第6話

 高林君の件も手伝ってか、社内でもマスクをする人が増えてきた。しかし、そんな中でも鷹井はマスクをせずに平然としていた。

 この女の嫌なところは、前にも言ったように、他人のプライベートゾーンにずかずかと入ってくるところだ。それも精神的な意味だけでなく、物理的にも。

 鷹井はとにかく顔が近い。最初のうちはまだいいのだが、話が盛り上がってくると、彼女の顔は自分の表情を覗き込むような姿勢になってくるのだ。傍からの視線も気になっている様子はない。

 わたしから言わせれば、彼女は感染症を振りまく温床でしかない。マスクもせず、顔をどっぷり近づけて話しかける。表情には出さないようにしていたが、わたしの内心はイライラしかなかった。



 何が腹立つって、話す内容も全く中身の無いものだった。


「この前面白いことがあったんだけど」


 話し始めは大体ここからである。自分で勝手にハードルを上げてくる。


「この前お風呂入ってた時にね、シャンプーしようと思ったの。でもシャワー浴びてた最中だったから目が開けられなかったわけ。だからどこにシャンプーがあったのか分からなくなったわけ。で、うちリンスも置いてるから、シャンプーとリンスの見分けがつかなくなって。これがシャンプーかもって思ってプッシュして頭につけたら泡立たないの。だから無理矢理目を開けたら、やっぱりリンスでさ。いきなり髪の毛つるつるになっちゃったの」


 そしてこのように大抵面白くない。こういうたぐいの話を聞いてる私の顔は、苦笑いという言葉がそのままぴったり当てはまるものだった。

 こういうのを聞いてると、わたしも友達との飲み会ではこんな感じで面白くない話を得意気に披露しているんだろうかと、考えさせられてしまう。


「みんなマスク着けるようになったよね~」


 おまけにデスクはわたしの隣ときた。だからこうやって就業中でも話しかけてくることがある。


「まあ、この前の件もありましたしね」


 仕事を続けながら、適当に返した。


「みんな気にし過ぎだと思うけど」


「鷹井さんは着けないんですか?」


「ん~、もっと他の人もつけるようになったら着けるかもしれないけど~」


 流されやすい女だ。


「今ほら、中国で変な病気流行ってるでしょ?」


「そう言えばそんな話ありましたね」


「そうそう。あれが日本に来たら分かんないよね」


 そんなこと言わずに感染症の季節には着けとけよ。

 まあこれは自分の価値観だから彼女に押し付けるつもりはないが。

 いや、それ以前に仕事の集中を妨げることをするなよ。


「まあそんなことないだろうけどね」


 仕事終わりに軽くネットニュースを見る習慣がついているのだが、ふとこんなニュースを見かけた。


「中国で謎の肺炎が流行 原因は?」


 わたしが見たのは表題だけだったが、おそらく噂されている肺炎のことだろう。記者の嗅覚というのは、かく恐るべしものなのか。

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