鬼ノ目堂

 旧霞商店街きゅうかすみしょうてんがいは、霞ヶ丘高校かすみがおかこうこうから北に2キロメートルほど離れた場所に位置する。

 現在では見る影もないが、その昔、かすみ町の中心地といえば千聚堂せんじゅうどうを擁する丘の北側を指した。当時、頂には千聚庵せんじゅうあんという大層立派な宿屋が門を構え、そこへ向かう街道かいどうに沿って商人が店を並べたのが霞商店街の始まりである。茶屋、八百屋、万屋に呉服屋。商店街はいつも人でにぎわい、訪れる観光客は金を落とし、町を豊かにした。しかし、町の観光地化に本腰を入れようと都市開発を進めた結果、中心地は海辺の南側エリアに移り、商店街はあっという間に衰退すいたいしたのである。


 霞商店街と呼ばれて久しい街道の東西南北には、全高8メートルはあろうかという大きな門が建っていた。その昔には商店街のシンボルとして人々に親しまれた朱色も今やすっかり日に焼けて、塗装はところどころ剥げている。街道はといえば、雑草にまれた廃屋はいおくが並ぶばかりで、人の気配など一つもない。ゴーストタウンと化したかつての中心地は、まさに盛者必衰じょうしゃひっすいことわりを表すようであった。

 あおいは門のたもとかがみ込んで、スマートフォンとメモ紙とを何度も見比べた。時刻は十八時をとうに過ぎていた。ゴーストタウンに街灯などいくつもない。十二月の寒さと暗闇に、あおいは身震いした。はあ、と息を吐くと、そのたび視界にはもやがかかる。

 ──やっぱり、イタズラだったかなあ。あおいは敦子あつこてたメッセージを途中まで打って、やめた。数時間前までの高揚感こうようかんはとうに冷めていた。とはいえ、不思議と帰ろうという気分にもなれない。

 はじめから、この胡散臭うさんくさいメモ紙を信じ切っていたわけではないのだ。ただ、応じることで事態が少しでも好転こうてんすればいいと、そう思っていただけだった。だから、とくべつ落胆らくたんもない。

 そもそもの話、五十日前からここまでただの一歩も進んでいないのだから、今さら待ちぼうけたからといって、損をすることなど何もないではないか。待てるだけ、待ってみよう。彼女はそんなふうに自分を納得させると、冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んで気合を入れ直した。


「ああ、よかった! まだ居た!」

 夜のゴーストタウンに不相応ふそうおうな明るい声が聞こえたのは、それから十五分ほど過ぎた頃だった。どうにかだんを取ろうと真剣になっていたあおいは、突然鼓膜こまくを叩かれたことに心底驚いた。胸の真ん中で太鼓の音が響いている。

 一体何事か。警戒しながら顔を上げると、そこには大学生風の青年が息を切らして立っていた。

「凛藤あおいさん、だよね?」

「そうですけど……」

 あなたは? 彼女が尋ねるより先に、青年は身体中の酸素を吐き出しながらへなへなとその場にしゃがみ込んだ。亜麻色あまいろの髪が冷たい風になびく。額には汗がにじんでいた。

「あのお、もしかして、さん……ですか?」

 青年の様子を見て、あおいはピンときた。

「き……?」

「十七時に、ここで待ち合わせの」

 あおいはメモ紙を広げて(宛先は間違えてたし、大遅刻ですけどね、と内心悪態あくたいをつきながら)見せた。すると、少し間を置いて、青年が吹き出すように笑い出した。「違う違う!」

! 鬼ノ目堂おにのめどうって読むんだよ、それ。で、鬼ノ目堂は俺のバイト先の名前」

「〝おに〟……」

「俺は初瀬はつせ。初瀬タタラ」

「はつせ、さん……」

 彼女は差し出された手をおずおずと握った。〝しょせ〟じゃないのかあ、とは、言わずに飲み込む。どんな仙人じみた老人が現れるのかしら、なんて想像していたのがいた滑稽こっけいである。

