第25話 看病

 大学へ来てからというもの、一向に集中できる気がしない。

 真奈美が風邪を引いているのに、何で俺は大学に来ているんだ。


 今日は機械実験で、集中しないといけないのに。


「杉本? おーい、生きてるか」


 ぼんやりとしていた俺の前で、パタパタと手を振る高木。

 そう言えば同じ班だったな。番号順だからまあ妥当か。


「ああ、生きてるよ」


「何かあったか? ぼんやりして」


「まあ、ちょっとな」


 俺のトーンの低さに何かを感じたのか、高木もテンションを1段階下げて静かに問うてきた。


「嫌なことでもあったか? それとも心配事か。どちらにせよ困ったら言え。できる限りなら手伝う」


 その言葉に少しだけ救われた気がする。

 軽い冗談が言えるぐらいには。


「なら実験のデータを俺の分まで取ってくれ。礼は購買の好きなパンで」


「うっ、それはちょっと厳しいな。1人分でもやっとだろ」


 そのデータが1人1人少しずつ異なるため、結果も個人個人で別物となってくる。

 そしてその結果によりレポートの書く内容が異なってくるため、知り合いと結託して写しあうのは不可能だ。

 休んだらデータが取れずレポートも書けない。


 事前にどうしても外せない用事がある場合以外欠席は出来ないため、もうどうしていいやら。

 風邪などで休む場合も病院の診断書が必要らしい。


 仕方が無いが、これだけ終わらせてさっさと家に帰ろう。


 ある程度データが集まった頃、一旦休憩となった。

 あと1時間以上はここに拘束される。

 トイレだけ済まし、実験室の隅で1人ポツンと佇む。


「体調はいかがですかな杉本さん」


 そんな俺にわざと軽快な調子で絡んでくるのは1人だけ。


「何だよ高木。良いか悪いかで言えば俺は『良い』な」


「そっか。じゃあ家に帰りな」


「はい? どうしてまた急に」


 突然何を言い出すんだこいつは。

 帰りたいけど、一応これは留年が掛かっている。

 データが無いと本当に……


「まーまーそう言わずに。データなら俺が取っておくから。先生には『親戚が不幸にあったと連絡が来たので帰りました』って伝えとくから」


「良いのか?」


 本当にそれが出来るならそうしたいが。


「あれ? あの親戚の子元気無い感じじゃないのか? 俺はてっきり風邪でも引いたのかと」


 エスパーかよこいつ!?

