第5話

「ちょっと田村君?! 景気の悪い顔で私のデスクの近くをうろつかないでくれる!?」


 最近はとんと珍しくなった四方山の叱責が、田村の右の耳から左の耳に抜けていく。


 キーボードに置かれた手はまんじりとも動かない。目はディスプレイに向いているが、実際はどこも見ていなかった。


「あなたまた眠れなくなったんですって?! 社会人のくせに自己管理なってないのねぇ!」


 田村は四方山の言う通り、不眠気味だった。四方山にそれを指摘される程度には顔色が悪いのだろう。


しかしどうにも食事は喉を通らないし、不安で不安で床についても睡魔が来ない。


「目ざわりだから今日はもう早退しなさい! 上司命令よ!」


 ほとんど蹴りだされるようにフロアを追われた田村は、我に帰った後一目散にアパートへと帰っていった。





「お花さん! ただいま!」


 返事はない。田村のアパートは、重苦しい静寂に満ちていた。


「お花さん、お花さん!」


 田村は一目散に窓辺の鉢植えに駆け寄る。


 花の傍には鉢植えいっぱいに肥料がささっており、まるで針山の中に一凛の花が咲いているかのようだった。


 その花も、今やしおしおと枯れて見る影もなかったが。


「お花さん……」


 田村は買ってきた肥料を、既にささっている肥料の隙間を縫うようにしてさらに差し続けた。


「お花さん、何か言って……」

 

 近頃、花はあまり話さなくなった。


 花から生気が失われていくに比例して、花の口数はどんどん減っていった。


 その様子を見守るうちに田村は良くない予感に襲われ、ホームセンターに通っては花の肥料求めて与える。それでも花は甦ることはなく、みすぼらしくしなびていく一方であった。


『……た、むら君……』


 田村は食いつくように花を見る。鉢植えを両手で鷲掴みにし、血眼で花に話しかけた。


「お花さん! 気が付いたんだね!」


『うん……でも……』


 でも。


 田村はその先を続けてほしくなくて、必死で話しかけ続ける。


「お花さん、聞いてよ。僕最近またミスが増えちゃってさぁ。それもこれもお花さんが心配で」


『田村君……』


「眠れなくて、また薬の量が増えちゃった。なんか処方の量じゃ足りない気がして勝手に倍量飲んじゃってるんだけど……あ、先生には内緒だよ?」


『田村君、聞いて……』


「お花さん、早く元気になろうね。僕、花のこと勉強してるんだ。肥料足らない? じゃあ今度はもっと上位版を」


『お別れが近いの……』


 田村は心臓が凍り付いたような思いだった。


 耳を塞ぎたかったが、田村はまんじりとも動けない。


『花の命は短いから……でもね、大丈夫。田村君は一人でも立派にやれるようになったわ』


「そんな、無理だよ」


 田村は首を勢いよく横に振る。


「僕、お花さんがいたから職場でうまくやれるようになったんだよ? それもこれもお花さんが僕の話を聞いてくれたからだよ。お花さんがいなかったら僕どうしたら……」


 花から一枚、花弁が落ちた。


『心配しないで。もっと周りの人を信じてみて。あなたは優しい心の持ち主なんだから、きっとみんなもあなたを愛してくれるわ……』


「そんな、いやだ」


 花を揺さぶってやりたかったが、そんなことをするとただでさえボロボロの花が茎から折れてしまいそうで、怖くてできなかった。


 どうすれば花を引き留められるだろう。どうすれば、花の命をこの世界に繋ぎとめられるだろう。


 どうすれば……花は、ずっと傍にいてくれるだろう。


「バイバイ……田村君。短い間だけど楽しかったわ……これからはあなたの傍にいる人を大事にして――」


「お花さん、お花さん――」


 花は、何も話さなくなった。


 村田は立てなくなり、その場で尻餅をつく。


 すると振動で鉢植えがぐらりと揺れ、窓辺から落ちて床に叩きつけられた。


 床に散らばる土くれに、割れた鉢植えの破片、大量の肥料とそして朽ちた花。


 そして大声で叫び、花と同様何も言えない骸と化した。

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