第9話 美味しい手土産(中略)作戦
「あーららー」
兄につきあっていることがバレたと報告すると、彼女はフランス語風にそう言って笑った。
「いつかはこうなると思ってた」
「こっちは大変なんだって。二言目には『彼女持ちはいいよねー』って言われてさ」
彼女がいると知ったときからもう一週間経つとというのに、うちの中はずっと変な雰囲気だ。
家族のなかで唯一人間界までついてきてくれた弟を見も知らない女にかっさらわれるのが受け容れられない。
孤独が怖い。
自分だって恋人が欲しい。
温かい家庭を築きたい。
そういう主旨のことを、酒のかわりに無糖のりんごジュースを飲みながらぽつぽつ言う。いかにも自分は耐え忍んでいる可哀そうなやつなんだと言わんばかり。家の中が湿っぽくなって困る。カビが生えそうだ。
愚痴はいくらでも垂れ流せるくせに、僕が何の気なしに兄の顔をじっと見たりすると心の変なところでも刺激されるのか「そんな目で見るなああああ」と半ギレ半泣きで自分の部屋へ逃げていく。
ウザいことこの上ない。
「でもいつまでも隠せるもんじゃないでしょ。潮どきだったんだと思う」
彼女はつるつると味噌煮込みうどんを食べている。見切り品のごぼうや蓮根をたくさん入れて、彼女のアパートの台所で僕が作ったやつだ。簡単・ヘルシー・お財布に優しい。
タヌキらしく夢中になって食べる彼女は僕にとっては最高に可愛い。愛嬌たっぷりな顔立ちに、明るい褐色の丸い目。ちょっと僕より色の薄い毛並み。テクスチャも最高だ。
彼女は僕ら兄弟より人間暮らしが長い。同郷ではあるが、宅地開発されたあたりに住んでいたから、ご両親は幼い彼女を連れて流れ流れ、人間界にデビューせざるを得ない状況に陥ったんだとか。そのせいで、彼女は僕ら兄弟よりずっと街暮らしに馴染んでいる。この辺では結構ありがたがられている量販店で正社員として働いていて、同じ職場でアルバイトとして働く僕よりずっと稼ぐ。
代わりに、彼女は料理や洗濯などなど、トイレ掃除以外の家事はあまり得意じゃないから、結婚したら彼女が稼ぎ手で、僕は細々とバイトを続けながら家事を担当をするということで話は落ち着いている。僕も彼女も願ったり叶ったり。
「私、あなたと堂々とつきあいたいの。お義兄さんに遠慮とかせずに」
彼女は箸を置き僕の手にそっと手を載せてきた。かわゆい。
「だから、今度、私、お義兄さんにご挨拶に行こうと思うのよ。いい考えだと思わない?」
「へ?」
「ほら、お義兄さん、美味しいもの大好きでしょ? たくさん美味しいものを手土産にしたらきっと落ち着いて、私たちのこと認めてくれるんじゃない?」
言うこともおっとりとスウィート。
さすが僕の彼女。
「うちの兄ちゃん、ああ見えて以外と頭いいからなあ……」
「どんなに頭がよくてもおバカでも、タヌキはタヌキよ。お饅頭やシュークリームの誘惑に勝てるわけないって」
確かに。彼女自身がそうだし、僕だってそうだ。
食べ物を前にすると理性が吹っ飛ぶのはタヌキには逃れられない
彼女は兄をあまり悪くは思っていない。
以前、こっそりと遠くから我が家を見せたときのことだ。
安い文化住宅をぶった切って一戸建てにしたような、古い賃貸の家。
庭は物干しと家庭菜園のまわり以外は雑草が茂っている。特に必要もないのに草むらを丸裸にするのは、タヌキの流儀ではないと僕は思っている。
人間から見るとみすぼらしいんだろうけども、僕らには住みよい家だ。彼女もいい家だと言ってくれた。
そのとき、ガラッと掃き出し窓が開いて、兄が庭へ下りてきた。なぜか上半身裸で。
人間でいるときは、すべての所作が貴公子みたいに見える。
彼女が兄の美しさに息をのむのがわかった。ちょっと心がチリっとしたが、タヌキの化け姿における反比例現象を彼女もわかっているから、黙っていた。
僕らの注視のまっただ中で、兄は「證誠寺のたぬきばやし」を歌いながら、自分の腹部を殴り始め、四回目で手を止め顔を歪めた。
「いったぁ……」
相当強く殴ったらしい。本当にぼんぽこ鳴るとでも思っていたんだろうか。これじゃ貴公子じゃない、奇行士だ。
彼女は呆気にとられている。自分の彼氏にこんな身内がいると知ったら、誰でもそうなるだろう。
僕らの度肝を抜いたまま、兄は悄然と家の中へ戻り、サッシ窓を閉めた。
僕の留守中に何やってんだ、あいつ。
僕は兄のちょっとアレなところを彼女に見られて、いたたまれない気持ちだった。
一方、それ以来、彼女は兄に変な親しみを覚えているらしい。兄と話し、本来の兄の姿を見たらどうなるかわからないが。
うどんを食べ終わると、食器を台所へ持って行って二人で後片付けをした。
僕が洗った食器を拭いて食器棚にしまいながら、彼女は、手土産にはフルーツの盛り合わせも見映えがする、アイスクリームのセットも素敵、と楽しげだった。
「名付けて『おいしい手土産を持って行ってお義兄さんと仲良くなろう』作戦よ!」
「長すぎるよ」
「いいの! ねえ、お義兄さんに話して、アポイントメント取っておいてね」
彼女は自信たっぷりだ。
僕はやっぱり不安だった。
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