 なんで気が付いたのかは定かではないけど、お願いできるなら頼みたい。


「そう! 今真奈美風邪引いたんだよ。早く看病しに帰りたいんだけどさ」


「そうか。ならやっぱり帰りな。データは俺が取るから」


「でも1人分で限界だろ?」


 他人のデータが取れるのなら最初からお願いしていたところだ。


「大丈夫。今からは全員共通の値だ。その確認のための実験だから寧ろ値は同じじゃないとおかしいってわけだ。ちなみに始めに説明があったぞ」


 全然気が付かなかった。

 そうだったのか。

 真奈美が心配で全く頭に入っていなかった。


「と言うわけで、ここは俺に任せて先に行け! あ、家に行け、が正解だよな」


「ありがとう! 購買のパンにお菓子も追加だ。じゃあまた明日な」


 急いで荷物をまとめ、家に走る。

 昼に近づき気温が上り詰めている街の中を抜けて、アパートへと到着する。


「真奈美、大丈夫か!」


 部屋に入ると、布団の中熱にうなされている真奈美の姿が。

 熱さからか寒気からか、苦しそうに身を寄せたりよじったりしている。


「って熱!?」


 おでこを触ると、確実に朝よりも体温が上昇している。

 おそらく38℃は超えている。


 なにが「寝てれば治る」だよ。

 寧ろ悪化してるだろ。


 今更行っても仕方が無い。

ひとまず冷凍庫に入れていたペットボトルや氷を袋に詰め、タオルで巻いて即席の氷枕を作る。

 脇にも入れて、動脈を冷やそう。


 あとは何をするべきか。

 水、はあるけど今はポ○リのが良いよな。それから食べやすいご飯と、デコピタと薬も買うか。

 あ、マスクもないな。


 あ、そうだ。明音にも一応連絡しておかないと。


 本当は傍にいたいけど、必要な物を買いに行かないとな。

 そうと決まれば薬局に向かおう。


「……まっ、て。どこ、行くの?」


「真奈美? 目覚めたのか」


「またおいてくの? るい」


 意識が混濁しているのか、俺を誰かと間違えているようだ。

 手をゆっくりと伸ばし、縋るようにこちらへ向けてくる。


「おいて、いかないで。るい……」


 るい、……累。ああ! 真奈美の彼氏だ。


 そっかぁ、深層心理ではその累って彼氏の方が心の支えなんだな。

 お父さんショック……。

 まだ父じゃ無いけど。


 まあそれは今置いておいて、ひとまず買い物に出掛けないといけない訳で。


「はぁ。大丈夫だから。置いていかないから」


 今はこんな言葉しか掛けられない。

 そのまま眠ってもらうのが1番良い。

 せめてもの安らぎとして、頭だけ撫で続けた。


 それから数分でまた真奈美の意識は途絶えていった。

 急いで薬局に行き、必要な分だけ購入して帰宅。


 家に帰るとまだ真奈美は眠っていたので、ひとまず買ってきたデコピタだけ額に張っておく。


 頬に触れるとまだまだ熱は引かず、苦しんでいるように見える。


 まさか雨に打たれて風邪を引くとは思わなかった。

 昨日の雨は強かったから、ずっと濡れていれば風邪を引くのは仕方が無いかもしれないけど。

 それでもいつもの元気な姿からは想像できなくて、どうしてだろうと考える。


 ふと顔を上げると、部屋の隅に置いてある段ボールが目に止まった。

これは真奈美が内職でせっせと作っているボールペンだ。

中を覗いてみると、その数5千はある。中の仕様書に書いてあった。


 その大半が完成されており、どれだけ時間を掛けたのかが垣間見えた。

 最近は「楽しいから」とずっと続けていたけど、少なからず体に負担は掛かっていたようだ。

 それに、よくよく考えて真奈美は30年先から飛ばされてまだ1ヶ月も経っていないわけだから、それだけでも身体的、精神的な疲労が無いわけが無い。


 もう少し、真奈美の事を観てやれば良かったと後悔する。

 1月一緒に暮らしていても、普段明るく振る舞っているから気が付かなかった。


 同居人として、父親として、もう少し体調面でも気に掛けていこうと決意する。


 そんな俺の決意の最中、「うう~ん」という呻きと共に真奈美が目を覚ました。


「知らない天井だ」


「嘘つけ。ここ1ヶ月見てきただろ」


「あ、ほんとだ。お父さんの家か」


 どうやら夢か何かと勘違いしたらしい。

 それかさっきみたいに意識の混濁でもあったか?