「寒い中、だいぶ待たせちゃってごめんね。教授の話が長引いちゃって」タタラは彼女の様子など気にも留めずに続けた。

「いいえ、全然。待ってたのはわたしの勝手だし……」

「ここは寒いから、さっそく移動しようか」

「あ、これからどこかに行くんですか?」

「そ。〝きのめどう〟にね」ニヤリ。いたずらっぽくえがいた目が彼女の顔を覗き込む。「商店街の中だから、そんなに歩かないよ」

 じゃ、行きますか。そう言うと、彼は南門をくぐって、人気ひとけのないゴーストタウンに躊躇ちゅうちょなく足を踏み入れた。

 ──商店街の中にお店って。タタラの背中に目を向けながら、あおいは少し思案した。旧霞商店街の中を歩くのは、彼女にとって初めてのことではあった。しかし、かすみ町で生まれ育った人間ならば、こんなところに廃屋以外の建物がないことくらい誰でも知っている。もし、本当にバイトをやとうほど繁盛はんじょうしている店が存在するならば、既にそこら中でうわさになっているはずだ。怪しい、かもしれない。

 とはいえ、性善説を唱えながら人事を尽くすより他に、できることなど何もない。まあ、悪い人には見えないし。コケツニイラズンバなんとやらである。あおいは警戒しながらも、先ゆくタタラの後を追うことにした。

「凛藤さんは今……えっと、一年生だっけ」

「あ、はい。高校一年です」

「霞ヶ丘高校?」

「はい」

「そっかあ」

 道中は、他愛たあいのない会話が二人の間を行き来した。

 初瀬タタラはかなり社交的な性格らしい。あおいは警戒と持ち前の人見知りでエラーを繰り返したが、彼のアシストのおかげで会話が途切れることはなかった。

「懐かしいなあ。実は俺、卒業生なんだよねえ」

「初瀬さんは大学何年生ですか?」

「二年だよ。電車で通ってるから、駅降りてすぐ死ぬほど走ってさあ」

「ええ、すっごく遠いですよねえ」

「遠い遠い。おかげで冬なのに汗だくんなっちゃった」

 ──やっぱり大丈夫かも。

 屈託くったくなく笑うタタラの顔を見ながら、彼女はそう思った。

 旧霞商店街は、噂にたがわぬ閑散かんさん具合だった。廃墟はいきょ同然の景観けいかんにまばらな街灯が、ベタなお化け屋敷のような雰囲気を演出している。大丈夫かも、とは思いつつ、営業中の店が存在するなんてますます信じがたかった。

「……ところで、鬼ノ目堂って、何のお店なんですか?」

 なごやかな空気のおかげで、あおいはどうにか不安の一端いったんを切り出した。タタラは、「痛いところを突かれちまったなあ」と言うように眉間みけんにしわを寄せながらうーんと唸る。そうしてしばらく経ってから、もごもご答え始めた。

「説明しづらいんだけど……。そうだなあ、いて言うなら、何でも屋かなあ」

「なんでも屋……?」

「まあその、心構えとしては、できることは何でも屋……みたいな」

「はあ……」

 怪しさは増すばかりである。

 そんな町中でも流行るかどうかわからない業種をゴーストタウンで? 彼女の眼差まなざしは疑念ぎねんをたっぷり含んだ。

「やっぱり怪しいよねえ」

「あ、いえ……。そういうわけでは……」

 あおいは慌てて取りつくろう。しかしタタラは気に留める様子もなく、笑って流した。「大丈夫大丈夫」

「めちゃくちゃ怪しくて全然信じられないと思うけど、協力はできるはずだから」


             □


 辿たどり着いたのは、ご多分にれずさびれた木造家屋だった。欄間らんまに掛かった一枚板の看板には、達者な字で『鬼ノ目堂』と書かれている。今にも落下しそうなほど左に傾いている点を見ぬふりすれば、なるほど彼は出会い系の詐欺師というわけではなかったらしい。ようやく一安心。──とはいえ、やはりアルバイトを雇う余裕のある店には到底見えない。彼女はふと、脇に視線を移す。陳列窓にはブサイクな鶏の置物が転がっている。首に掛かった「いらっしゃいませ」の札は、辛うじて読めなくもない、という所まで風化していた。

