第24話 風邪

「それじゃあお父さん。いってくるね~」


 元気よく玄関を飛び出した真奈美を見送り、俺も大学への準備を進める。

 中華料理店で食事をしてから数日が経ち、日に日に気温が上昇していく中、湿度も同様に高くなっている気がする。


 実際気のせいではないようで、ニュースでは全国的に梅雨入りしたと報道していた。

 この季節はジメジメして気分が上がりにくいが、真奈美はお構いなしに元気を振りまいている。

 本当に、あの元気はどこから来るのか見習いたい。


 真奈美は本日2回目となる日雇いのバイトへと向かっていった。

 以前イベント会場で働いたとき、「これ位ならいける」と感じたらしく、例のボールペン作成である内職と合わせてこれから定期的に日雇いのバイトも始めるらしい。


 さすがに平日ということも相まってイベント会場のスタッフではないが、今回は交通量調査の派遣バイト。


 カウンターを持って、道路を通過する自動車の数を記録する。

 これを丸1日行うらしいのだ。


 結構しんどいのではないかと真奈美に聞いたのだが、「大丈夫!」と一蹴されてしまった。

 本人が問題ないと言っているのだから信じるしかないのだが、ここ最近真奈美はぶっ通しで内職をしているらしく、体に負担が掛かっていそうではある。


 真奈美は「楽しい」と言うが、楽しいときこそ体調がおろそかになりがちでもある。

 今度真奈美を労ってあげよう。

 以前俺がしてもらったように、疲労回復の一助になればと思う。


 そうこうしているうちに、もう大学へと行く時間だ。

 そそくさと家を出て講義室へと歩く。


 途中雲行きが怪しく感じて傘を取りに戻ろうかと考えたが、今引き返せば遅刻しそうだったのでやめておいた。

 そう言えば真奈美も傘を持っていた様子はないけど、雨は降らないだろうか。


 少しだけこの空に嫌な予感がしてきた。


 そこから数時間、俺の心配は杞憂であったかのように日差しが差し込み始めた。

 問題無さそうで一安心。


 これで心置きなく学食へと向かうことが出来る。


「行こうぜ高木」


「おう」


 今日も今日とてこの友人と学食へ向かい昼食を取る。

 他にも話す学友はいるのだが、何故か高木がぶっちぎりで一緒にいる時間が長い。


 まあ入学当初からの友人だ。

 邪険に扱う理由なんて無い。


「そーいやあの2人の親戚とは進展あったのか? 1人は一緒に住んでるんだろ」


「何もないって言ってるだろ。あくまで親戚だ」


 前言撤回。

 少しぐらい邪険にしても問題あるまい。


「ちぇ。じゃあもう1人とは進展無いのか? というかもう1人の人はそこそこ近くに住んでるんだよな。市内だろ? 店長のもう1店舗って」


「あの人は同じ大学だよ。確か人文学部だとか言ってた気がする」


 気がするでは無く人文学部で間違いは無いのだが、高木の手前こう話す。

 その話を聞いて、高木は驚きと共に聞き逃せないことを口にする。


「へえ! じゃあ探せば見つかるな。もしほんとに杉本との間に何も無ければ、俺アプローチしたいな」


「それはダメだ!」


 思ったよりも大きい声が出てしまう。

 でも、明音が他の男と付き合うのだけは嫌だ。

 それだけは誰でも赦したくない。


「びっくりした。そこまで大きい声出さなくても」


「ああ……。ごめん。でも高木があ、安城さんにアプローチするのはダメだと思うんだ」


「付き合えない理由でもあんのか?」


 当然の疑問だ。

 ここで「俺と付き合ってるからダメ」って言いたいけど隠しているからなあ。


「ええっと……、安城さん、彼氏いるって言ってた気がするからさ。彼氏持ちはダメだろ?」


「そうか、なら仕方ないな。そりゃああんな美人なら彼氏ぐらいいるわな。にしても何でもっと早く言ってくれねえんだよ」


 苦し紛れの言い訳だが、納得はしてくれた。

 さすが、持つべきは友達だ。

 それに彼女を「美人」と言われてつい嬉しくなる。

 にやけそうになるが顔に出さないぞ。


 顔に出したらまた問い詰められる。


「まああれだ。あまり知られたくないらしいからな。そっとしておくのが良いんじゃないか?」


「ふうん」


 何はともあれこれで交際発覚は免れたわけだ。


 そして昼休憩を終え、また講義室へと戻る。

 あと2限か、長いな。


 午後の講義が始まり、先生がホワイトボードへと板書していく。

こちらはただ聞いているだけと言う退屈さに加え、昼下がりと言うこともあってうとうとしてきた。


 そのまましばらく船を漕いでいるとき、遠くから微かにポツポツという雨音が聞こえてきた。

 次第にザアァァという勢いのある音に進化していく。

 …………雨か。傘もないし帰り際に振ってたら面倒だな。


 ぼんやりと考え、また眠りに入ろうという時に脳裏によぎったもの。

 それは今朝元気よく家を飛び出した同居人の姿。


 真奈美、傘持ってないよな?