 でももう俺の家と認識したようだし意識は正常だろう。


「よう、おはよう真奈美」


「ん、お父さんだ。大学は?」


「そんなこと気にするな。熱は?」


 起きて真っ先に聞くことがそれか。

 他人よりも自分の事を心配しろよ


「んー、下がったっぽいよ。さっきより体が楽なんだー。あれ? デコピタだ。張ってくれたんだ、ありがとう」


「『熱下がった』は信用出来んな。逆に上がりすぎてバグった可能性大だぞそれ」


 ほら、と体温計を渡し、熱を測らせる。


「大丈夫だと思うんだけどなー。ほんとに軽いんだよ? あ、測れた。…………え? 39.2℃?」


「ほれみろ。神経熱でバグってるじゃん。って高えなおい!」


 39.2℃だと? 超高熱じゃんか。

 普通に病院案件なんだけどなこれ。


 ああーでも保険証も証明書も何も無いんだった。

 取り敢えず今できることは。


「解熱剤飲め。それからポカリと水と薬も飲みなさい。お腹は空いてる?」


 ペットボトルの口を開け、真奈美に飲ませる。


「ちょっとー、自分で飲めるって。お腹はあんまり空いてないかな?」


「薬飲んだらまた寝ろよ。熱下がるまで絶対安静」


「はーい。でも眠くないけど寝れるのかな」


「それでも寝るんだよ。あとはい、これ。マスク」


 渋々といった感じで受け取り、マスクを付けて目を閉じる真奈美。

 「眠れるか心配」的なことを言っていたのに、もうすでに寝息を立てている。


 真奈美が寝ている間に出来るだけ課題を終わらせ、夜も看病できるように備える。


 途中高木からデータをまとめたプリントが写真で送られ、真奈美の様態を心配するメッセージが送られてきた。

 今は安静にしているから大丈夫だと返信する。


 高木には本当に感謝しかない。

 今度パンとお菓子とジュースを奢ろう。


 それから数時間眠り続け、真奈美が再び目を覚ましたのは夕方4時頃の事だった。


「あ……、おとうさんおはよー」


「おはよう。体調はどうだ? いや、熱測る方が確実だな。よし測れ」


「ごういん~。でもまあいいよ。今度こそ良くなってるから」


 ピピピッという電子音がなり、体温を確認する。


「やった~、37.8℃だよ」


 ほら、と体温計を見せてくるけど、まだ熱があるな。

 解熱剤のおかげか大分マシにはなっている。


「よかったよ。でもまた上がるだろうからまだ寝ていろ」


「うん。あーでもお腹空いたかも」


「分かった、準備してくる」


 食欲がでるくらいには回復しているようで安心。


 さっそく台所に向かい軽食を作る。

 おかゆ? そんなものは作りません。

 杉本家は代々米派だが、こと看病に関してはパン派なのだ。


 何故かは知らないが母が作っていたので俺もマネしてみた。

 小鍋に牛乳を適当に入れ火に掛ける。

 一口サイズにちぎった食パンを放り込んで砂糖と蜂蜜を加えれば完成。


 一人暮らしを始めてから時々作り、母の味を再現することに成功した。


 卵を入れても良いけど、それは焼いていないフレンチトーストだよな。


「はい、お待たせ」


「わあ、パン粥だ」


「熱いから気を付けろよ」


 スプーンで掬い、フーフーと何度も息を吹きかけて、小さい口に入れ込む。

 まだ倦怠感はあるみたいで、いつもより咀嚼がゆっくりだ。

 そして声色もトーンも元気がない。


「うん、美味しい。さすがお父さん。やっぱり、この味だよね。昔から風邪を引いたらいつも作ってくれて、それが美味しいんだよね。このパン粥と同じ味、お父さんの味。…………お父さんは、やっぱり『お父さん』なんだね」


 俺はただひたすらに、真奈美の語る言葉を聞いていた。

 最後の言葉には、真奈美なりの解釈があったのかなとふと思う。


 俺達は血の繋がった親子だ。だけど、まだ出会って1ヶ月の他人でもある。

 特に真奈美からすれば、俺と明音は『お父さん』と『お母さん』だけど、『父親』と『母親』ではない人だ。


 その認識の違いも真奈美の中でストレスになっていたのだろうか。


 真奈美は食べる手を止めて、スプーンも鍋に置いて静かに続ける。

 次第に瞳は潤いを始め、溜めきれなくなったものが涙となって頬を伝う。


「それからね、お母さんは、卵がたくさん入ったプリンを作ってくれるの。お父さんのパン粥を食べた後にお母さんの卵プリンをデザートで食べるの。……また、食べたいな。また、会いたいよ…………お父さん、お母さん。……累ぃぃ」


 堪えきれなくなったのか、一気に感情を爆発させるように泣きじゃくる真奈美。

 俺にはなんて声を掛けて良いのかも分からない。

 せめて落ち着くように、そっと抱きとめ背中をさする。

 今俺に出来るのはせいぜいこれくらいしかない。




 どれだけ泣いただろうか、パン粥はもう冷めてしまっただろう。

 でも構わない。


 真奈美が落ち着いて、またいつものように笑ってくれるなら何度だって温め直そう。


「………………もう、大丈夫だよ。ありがとうお父さん、大分落ち着いた。明日からはいつも通りに戻れるから。ごめんね、服も濡れちゃったし、ずっとくっついてて。風邪移るかもしれないのに」


「そんなのどうでも良いよ。無理だってしなくてもいい。疲れたら休んでも良いし、困ったら頼ってくれ。頼りがいは無いけど一応俺は『お父さん』だからな。それから今度、卵プリンだっけ? 明音に作って貰おうか」


「うん、ありがとう。楽しみにしてるねっ」



 この少し後、大慌てで家にやってきた明音がこの光景を目にし、安堵と不安と嫉妬を抱くのだが、それはまた別のお話。


 今は、真奈美が元気になったことが何よりも嬉しいから。

 あ、でも熱はまだまだあるから元気ではないか。


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俺と恋人は将来結婚して娘を授かるらしい。そいつが今目の前にいる ~同い年の娘が未来からやってきた~ 色海灯油 @touyuS08

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