第3話【その頃の富士見書房『筆者の体験から』】
さて前回まではゲームブックの話をしてきました。
今回は昭和末期頃の富士見書房について、自分がわかることを書きたいと思います。まだ『ドラゴンマガジン』を購入する前の話となりますので、詳しいわけではありませんが、少しだけ書籍を買っていました。
それにあくまでも自分がそう感じているだけで、事実とは異なっていることもあるでしょう。何せ昭和の終りくらいの話になりますので、随分昔のこととなります。
昭和61年(1986年)から昭和63年(1988年)頃、まだ私はゲームブックに興じていましたし、その頃創刊された日本語版『ウォーロック』(社会思想社)にも、心が奪われていました。
富士見書房の本は書店でも見かけましたけれど、お小遣いの関係もあって、殆ど手を出さなかったのだろうと思います。
購入した作品リストは以下の通りです。
・『ドラゴンランス戦記1』。海外小説。
・『魔宮の人食い植物』。海外ゲームブック。
・『ブラッドソード2魔術王を倒せ!』。実質海外ゲームブック。
・『D&Dがよくわかる本』。日本人作者による紹介本。
・『ストーリーテラー』。海外小説。
なので上記についてと、それに付随する情報をもとに、出来る限りお話したいと考えます。
実際にこの頃の富士見書房は、外国作品の翻訳出版が大半を占めていたと思われます。まだ『ドラゴンマガジン』も創刊するかどうかの時代です(1988年1月に3月号が創刊とのこと)し、日本人作者によるコンテンツも足りない時代でした。
当時の角川書店から出版されていなかったのは、冒険ファンタジー系はまだまだイロモノ扱いだったからかも知れません。子供ながらその頃の角川書店は、敷居の高い純文学のイメージを強く感じていたのです。
他社のゲームブックが売れたときも、静観に近い状態でした。
ただ、次回以降の紹介になりますが、富士見書房で出版されたこうした外国作品などは、既にブームが下火に入っている時期でしたので、タイミング的には好機を逸したものと思います。
後に『ソードワールドRPG』や『富士見ファンタジア文庫』に取って代わられることになります。
ただ『富士見ドラゴンブック ファンタジー・ファイル』シリーズはこの頃に始まっていましたので、このシリーズはヒットだったのでしょう。
90年代は資料集やリプレイ集など、『ドラゴンマガジン』の補完的なポジションとなり、TRPG人気を支えてくれました。
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