第1話【夜明け前を支えたゲームブックの存在 その1】
一般的にいわゆる『異世界ファンタジー』に日本人が触れたのはいつ頃なのか? もちろん昔は『異世界』の言葉すらありませんでしたが、それは1985年頃(昭和六十年頃)が有力であると筆者は考えます(共にプラスマイナス一年程度の誤差はありとしてください)。
それ以前から英語版の『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(D&D、TSR社版で日本語版は新和より1985年から発売)や『指輪物語』(ロード・オブ・ザ・リング)の日本語訳版は伝わっていましたが、まだまだ一般には浸透していなかったと思われます。
ならばこの1985年頃は何があったのか? それはゲームブックの一大ブームです。
最初に日本語翻訳版が発売されたのは前年の1984年末のこと。社会思想社から発売された『FFシリーズ(ファイティング・ファンタジー・シリーズ)』の第1巻、『火吹き山の魔法使い』(スティーブ・ジャクソン氏+イアン・リビングストン氏)ではないかと推測されます。
ただしいきなりブームになったわけではなく、半年ほどの時間が経過した後(1985年夏頃)に、小中学生を中心にブームになりました。同じタイミングで東京創元社から『ソーサリー・シリーズ』(スティーブ・ジャクソン氏で、同一人物)が発売されたことも大きな要因だったと考えられます。
同じ『タイタン』の世界観において、それぞれ別大陸の話として展開されていました。
文庫本タイプが殆どでしたので、手軽に書店で購入できたことが大きかったと思います。この時代は一つの街に複数書店がありましたから、販売ルートに困ることはありませんでした。
このゲームブックを通じて、初めて異世界ファンタジーに触れた若者たち、少年少女たちが多かったと思います。
またその頃の日本は洋画が大人気でした。公開された作品の中には、異世界ファンタジーやアドベンチャーに該当する作品もヒットしました。『ネバーエンディング・ストーリー』や『インディ・ジョーンズ・シリーズ』、『グーニーズ』や現代が舞台ですが『ゴースト・バスターズ』など、今に思えばこうした作品が少年少女の冒険心を掻き立てたのではないかと思います。
やがて日本人によるゲームブック作品が登場するようになりました。PCゲームやファミコン・ゲームを原作とした作品や、完全オリジナルの作品もありました。
そうした作品を手掛ける方々の中には、後にTRPGクリエーター集団へと発展するグループや、作家に転身するかたもおられましたから、足がかりになったのだろうと思います。
またこの数年後から1990年代前半にデビューされるファンタジー小説作家のかたがたなども、恐らく世代的に少なからずゲームブックに触れていたのではないでしょうか? そもそも異世界アドベンチャーにおける様々な描写やイメージなど、参考になるものが殆どなかった時代でした。
何よりそれまで無名に近かった様々な魔物やヒューマノイド種を、一般レベルで紹介したことは、大きな功績でした。これがなければ、ひょっとしたら人間とドラゴンぐらいしか登場しなかったかも知れません。
ただこの時代は魔物もヒューマノイド種も、同列のモンスターとして扱われていました。どう扱って良いか、誰も判断がつかなかったのでしょう。
今でこそ異世界ファンタジーは無限の広がりを見せ、むしろ多すぎるくらいになりましたが、1980年代後半はまだまだごく狭い範囲の出来事でした。例えるなら未開の土地の開拓がようやく始まりとなり、荒れた大地に最初の鍬を入れたところでした。
そうしたことから考えると、とても短い時間ながらもゲームブックが与えた影響というものは、後の異世界ファンタジーへと続く胎動的な意味合いがあったのではと思います。
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