幕間の三、

 幕間の三、


 きつはまだ何も気づいていない、『酒呑童子』を名乗る者の正体も、怨霊街の秘密にも——あの天狗はただの天狗ではなかった。


 大陸で名を馳せた実力者、その名を、是外坊ぜがいぼうという。


 ——昔、唐の国に、是害坊という名の天狗の首領がいた。


 是害坊天狗は自分の力を世に知らしめようと日本にやって来て、愛宕山の日羅坊天狗に案内役を頼み、比叡山の僧侶と戦う事にした。


 だが、是外坊天狗は返り討ちに遭い、瀕死の重傷を負う。


 日羅坊天狗は是害坊天狗の事を哀れに思い、湯治に誘い、彼は傷を癒した後、唐に帰った。


 と、ここまでが世に伝わる『是害坊絵巻』のあらましだったが、その後、彼はどうなったのか?


 薄汚れた着物の女は知っていた。


 なぜか——当の本人から、直接、聞かされたからである。


「あの時、比叡山の僧侶どもは、瀕死の重傷を負った私の事を莫迦にして、笑い物にしたのだ。挙げ句の果てには、日本の天狗達まで私の事を邪魔者扱いして、治療の為と称して体よく山から追い出した。私は、連中から、蔑ろにされたのだ! 私も他人の事情など知った事ではない、皆等しく、我が獲物よ!」


 是害坊天狗は怨霊街を興している時、事あるごとに言った。


「お前もよほど、悲しい思いをしたのだろう? だが、この世は殺すか殺されるか、食うか食われるか、そして、騙すか騙されるかだ!」


 彼は怨霊街でお座敷遊びを提供する為に、芸妓の稽古をつけた後、寝物語によく語ったものである。


「ならば、今度は私達の番だ! 自分の事を嘲笑った者や、傷つけた者達に対して、私とともに、復讐するのだ!」


 薄汚れた着物の女は、是害坊天狗に抱かれながら、その通りだと思った。


「この世は力が全てだ! 誰もが皆、強さを望み、己を磨く!」


 お説、ご尤もである。


 なぜ、こんな事になってしまったのかなどと、今更、思い悩んでどうする?


「それとも、お前は、誰かに一方的に傷つけられて、笑われるだけの人生を望んでいるのか?」


 否。


 断じて、否。


 いつまでも打ちひしがれていても、何も始まらない。


 薄汚れた着物の女は、妖術や体術を学び、復讐を成し遂げられるだけの力を手に入れた。


 だが、薄汚れた着物の女の運命は、ある日を境にして、一変した。


 結局、是害坊天狗に玩具のように弄ばれただけなのだと痛感した。


 薄汚れた着物の女は気づいた時には是害坊天狗の子どもを身篭っていたが、彼にそれを告げた途端、汚いものでも見るような目で見られたのである。


 そして大事な話があると人目につかない場所に誘い出された後、いきなり斬りつけられたかと思えば、乱暴に縄で縛り上げられ、海に捨てられた。


 大海原にぽつんと浮かぶ孤島に運よく流れ着き、命拾いした事で、思い知った。


 この世は殺すか殺されるか、食うか食われるか、騙すか騙されるかなのだ、と。


(きつ)


 洞穴の入り口に寝そべるようにして、その名を呼び続けた。


(早く助けに来て、きつ)


 雨風が打ちつける岩場の向こうに、骨張った真っ白な手を伸ばして、必死に助けを求めた。


 彼女の周囲にはまるで獣が食い散らかしたように、妖怪や人間のものらしき肉片が散らばっていた。


 他に人けのない孤島には強風が吹きすさび、誰のものとも知れない血肉が、いつまでも粉雪のように舞っていた。

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