 今日は1日外で交通量の調査だったはず。


 雨が振ったら中止になるような仕事だろうか。

 雨を凌ぐ場所か物か、そこにはあるのか分からない。


 途端に不安になってきた。

 連絡しようにも、外では真奈美の携帯は使えず、安否もいつ帰宅するのかも分からない。

 定時で上がるのなら、16時過ぎには家に居ると思う。


 今家に帰っても出来る事は無いな。

 モヤモヤするが、今は心配するだけ。


 そこから講義の終わりまで、集中できないままただ時を過ごしていた。

 ノートを取っていたことだけが救いだ。


 内容は一切覚えていない。


 今日の講義を終えて帰宅する頃には、もう雨は止んでおり夕日が雲の隙間から差し込んでいる。


 水たまりがそこかしらに点在する通学路を急ぎ、家に到着する。


 勢いよく玄関を開けると、目の前には木目調のカーテンが視界いっぱいに広がる。

 これは、以前真奈美の風呂上がりに遭遇した際に今後同じような事故を起こさないために設置した仕切りだ。


 カーテンの向こう側では、サーっというシャワーを使う音が聞こえてくる。


「真奈美ー。帰ったよー」


「はーいお帰りー。もうすぐ上がるから今のうちに部屋に行ってて~」


 どうやら定時で上がることは出来たみたいだ。

 ただ雨には打たれたようで、洗濯カゴにはぐっしょりと濡れた服が放り込まれていた。


 傍にある着替えとタオルを入れているミニカゴには視線を向けないよう意識しつつ、部屋へと進む。

 数分後には真奈美も着替えて部屋に戻ってきて、改めて「おかえり」と出迎えられた。


「真奈美、雨は大丈夫だったのか? 途中凄い降っていただろ?」


「そーだねー。まあ結構濡れたけどこの通り! 元気だよ」


 俺の心配はよそに、朝と同じように元気に振る舞う真奈美。

 元気なら良かった。


 杞憂で終わるのならそれに越したことはない。


「お父さんもお風呂入る?」


「そうだな。じゃあ入ってくる」


「いってら~」


 そこからは、普段と変わらなかった。

 ご飯を作って、今日はアニメを見ながら2人で食べて、真奈美がゲームをする横で俺は課題に勤しみ。

 終わったら2人で対戦する。


 いつもと変わらない日常。

 この1月弱で出来上がった日常がそこにあった。


 だけど次の日。

 異変は朝から始まった。


「こほっ」


「真奈美、平気か? 熱測るか?」


 普段俺よりも早く起きて朝ご飯を作ってくれている真奈美が、今日は寝坊をしていた。

 それは問題ないのだが、真奈美を起こそうとしたときに体が熱くなっていた。


 目が覚めると顔は火照っているし気怠そうにしている。

 普段の元気な姿は何処にも見受けられない。


「37.7℃か。結構高いな」


 体温計の表示を見て、思わず悪態をつく。

 やっぱり昨日雨に打たれたのが良くなかったらしい。


「微熱の範疇でもないし、病院行くか」


 大学はまあ仕方が無い。

 1日ぐらい休んでも問題は…………あるな、今日に限っては。


 今日は機械実験の日だ。

 必修科目の、落としたら即留年が確定する忌まわしき授業。


 先週か来週ならばまだ休めたが、今回は休むとデータが取れないためレポート作成が出来なくて詰む。

 最悪午前だけ出席すれば問題ないが、この状態の真奈美を放っては置けない。


 仕方なしに教授へ連絡を入れようとしたとき、手を掴んで止められる。

 真奈美だ。


「お父さん、大学行きなよ。今日、確か休めないって言ってたよね? わたしは平気だから」


「いや、平気じゃないだろ。熱あるし病院行かないと」


「寝てれば治るよ。下がらなかったら解熱剤飲むから。確か救急箱に入れてたような気がする」


 絆創膏や風邪薬、湿布に消毒液など。

 もしもの時の用意はしてある。

 箱から薬と解熱剤を取り出し真奈美の傍に置く。


「解熱剤はあるけどさ、病院が確実だろ?」


「わたしこの時代に戸籍無いから看て貰えるかな」


「それは……そうかもしれないけど」


 どうだっただろう。保険証が無くても良い場合もあれば必要なときもある。

 詳しくは覚えていない。


「寝てれば良くなるから。前に熱出したときもそれで完治したよ?」


「…………わかった。じゃあ昼にまた様子を見に戻ってくるから」


 行きたくはないが仕方なしに家を出る。

 今家には水とお茶は充分にあるから、水分には困らないはず。


 一刻も早く帰りたい気持ちで、大学へと向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る