第三話

 ぱっと声のする方に顔を向けると見覚えのある洋装の人物がいた。

「…ケイさん…?!」

ケイは手に筆を何本もまとめて持ち、もう片方の手には黄色のバケツのようなものを抱えていた。

キャップ姿で夜にしか見かけたことはなかったがピンクがかったベージュの色味の髪をざっくりとまとめていた。一重で若干つりあがった目元に口元のほくろが印象的で、何度か会ったことがあるにもかかわらず新鮮に感じた。

「あれ、嘉島かしまさん、知り合い?」

ケイの方向へ振り向きながら八幡が投げかけた。

「あ…はい、ちょっとした顔見知りです。道具片付けてきます!」

そういうと少し恥ずかしそうにささっと水道場まで道具を運んで行った。

「…カシマさんって…ケイさんのことですか?」

一瞬なんのことかわからなかった様子だったが八幡はすぐに気付いたようだった。

「あぁ、ケイってのは嘉島さんが自分で名乗ってる名前で所謂屋号クリエイターネームってやつだよ。嘉島のKをとってるみたいで学生間でも愛称になってるみたいだよ。」

へぇ…と話を聞いていると大急ぎで片付けてきたのかばたばたとケイが再びこちらにやってきた。

「八幡先生!シラタくん、うちに通うんですか?!」

ははは、と笑いながら八幡は答える。

「嘉島さん気が早いよ、まだ相談だからそんな焦らせちゃだめだよ。」

そういわれて少しふくれたケイは康太朗に向かい直す。

「本当にこっちの世界に興味持ってたんだね!なんだかうれしくなっちゃった!やっぱりまた会えたね。」

「いや、まぁ、まだ悩んでるっていうか、両親にも話さなきゃなンでなんとも…。でも予備校で会うとは思いませんでしたね。」

「そうそう!自分の人生だし、ゆっくり悩んでね。あ、でも時間そんなないのかな、いや、うーん。でも焦っちゃってもよくないし、難しいけど…とにかく納得のいく方向に進めたらいいね…!」

どこかうれしそうなケイは息つく暇なく話す。

「ありがとうございます。ケイさんて、嘉島さんっていうんですね。名前かと思ってました。」

そういうとケイは少し不貞腐れた表情をみせた。

「……あんまり自分の名前好きじゃないんだよね…。ケイの方がかっこいいし、作家になったら絶対そう名乗るんだ。」

「そうなんですね。じゃあ、やっぱりケイさんって呼びますね。」

そうして!と答えるとケイはけたけたと笑った。

「…じゃあ、奇跡の再会もあったみたいだし、今日はここら辺にしとくかな?」

八幡は笑いながら康太朗に提案した。

「これ、資料お渡しするのでちょっと考えてみてください。もしうちにご縁があればいつでも協力しますよ。」

そういうといくつかの美大受験に関係する資料を渡され、丁寧に鞄にしまった。

その日はケイと連絡先を交換して桜田美術学院を後にした。



 家に帰り、リビングで荷物を整理していると二階から階段を下りる足音が聞こえた。

顔を上げると眠たげな兄、凌輔りょうすけの姿があった。

「あれ…お前か。早いな。今日。」

寝ぐせの付いた髪を掻きながらあくび混じりにかけられた言葉にぎくりとする。


 凌輔は五つ離れた兄で、エンジニアリングを職にしている。普段は在宅で仕事をすることも多く、遅くまで作業をするため起きる時間は比較的ゆっくりだ。両親は共働きで昼間は家を空けるのだが、その間凌輔が家事をこなすことも多い。

今日はいつもより早く家に帰宅した音を聞いて下りてきたのだろう。


「あーうん、まぁ、ちょっとね。」

必死に言い訳を考えていたが何も言葉が出てこなかった。もちろん兄にも美大のことは相談していない。

どうにか隠そうと考えている間にひらりと凌輔はそばに出していた予備校資料を持ち上げた。

(まずい…!)

そう思った矢先に内容を読まれてしまった。

「…あ?なにこれ…無料体験講義…?……美術大学?!」

何を考えているんだといわんばかりにこちらに視線を向ける凌輔。

「え、おまえいつから美大目指してんの…?」

苦笑いしながらも凌輔は尋ねる。

「……いや…まだ、悩んでて…でも……すげぇ興味もっちゃって…。」

凌輔は溜息をつく。

「ンまぁ…そうだな……ひと昔前、俺がまだ中学くらいの時にはまだ美大って行く意味ある雰囲気だったけど…今どうなんだろうな…。上司に宮古みやこ藝大卒業のエンジニアもいて、やっぱすげぇっていうか応用効く人多いしなぁ。……今まで目指してたとこじゃダメなの?」

「俺は…俺は……数式とか、化学実験とかの世界しか知らなかったから、考えたことなかったんだけど…。でも、この間、実際にヒトが描いたものを間近に見る機会があって、素直にすげぇなって…思っちゃって、それで…。俺も、誰かに衝撃を与えられるようになりたいって…思っちゃったんだ…。でも、できるかわかんねぇし…。」

ははは、と凌輔は笑いだす。

「…兄貴にはわかんないんだろうな、どうせ。」

「いや、わかるよ。」

凌輔は続ける。

「俺もさ、実は最初は文系だったんだよ。んで、毎日英文とか読む生活すんだろうなって漠然と考えてたんだけど、ある日さ、工学系に進んだ人の話を、なんだったかな、テレビかなんかで見たんだよ。そん時衝撃受けちゃってさ。俺これやりたいって思ったんだよな。結局そのテレビで見たのとまったく同じ職ではないけど、今やってることってすげぇ楽しい瞬間あるし、根拠とか自信のないチョッカンってやつは大事だと思うぜ。」

凌輔が文系だっただなんて知らなかった康太朗は話を聞いて驚きを隠せないのと同時に、凌輔が肯定的だったことに意外だった。

「あ、でも親父おやじたちになんていうかは考えなきゃだめだぞ。それなりにちゃんと必要なものとか、どうしたいかとか、伝えないと。特に今美大ってサ、あんまいいイメージないし。」

「……わかった、今調べてみてはいるから、情報まとめとく…。」

「よし、じゃあそんなもんで。俺は昼めし食って仕事してくる。」

そういってキッチンに向かい、凌輔はがさがさとカップ麺を取り出した。

「……兄貴、ありがとな…。」

あいよ、とカップ麺を開きながら手をひらひらと振る。

まさか家族に肯定的に迎えてもらえるとは思っていなかったが、なんだか少しだけ自信がついた気がした。

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