第3話

~陸上競技場


アサヒ、自分の部屋で目覚める、目に包帯。


アサヒ    そう、地獄のような夢だった。もうなにも見えないはずの目に光がさしてきて、銃声が鳴って、スターティングブロックを蹴る。有り得ない二度と戻らない私の当たり前が…そこにあった。


アサヒ    走るのが好きだった。前へ、前へ、全部忘れてずっと走って。

アキチ    走るのが好きだった。ずっと君を見れる、君が倒れそうになったらそばにいられる。それだけで良かった。 …そう、僕はそれだけで良かったのに…


アサヒ    雨を超えたら虹が待つ世界、夜を耐えたら朝が来る世界。この世界はそんな世界じゃなかったのか?いや、逆だ、逆だったんだ。朝が来てもいつか夜に戻る。長い雨の後に現れるにじなんてたった一瞬、あっという間のしんきろうだ。お前らが呼ぶ希望ってやつが存在するというのなら、それが幻だったことに気付くまで、楽しんでおけ。


場面転換

病院の個室に入院しているアサヒ


アサヒ    …もう諦めてもいいか、ちょうど良かったんだ。止まる時を、神様が教えてくれたんだ。これで、ようやく休める。

アキチ    そう言う彼女の言葉は、どっかに行きそうで、それがとても切なくて、僕は眺めることしかできなかった。こんなとき君に掛けられる優しい言葉なんて僕は持ってない。それが、とても悔しかった。


場面転換


アサヒ    アキチ、ちょっとお願いしてもいい…?

アキチ    いいよ

アサヒ    カバンの中に家の鍵あるからさ、そこで服とか色々…持ってきてくれない?

アキチ    そうするか、さすがに今持っているものだけでは足りないからな

アサヒ    うん、任せる…ありがとね。

アキチ    いいって、幼なじみの世話をするくらいで感謝なんて。

アサヒ    …ごめんね。

アキチ    ごめんねもいらない、最近暇だったし。あ、夜おそいんで帰りはたぶん明日の朝になるけど大丈夫?

アサヒ    (頷く)

アキチ    じゃあ行ってくるね、おやすみ。

アサヒ    おやすみ。


アキチ、個室を出る。


アサヒ    ごめん、(手探りでカバンを掴む)

アサヒ    ごめん、(カバンからベルトを出す)

アサヒ    ごめん、(ドアまで歩く)

アサヒ    ごめん。


ドアノブ首吊り自殺。


場面転換


アキチ    そうだ。帰り道にアイス買ってこよう


夜の街を歩くアキチ


アキチ    あいつ好きなんだよね、雪見だいふく。


アキチの笑顔

アサヒの涙

暗転

暗転の中、浮かぶふきだし

「やべえ、バス代足りないじゃんアイス買ったら」

ドアノブを握る

ドアを開ける

アサヒを見る

アサヒを救う

アサヒを抱きしめる

「アキチ、わたし、わたし…」

流れる涙

震える声

震える体

真っ黒の個室、開かれたドアから差してくる光




『走れなくなった君へ、』




時間経過


アキチ    そして彼女は誰とも話せなくなった。理由はわからないままだ

アサヒ    全部無駄だったんだ、誰にも伝わらない言葉を空っぽの願いを自己満足の救いを押し付けてたんだ、

アキチ    ただ一つ、彼女は震えていた

アサヒ    あの時、すべて辞めたら良かった。優勝というのを初めて知ったあの日、すべて辞めたら、こんなことは、こんな真実は見なかったはずなのに、なにも知らないまま幸せのまま希望に満ちたまま生きて行けるはずだったのに…!


時間経過


アサヒ    ねえ...アキチ...

アサヒ    こんな私でも...嫁にしてくれる…?

アキチ    (独白)心から願っていたことだった、いつか君に似合う男になれたら、自分にそんな未来があるかもしれないと、こんな僕でも、いつか君のそばで君を守れる人になれるかもしれないと、そうなりたいと。アサヒ、僕は…


銃声、場面転換


アサヒ    陸上競技場、解説者の声が聞こえてくる。何度も感じたことがあるあの場の空気だ。もう雑音になり始めたスピーカーの音の中で、「誰か」を呼ぶ声があった

解説者    北条、北条選手入った!長いカーブを曲がって出てきた!4位、3位、2位!すごい、すごすぎる!理由は分からない!なぜスタジアム全員の目がたった一人だけを追っているのか!抜けた!先頭、勢いが収まらない!ゴール!北条アキチ、奇跡の疾走だ!

