134話 聖母の顔は
今日はエルザさんを家に招いている。帝国との件での礼を言うためだ。
ディヴァリアも誘ったのだが、断られてしまった。2人の方がうまく話せるだろうと。
本人が納得しているのなら別にいいが、他の女と2人きりでも平気なのだな。
まあ、信頼されていると考えておこう。他の可能性は、あまり想定したくない。
「エルザさん、本当にありがとうございました。わざわざ正体をさらしてまで助けてくれて」
「いえ、お気になさらず。リオンさんが大切だから。それだけのことです」
いつもの穏やかな表情で、とても暗殺者だなんて信じられない。
まあ、人の懐に入り込むのなら、表情くらいは作れたほうが便利なのだろうが。
それでも、今のエルザさんの顔が作られたものだとは思わない。
心の底から信じて良いと思える相手だからな。過去なんて、小さなことだ。
「大切だと言っていただけて、嬉しいです。俺だって、エルザさんのことは大切ですよ」
「そういえば、リオンさんは他の方には敬語を使わないんだとか?」
「はい。当人から頼まれた場合だけですけどね」
同級生とか年下とかが相手だと、普通にタメ口を使うが。
いちおう、失礼のないように気をつけているつもりではある。
どうでもいい相手には失礼でも良いような気もするが、立場もある。
これからも、雑な対応をしないように心がけた方が良いだろう。
「でしたら、私を相手にも敬語をやめてみませんか?」
「分かった。これでいいか?」
「はい。リオンさんから友達か何かのように接されるのも、楽しいですね」
「楽しいならいいが。エルザさんはオトナの人だからな」
「まあ、年増女だと言いたいんですか? なんて、冗談です。尊敬してくださっているんですよね」
エルザさんはとても美人だし、あまり変な意味はない。
薄緑の髪も目も、それはそれは俺を落ち着かせてくれるんだ。いつも穏やかな表情をしているし、実際に優しいし。
他にも、ノエルを初めとした孤児院の人間をしっかり育てているということもある。そんな人を尊敬しないで、誰を尊敬するんだか。
「当たり前だ。エルザさんにはとても世話になっているからな」
「こちらこそ、リオンさんには助けられていますよ」
「なら、お互い様だな」
「そうですね。リオンさんと出会えたことは、私の大切な財産です」
また大げさな。でも、嬉しい。
エルザさんほどの人に大事に思われているという事実は、俺の支えになってくれる。
俺は無価値な人間ではないのだと、エルザさんが証明してくれるようで。
まあ、ディヴァリアに好かれておいて何をという話ではあるかもしれないが。
最近まで、自分を信じられない状態がずっと続いていたからな。
「ありがとう。俺も、エルザさんに出会えて良かった」
「ふふっ、嬉しいですね。私の過去を知っても、何も気にしない相手と出会えたのは」
「ディヴァリアは知っているんじゃないのか?」
暗殺者が孤児院の母親役を務めるなんて、どう考えてもディヴァリアの意志だ。
その辺の調査を怠るなんて、とてもじゃないがありえない。
つまり、分かっていてエルザさんに今の役割を任せたわけだ。
もしかして、誰かを殺させたこともあるのだろうか。
俺の知っているだけでも、ディヴァリアによって暗殺された人間はとても多い。
まあ、気にしても仕方ないか。エルザさんの正体は大抵の人には気づかれていないのだし。
だから、何も問題はない。エルザさんが傷つかないのならば、それだけでいい。
「聖女様には、いろいろと手伝っていただきましたよ。私の過去にたどり着けないように」
「なるほどな。ディヴァリアのおかげで、俺達は出会えたのか。感謝しないとな」
「私こそ、聖女様には感謝したいです。リオンさんと出会えたこと」
「ありがとう。ということは、ディヴァリアの裏側も知っているんだよな」
「ええ、もちろん。それでも、聖女様は偉大だと思いますよ。誰にでもできることではありませんから」
実際、孤児院によって子どもたちは救われている。娼婦の待遇を改善したのもディヴァリアだ。
他にも、善行と言われることを多くおこなっている。ただの人間とは、あらゆる意味で比べ物にならない。
だが、民衆はちょっとした悪事でも責め立てるものだからな。俺も気をつけておかないと。
ディヴァリアが好きだとハッキリした今では、誰にも邪魔をされたくない。
「まあ、救われた相手からすれば、救われた事実が最も大切か」
「はい。ノエルだってきっと、聖女様の本性を気にしないと思います」
「確かにそんな雰囲気はあるな。だが、ありがたい」
「聖女様に拾われたおかげで、私は幸せを知ることができた。だから、聖女様の力になる事にためらいはしません」
エルザさんならば、いろいろな意味で頼りになるだろうな。
ディヴァリアの本性を知った上で味方をしてくれる。得難い人だ。
エルザさんが幸せを知ったという事実もありがたい。大切な人が幸福で居る。とても嬉しいことだ。
「期待している。ディヴァリアの味方が増えることは、とても助かるからな」
「私は、リオンさんの味方でもありますよ。すべてをかけて、あなたに尽くす心づもりです」
「ありがとう。だが、無理はしないでくれよ。エルザさんが傷ついたら、俺は悲しい」
「ふふっ、あなたのように、私を大切にしてくれる人。その存在がどれほど私を幸福にしてくれたでしょう」
まあ、暗殺者であることを思えば、大切にされなくてもおかしくはない。
そう考えると、エルザさんが孤児院に来てくれてよかった。幸せを知ることができて良かった。
ただの暗殺者として幸福を知らぬままのエルザさんなんて、考えたくないからな。
「エルザさんだって、俺にたくさんの幸せをくれた。だから、気にしなくて良い」
「リオンさんは優しいですからね。あなたの言葉は予想していました」
「それは少し恥ずかしいな」
「いえ、嬉しいです。あなたの優しさに触れられることが、私に力をくれる」
大切な人の力になれているという事実は、とても嬉しい。
俺の望みは、親しい人達の幸福。それは変わっていないからな。
ディヴァリアと結婚したいとはいえ、仲のいい相手を犠牲にしてまでではない。
俺の手の届く範囲の幸福を守っていく。これからも変わらない意志だ。
「俺がエルザさんに優しいのだとすれば、あなたにもらったものが大きいからだ」
これまで、エルザさんの優しさに何度も救われてきた。
暗殺者としての力で、命だって救われた。そんな相手に冷たくするほど、人でなしじゃないつもりだ。
俺にとって大切なエルザさんに優しくするのは、当然の義務だろうさ。
まあ、義務感でエルザさんに優しくする訳では無いが。
「世の中の人間が、どれほど容易く恩を捨てるか、私はよく知っています」
「暗殺者としての経験か?」
「そうですね。だからこそ、リオンさんは離したくない。ずっとそばに居たい」
「当たり前に、これからだってずっと一緒にいるつもりだ」
「そう言いますよね。薄汚れた暗殺者が相手だとしても」
エルザさんには感謝こそすれ、恨む理由なんてどこにもない。
だから、当然のことでしかない。それでも、エルザさんの心を癒せるのならば、言葉を尽くそう。
「あなたが汚れているのなら、俺だって汚れても良い。そう思う程度には、エルザさんが大切なんです」
「いけませんよ、リオンさん。悪い女に捕まってしまいます。それでも良いのなら、どうかこの手を取って」
エルザさんに握手を求められる。もちろん、答えは決まっている。
少しもためらわずに、エルザさんの手を握った。
「リオンさん……。あなたの未来に、私はずっと刻まれる。覚悟していてくださいね。……もう逃がさないですから」
エルザさんの顔は、いままで見たことがないくらい妖艶だった。
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