 店と言うには想像以上に廃屋ぜんとしている。ただ、他と違って入口の頭上に息も絶え絶えな電球がひとつ浮かんでいるので、かろうじてここがそうでないということだけ、わかった。

「先に謝っておきたいんだけど」タタラは引き戸に手をかけながら言った。

「たぶん、中も大して暖かくないと思う。一応ストーブを点けておくよう頼んだけど……、アテにならなくて」

 果たして、店内もまったくの極寒ごっかんであった。ちらと中をのぞくと、これも外と地続きの暗闇が広がるばかりでへやの様子は少しもわからなかった。期待を裏切らないなあ。タタラはぼやきながら敷居をまたぐ。

「俺、店長呼んでくるから。凛藤さんは入って適当にしてて」

「あ、はい」

 彼は慣れた足取りで奥へ行ってしまった。

 一人ぽつんと残されたあおいは、どうしたものかしばらく考えた。大人しく中で待つべきか、外で待つべきか。そして結局、身を切る風の冷たさに耐えかねて意を決した。背に腹は代えられない。たとえ寒さは同じでも、この風がないだけましというものである。

「おじゃましまーす……」

 タタラの足跡あしあとを辿るように、無限の暗闇へ恐る恐る足を踏み入れる。すると、ふわり。こうのような渋いかおりが鼻腔びこうの奥をくすぐった。未だいだことのない独特な香りだった。思わず眉間にしわが寄る。一方で、遠くからは相変わらずタタラのおーいという声が聞こえていた。彼は全く意に介していないらしい。正気か。あおいは呼吸を止めながら、見えもしない亜麻色をじっとりにらんだ。

 愉快なサプライズはまだ終わらない。あおいがようやく完全に鼻腔を通行止めにして呼吸することに成功したとき、突然、彼女の脚になにやらぬくいふあふあが触れた──と思うと、すぐに離れた。そして暫くすると、また触れた。

 視界不良の中、得体の知れない感触。あおいは声にならない悲鳴を上げながら、パニックにおちいらないよう懸命に努めた。

「もお、なんなの一体……」

 お化け屋敷かドッキリ番組じゃないんだから! 彼女は今すぐにでも逃げ出したいのをこらえて、スカートのポケットからスマートフォンを取り出した。そしてすかさず、謎の毛玉Xをライトで照らす。さながら指名手配犯の逮捕たいほである。神妙しんみょうにお縄につけい。見ると、そこにいたのは二羽の立派なにわとりであった。

「なあんだ、びっくりした。かわいいやつめ、おどかすんじゃないよ」

 二羽は、ずいぶん人に慣れているようだった。突然スポットライトが差し込んでもどうじる気配はなく、あおいがでくり回しても逃げようとしない。大物のうつわだな、と彼女は思った。そして大物は、冷えた体を温めるのにたいへんよかった。


 謎の毛玉X改め大物ニワトリのおかげでだんを取ることに成功したとき、それまで二羽のスポットライト以外に光源こうげんのなかった店内を、橙色だいだいいろの明かりが包んだ。せいぜい常夜灯が点いた程度だったが、急に視界が明瞭めいりょうになったので、あおいには朝日でも登ったかのように思われた。

「何だ、人間のガキじゃねえか」

 チカチカする視界を慣らしていると、不意ふいに頭上から聞き慣れない低音が降ってきた。一瞬、二羽が喋りだしたのかと思ったが、そんなことあろうはずもない。──では誰が。

 顔を上げると、すぐ目の前で、身長2メートルはあろうかという和装の大男があおいを見下ろしていた。二羽がいそいそと逃げる。尾長鶏おながどり尾羽根おばね想起そうきさせる特徴的な長髪ちょうはつが、ベールのように二人を外界から切り離した。この世の者ではない、ように見えた。あおいは思わず悲鳴を上げた。

