第5話

 気がつけばもう師走である。

 近頃社内では、海外事業を担当している社員を中心に、中国で流行している謎の肺炎の話題で持ちきりだ。その社員が言うに、現在その肺炎について分かっているのは、風邪のように感染力が強く、重症化しやすいということくらいだった。特に中国は環境も相俟あいまって多くの重症者を出しているらしく、病院もパニックになっているらしい。


 だが、日本も日本で本格的にインフルエンザの季節を迎えていた。わたしは予防接種こそ受けていないものの、マスクのおかげか東京に来てから風邪一つひいたことがない。ある意味都会の空気に感謝せねばなるまい。

 社内でも何名かインフルエンザを発症した人がいるらしく、その穴埋めに追われているようだった。

 経理部では、今のところインフルエンザも含めて病欠はいない。

 しかし和泉部長の顔はそれとは別に曇っていた。結局忘年会に人は集まらなかったらしく、それで落ち込んでいるのだった。ただ一人、今期入社の新人、高林たかばやし君だけが行けますと答えたそうだが。多分新人だから気を遣ったのだろう。

 一応新年会は開くことができるそうだ。多分わたしのような答え方をした人が多かったんだろう。新年会なら行けますよ、みたいな。


 高林君と言えば、この前困ったことがあった。

 結論から言うと、38℃を超える高熱であったにもかかわらず、無理矢理出社をしてきたのだ。

 後から彼に訊けば、新人という立場上、何があっても休んではいけないと思い、どうにかして出社をしたのだという。

 でも、入ってきた彼の様子が明らかにおかしく、社員の一人がたまたま体温計を常備していたから、高林君の熱を計ったのだった。結果とんでもない高熱だったわけだ。


「だめでしょ高林君! 熱がある時は無理しちゃだめ!」


 体温計を渡した伊丹いたみという社員が注意した。


「ほんとほんと。高林君、よかったらわたしが看病に行こうかぁ?」


 こういう時に出張ってくるのが平田である。彼女は本心でものを言っていない時だけでなく、狙った異性に対しても語尾に小さい「ぁぃぅぇぉ」がつくのだ。平田は真面目で可愛げのある年下の高林を狙っている。

 しかし高林君はそんなこと一切気にも留めていない。


「お気持ちだけ受け取っておきます。ご迷惑おかけしてすみません」


 この様子を見ていた和泉部長だけが彼を誉めていた。


「いやあ、素晴らしいね。君は仕事熱心だ。体調が悪くても、それをして仕事に取り組む。素晴らしいよ。最近はちょっと熱が出ただの怪我をしただのって言って休むやつが増えたからね。みんなも高林君を見習いなさい。弱音を吐いちゃいかん」


 これを聞いて、伊丹さんが珍しくキレた。普段は物静かで、先程のようにピンチになったら駆けつけてくれる頼りになる人なのだが。


「部長、さすがにそれは違うんじゃないですか! もし高林君がもっと重い病気だったらどうするんです! 部長が責任取るんですか!」


 そのあまりの激昂に、和泉部長はおろか、わたし達も気圧された。

 高林君もさすがにまずいと思ったのだろう。


「今日はやっぱり早退します。病院に行って薬もらってきます」


 そう言って足早に去っていった。

 多分ここに原田部長がいたら、伊丹さん程じゃないにしろ、同じように注意をしていたんだろうなとは思う。


 ちなみに高林君は大きい病気ではなかったが、それでも三日程は寝込んでしまったそうだ。本当に病気だけが原因かは、わたしには分からない。

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