったわけではないし、どこまで考えるべきなのだろうか。

自分が置かれている、浪人費用を支払ってもらっているという立場に押しつぶされそうだった。ただでさえ進学もせずに予備校に通っているのに志望を一八〇度変えることに強い罪悪感をもつ。

(このまま今まで通りの志望校に進んだ方がいいのではないか。)

何度もそう思った。


 口から心臓が出そうなほど心拍数は上がりながらも八幡に貰った資料や今まで調べた情報をまとめたデータを手元にまとめる。今日は凌輔も在宅しているので両親に声をかける前に兄にも一声かけることにした。

凌輔の部屋の扉をノックする。

「……兄貴…今大丈夫?」

がちゃりと開き、凌輔が顔をのぞかせると、手元に大事そうに抱えられた資料や康太朗の顔色で両親に相談することを察したようだった。

「…あぁ、話に行くのか。大丈夫か?俺も一緒にきくよ。」

わかった、と小さく答えてそのまま凌輔とともにリビングまで降りると両親が少し遅めの朝食を済ませた頃だった。

「あら、おはよう。」

コーヒーを飲みながら母 めぐみはこちらを伺う。

「どうしたの?二人そろって。」

明らかに固まった表情の康太朗をみて何かがあると恵は察する。

何も言い出せなくなっている康太朗をみて、凌輔は穏やかに声をかける。

「母さん、親父。ちょっと康太朗が相談があるんだって。な?」

「…あぁ、うん、そうだね…。」

自分の心臓の音しか聞こえなくなるほどの緊張に両親の目を見れずに空返事をする。

恵と父 和馬かずまは顔を見合わせながらリビングの席に座るように兄弟へ声をかける。言われるままにストンと康太朗は座った。


 何から話し出せばいいのだろうか。頭の中はここ数日話し出すことをイメージしていたにも関わらず真っ白になってしまった。凌輔はただただ康太朗を見守る。

今すぐ何でもないと、この場から逃げたい気持ちと、話さねばならないという気持ちが拮抗する。

「…あの…さ……。」

どうにか振り絞って出した声は驚くほど弱弱しいものだった。

「…あの…進学先のことなんだけど…。」

緊張で震える声を抑えながら少しずつ言葉を紡いでいく。

「実は…今考えてる志望校…変えようと思ってて…それで…それが…学部も全く違うとこで、それで…。」

「どうした?文系にするのか?」

和馬が心配そうに声をかける。

「…いや、そうじゃなくて……あの…美大に進みたいんだ…。」

言ってしまった、もう後戻りはできない。

「美大?!」

和馬の声に体が委縮する。

その様子を見た凌輔はすかさず両親に声をかけた。

「まぁ、親父。ちょっと落ち着いてさ、康太朗も考えることがあるみたいなんだ。聞いてやってよ。」

凌輔は知ってたのか。と和馬に問われると、まぁ少しだけね、とだけ答える。

続けなさいと恵に促され、少しずつ話始めた。

「実は、ちょっとしたきっかけだったんだけど、たまたま人の手で描かれた作品を目の当たりにして……それがすごいきれいで感じたことのないほど…衝撃で…。感動しちゃって、美術のこと調べるようになったんだ…。AIが創ったものじゃないって、すごいエネルギーがあるっていうか、活きてるみたいで。」

どうしてもうまく言葉がでず、のどに詰まる。

「それで?」

静かに恵が問う。

「…それで……もしそういうこと、俺でも勉強できるならって思って、実は美術予備校にも面接行ってて。」

面接まで行ったのか、と和馬と恵は顔を見合わす。

「俺も、今浪人させてもらってるし、たくさん学費もだしてもらってるのわかってて。だから、ものすごい申し訳ないんだけど、俺、俺、美大目指したくて…。でも、今美大行っても就職できるのかとか、わかんねぇし、ムボウだってわかるけど、もしかしたらって思ったらあきらめきれなくて。」

話しているうちにじんわりと浮かんでくる涙を堪えながら言葉を続けた。

「それは予備校の資料なの?」

恵は康太朗の手元にある資料を指す。

うん、と答えながらも資料を両親へと渡した。

受験資料に両親二人して目を通す姿を康太朗は眺めるしかなかった。

ひとしきり見終わると恵が話し始める。

「母さんたちがね、まだ高校生の頃、ずいぶん前だけど美大に進むって学生は今よりも何倍も多かったのよ。」

思ってもなかった話し出しに康太朗は驚きを隠せなかった。

「それで、目指す子たちが見てるものと自分の見てるものが全く違うんじゃないかってくらい発想も出てくる作品も素敵でね。ちょっと憧れちゃってたことを思い出しちゃった。」

「ちなみに康太朗はどんなことを勉強したいんだ。資料みる限りだと絵画とか彫刻とか学科はあるようだが。」

恵に次いで和馬が続けた。

「…まだ、悩んでて、俺もすごい詳しいとこまでは調べられてないんだけど、絵を描くとか衣装創るとかってよりはデザインって学科が今は興味あって。」

「デザインかぁ。」

和馬が腕を組んで考える。

「父さんの意見だが、いいんじゃないかと思うよ。最初はそりゃびっくりしたけど、康太朗も調べたようだし、自分で面接に行くほどなら本当に気まぐれって訳でもないだろう。詳しくないがデザインなら工業デザインだったりポスターとかだったりも勉強できるんじゃないか?この先十年、二十年先にAIとかもっとすごい技術は発展してるだろうけど、そんな中でもデザインなら需要はあるんじゃないかなぁ。」

「…目指してもいいってこと…?」

「学費についてはどのみち浪人する限りかかるものだし、気にすることはない。父さん達は同じ金額でも康太朗がやりたいことをやってくれる方がずっとうれしいよ。」

そうね、と恵が返す。

「それに、凌輔の時と比べたらずっとまともよ。凌輔なんて何か調べてくるとかもなく、漠然と『工学系に進みたい!』って言われて母さんたちびっくりしちゃったんだから。」

笑う恵を前に凌輔はもう過ぎた話だろうと苦笑いをする。

「うちの子たちは自分のやりたいことがはっきりしてていいですね。」

そういって両親は笑いながらもコーヒーを飲む。

想像を超えて両親が肯定的な姿に安堵して目からぼろぼろと涙がこぼれた。

「……ありがとう……ごめんなさい…。」

よかったな、と凌輔は康太朗の髪をくしゃくしゃと撫でた。


今はただ安堵に浸ることしかできなかった。

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