「うるせえな。おい、タタラ。このガキか?」

「お客さんに向かって『ガキ』はないだろ。見下ろすのもやめろ。ただでさえデカくて怖いんだから」

 大男の影からタタラが顔を覗かせた。湯呑みの乗った盆を手に、大男を牽制けんせいする格好で間に割り込む。

「ごめんねえ。この人、八鶏千歳やとりちとせ。この変な店の店長で、これから凛藤さんの力になってくれる人だよ」

 千歳はタタラの紹介に眉をひそめた。「勝手に決めんな」

「そうは言っても、目的は一緒なんだから」

「一緒かどうかはまだわかんねえだろ」

「ああ、そんな態度じゃ一生かかってもわからないだろうね」

 何だと。やんのかこんにゃろ。二人をはあおいを置いてけぼりにして、子供のケンカじみた応酬おうしゅうを繰り広げた。奇抜な見た目の大男と今どきの大学生が口論する様は、あまりに奇妙な光景である。「あのお……」

「すみません、わたし話が全然見えなくて……」

 やがておずおず挙がった手によって、試合終了のゴングが鳴った。タタラは心底すまなそうに割って入った彼女の顔を見て、早々にファイティングポーズをやめた。

「ごめんごめん、こんなことしてる場合じゃなかった」

「お取り込み中恐縮きょうしゅくです」

「とんでもない」

 

             □


「わかってるだろ、真澄ますみの大手柄だ。立派なお客さんなんだから、シャキっとしろよ」

 一人さっさと奥の小上がりに移動した千歳は、帳簿机ちょうぼづくえに肘をついて煙管キセルをぷかぷかふかし始めた。タタラをじいっと睨んだまま、肺というよりはもはや胃に届くのではないかという勢いで煙を呑んでいる。ふう、とそれを吐くと、店内の香りが一層強まった。ははあん、原因はこれか。あおいは密かに探偵を気取った。

「で、ネコが何だって?」

 彼女がタタラに促されるまま小上がりに掛けると、千歳がめんどうくさそうにたずねた。実にめんどうくさい、と半分だけ開いた目が語っている。ようやく本題に入る気になったのかな? あおいが確認するようにタタラへ視線を送ると、彼は湯呑みを配りながらGOサイン代わりにウィンクを飛ばした(どちらかといえば、説明を求めたいのは呼び出されたあおいの方である)。

 独特な雰囲気をまとう大男は、戸惑とまどうあおいを無言のままじいっと見つめていた。何を言うでもなく、何をするでもない。獲物を狙うたかがごとし。彼女は恐る恐る口を開いた。

「ええっと……、この前の百鬼行列に二人で行って、はぐれちゃって……」

「……」

「それから、行方不明っていうか……。二ヶ月も探したけど、見つからなくって」

「……」

「け、警察からも、目撃情報とかまだなんにも……ないって、言われてて……」

「……」

「……そ、んな感じ、です」

 言い終わると同時に、鬼ノ目堂は沈黙した。

 千歳の顔を盗み見ると、表情を変えないまま相変わらず煙をんでいる。果たしてこの顔は続けろということか、それとも黙れということか。何を考えているのやらとんと掴めない。あおいはとりあえず口をつぐんで、「この空気をどうにかしてくれ!」と言わんばかりの視線をってタタラに助けを求めた。しかし今度は彼の方も深刻そうに一点を見つめて、うんともすんとも言わなかった。

 大物ニワトリの二羽がちょっと歩いては床をつつく音だけが響いている。そうして五分は経っただろうか。最初に口を開いたのは千歳だった。

「行列は何日前だ?」

「え、あ、に、二ヶ月前……くらい?」

「正確に」

「──ちょうど、五十日前だね」

 あわあわ慌てるあおいの代わりに、タタラが答える。彼はスマートフォンのカレンダーを見つめながら、あちゃあ、という表情を隠せない。かたや千歳は半開きの目をさらに細めると、ため息ついでに呟いた。「頃合いだな」

