第4話

 それからの日々も好調だった。


 最近は、田村を遠巻きにしていた同僚からもぼちぼち話しかけられるようになってきた。


「田村、最近顔色いいじゃない?」


「そうかな?」


「うん、ちょっと前までは犯罪者みたいな顔してたぜ」


「ひどいなぁ」


 こんな風に同僚と気軽に話ができるようになったのは、近頃の田村のミスが極端に減ったからだ。


「四方山さん、昨日メールで送った資料のレビュー終わりましたか?」


 いつも通り田村はおずおずと四方山のデスクに向かう。


 あいさつ代わりに怒鳴られるかと思ったが、四方山は目線だけちらりと田村に寄こしてまたパソコンに目を落とした。


「今メールで指摘事項を送ったわ」


 抑揚のない冷たい声。慌てて返って来たメールを見ると、懇切丁寧かつ簡潔明瞭にリストアップされた指摘事項が山のように記載されていた。


 この指摘の量、また雷が来るぞ……と田村は身構え、先んじて謝罪してしまおうと頭を下げる。


「す、すみませんまたこんなにミスしちゃって……四方山さんのお手を煩わせて……」


 すると意外や意外、四方山は『はぁ?』とでも言いたげに顔を歪ませて田村を見た。


「なんで謝るの? お客様の目に留まるところでしくじってなかったらそれはミスじゃないでしょ」


「え……」


「要件は終わり? じゃあ私が挙げた指摘事項、舐めるように読むのよ。そうしたら指摘の数も減るでしょ」


 肩透かしを食らった気分で、田村は自分のデスクに戻る。


 結局四方山の言う通りよく指摘事項を読み込んで仕事を進めるようになったら、本当にみるみるうちに田村のミスは減っていった。


 同僚が気軽に話しかけてくるようになったのは、そのような経緯があったからである。


「田村さん楽しそうですね。彼女でもできたんですか?」


 異性の同僚からも話しかけられるようになった。


 薬の量も次第に減っていった。



 花が現れてからの田村の人生は、良い方へ、良い方へと流れ始めていた。



「田村、二次会はカラオケだけど行く?」


「えーどうしようかなー」


 ネオンきらめく繁華街には、仕事上がりの勤め人でごった返していた。


 その中の一団に混じる田村は、両隣からせっついてくる同僚の誘いをにやにやしながらじらす。


「行きましょうよ田村さんーあたし、田村さんの歌うところみたいなー」


「うーん……じゃあ行っちゃう?」


 女性社員から黄色い声が上がる。同性の同僚達は、ちょっと面白くなさそうに田村を肘でつつく。


「ちぇっ、最近ノッてるよなー田村は」


「そんなことないよぉ」


 口ではそういうものの、“ノッてる”自覚は田村にはあった。


 ミス常習犯の田村はすっかり汚名返上を果たし、今や複数のプロジェクトを掛け持ちする“デキル”社員へと成長を遂げていた。


 社内でも評判もがらりと変わり、厄介者だった田村は今や同僚同士の飲みに引っ張りだこである。


 もう四方山のかばん持ちではない。もう四方山の夜のサンドバックではない。


 自信を得た田村は、毎夜遅くまで外で飲み歩く日々が続いていた。



『お帰り、田村君』


 帰宅すると、早速花が話しかけてきた。疲れ果てた田村はかすれた声であいさつを返す。


『最近忙しそうね。付き合いの飲みが多いの?』


「うん……お花さんとおしゃべりする時間が減っちゃって僕悲しいよ……」


 仕事もプライベートも順調の田村だったが、唯一の不満が花と過ごす時間がうまく取れないことだった。


 田村の生活がどれだけ上向ていっても、花は変わらず田村に優しかった。田村の、人知れぬ善性に気づいて褒めそやしてくれた。


 その花との会話ができないことがもどかしい。しかし今の、周囲に恵まれた充実した環境も捨てがたい……。


「ごめんよ、お花さん。明日はもっと早く帰れるようにするからね。そしたらいっぱいおしゃべりしよう」


『そうね……』


 疲労困憊した田村に負けないくらい、花の声も掠れている。


 田村は花に水をやりながら眉をひそめた。


「お花さん、どうしたの? 元気ない?」


『大丈夫……大丈夫よ……』


 よく見れば、花の花弁の一片に、うっすらとした茶色が浮かんでいる。


 よくない予感がして、田村は明日の帰りに肥料を買って帰ろうと心に誓った。

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