アキチ    明日、決勝だ。付いてこい、ぬるくなったお前の根性を叩き直す「なにか」、今から見せてやるぞ。


明日、陸上競技場


アサヒ    また…戻って来たのか

アキチ     …僕が初めてここに来て知ったのはさ、意外と寒くないってことなんだよね

アサヒ    それは…

アキチ     そう、君が連れてきてくれたあの日、

アサヒ    君がなにもかも諦めていたあのころ、

アキチ     内側から出てくる何かに囲まれて、寒さすら感じられなくなったあの感覚が、

アサヒ    もうどうでもいい話だ

アキチ     「不安なんてない」と見せかけようとしたあの小さな背中が、かすかに震えながらも力強い言葉を発してくれたんだ

アサヒ    …やめろ

アキチ     今から見せるのは、

アサヒ    やめろって言ってんだろ!

アキチ     君が忘れたもの

アサヒ    お前には分からない

アキチ     君が手放したもの

アサヒ    勝手に知ったふりするな!

アキチ     君が、恋するものってことをよ!


解説者    北条選手、北条アキチ選手、入場です!

アキチ     悪いな、僕は君と違って「みんな」なんてどうでもいいからよ

解説者    各選手位置に入りました!

アキチ     たった一人に伝えるための疾走だ

解説者    3、2…

アキチ     あの日、見えないものを見せてくれた君に返す…


銃声


アキチ     プレゼントだ!

アサヒ    バカを言え、そんなに単純なことではないでしょ?無名で引退した人が、空白期から復帰したばかりのルーキーが勝てる試合じゃない。必死じゃないやつなんてここにいない。それでも、本気でここを勝ち抜く気なのか…?

アキチ     ああ、当たり前だ

アサヒ    なんでそんな無謀なことを言える、確信なんてどこにもないだろ!

アキチ     僕に夢があるからだ!君の夢だ、君にもらった夢だ、君を救うための夢だ、だから僕は、ここで止まるわけにはいかない!僕の夢は…!


突然、骨が折れる音。

アキチ、倒れる。


アサヒ    そして彼は倒れた。なにが起こったのかはわからない、でも、確かなことが一つだけある。彼は倒れていた。彼が…倒れていた。

アキチ     なにが起こったのかわからなかった、突然、足に力が入れなくなった。理由はわからない。ただ、確かなことがあるとしたら、僕の目の前に誰かが走っているってこと…それだけだ!

アサヒ    アキチ、立つな!

アキチ     いや、無理だ。

アサヒ    もう走らなくてもいい、頑張った。それでいいだろう!

アキチ     勝手にさせてもらう。

アサヒ    チャンスは他にもある、いま諦めた方が懸命だって分かっているでしょ!

アキチ     そんなの知らない

アサヒ    二度と走れなくなってもいいってことか!

アキチ     ああ上等だ!君が倒れていることを黙って見つめるだけの日々はもうこりごりだ、なんの力にもなれないのはもうこりごりだ。僕は、そのくだらない日々を終わらせると、決めたんだ!!


解説者    立ち上がって走る、アキチ選手、倒れそうになりながらも真っ直ぐ進む。進む。進む。姿勢は崩れて、呼吸なんてとっくに終わっている。それでも彼は進む。進まなきゃいけない、そうしなきゃいけない理由を、彼は…持っていたんだ!


アキチ、走る


過去回想 【「明日、僕が勝ったらこれを聞いてくれ」】


アサヒ、アキチから渡されたカセットテープが入ったウォークマンを握る



ゴールの直前、アキチ、倒れる。

意識を失って担架で運ばれる

アサヒ、握っていたウォークマンを落として走り出す。落下で再生ボタンが押され、ウォークマンからアキチの声が流れる


カセットテープ    「優勝おめでとう!いや、めでたいのはこっちか。

アサヒ        …

カセットテープ    …アサヒ、一緒にアメリカに行こう。そこなら君の目を治せるかもしれない。いや、必ずそうさせる。

アサヒ        なにもいらない、私は君がそばに居てくれれば…私を君のそばに居させてくれるだけで、なにもいらないから…!

カセットテープ    …だからね、君がまた走れるようになったら…


                    。

                    。

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走れなくなった君へ、 梨とばし @Just_Here-Now

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