「お前」

「〝凛藤さん〟」

「リンドウ、俺はネコについて多少の情報を持ってるし、探し出すのも……まあ、そう大して難しいことじゃない」

「じゃあ……!」

「が、お前に協力するかどうかは、お前の目的次第だ」

 空気がぴりつく。指先ひとつ動かすことさえはばかられるようだった。少し前とは打って変わって、鋭い眼光があおいを射抜いていた。

単刀直入たんとうちょくにゅうに聞く。お前の目的は何だ」

「目的……」

「どうしてウチに来た」

「それは……猫の情報を、少しでも得られるんじゃないかって、思って」

「情報を得てどうする」

「……探す、に、決まってるじゃないですか。……何が、言いたいんですか?」

 一瞬、千歳がタタラに何か確認するような視線を送った。それから煙管を置き台に立てて、飴色あめいろ双眸そうぼうは再び真っ直ぐあおいを捕らえた。

「俺達の目的は、ネコを見つけ出したその先にある。つまり見つけるんであって、べつにたすけたいわけじゃない。はっきり言うと、ネコがどうなろうが俺達には知ったこっちゃねえわけだ」

「俺はそんなふうには思ってないけどね」

「……だから、お前がこの件をすべて俺達にゆだねるつもりなら、ネコの無事は保証できない。──が、お前が命張れるってんなら話は変わってくる。どの道お前にその気がなきゃあ、救けるも何もないしな」

 あおいには、彼の言い分の半分も理解ができなかった。要するに協力しろと言っているのだろうという所までは理解ができる。しかし、それがどうして命を張るだの何だのという話になるのか。彼女の頭上には所狭ところせましと疑問符が浮かんだ。千歳は構わず続ける。

「こっちの都合だがお前の意思を先に聞いておきたい。ネコの為に命をける覚悟はあるか?」

 息を呑む音がした。あおい自身だったか、他の誰かだったかはもうわからない。じわじわと腹の底から広がっていく緊張感が、彼女とその他との境界を曖昧あいまいにする。突然目の前に現れた〝命〟の一文字はそれくらい衝撃的で、何がわからなくとも深刻な状況であろうことを理解するには充分じゅうぶんな重さであった。

 遠くで時報が鳴る。四つの目が、まばたきもせずあおいの回答を待っている。彼女には状況が少しもわからない。それでも、何を答えるべきかを迷う余地よちはなかった。

「猫を救けられるなら。わたしの命くらい、いくらでも」

「よし」千歳は満足げに頷いた。

「たった今から、俺達は協力関係だ。ネコを見つけ、救出するまで俺は俺の持てる全てを惜しまない。だからお前も、ネコに関する情報は出し惜しみせず全部渡せ」

「い、命はどこで賭けたら……」

「それも含めて、お前には説明しなきゃならないことが山程ある。……だが、今から説明してたら日付変わっちまうからな。明日あす、またうちに来い」

 気がつくと、時刻は二〇時を回っていた。スマートフォンには母親からの着信が三件。あーあ、これは説教コースだなあ。あおいは渋い顔で液晶を睨む。

 窓の向こうはてのない暗闇。室内は辛うじて表情がわかる程度の薄ら明かり。これでは時間の感覚など掴みようがない。仕方なかったんだ。帰宅後の情景を想像しながら、弁明を考える。

「遅くなっちゃってごめんね」

 タタラはそんな彼女の顔色を伺いつつ、無造作に放置したままの上着を羽織った。「お家の人、何て?」

「大丈夫。遅くなるかも、とは言ってあるから、たぶん『何時に帰るの?』っていう連絡だと思います」

「そっか」タタラは内心ほっと胸を撫で下ろす。

「まあ、なんにせよとっとと帰ろう」

「おい、お前は帰るなよ」

「お先に失礼しまーす」

「おい」

「冗談冗談。凛藤さんを家まで送ったら戻るって」

「え、いやいや大丈夫ですよ。そんなわざわざ……」

「未成年をこんな時間に一人で帰すわけにいかないでしょ」

 世の中こういう不審な人もいるんだよ。千歳を指差しながら言うと、あおいはふっふっと息を弾ませて笑った。


 二人肩を並べながら外へ出ると、雪が降っていた。

 通りで寒いわけよねえ。わざとらしく吐いた白靄しろもやが夜に解けていくのをぼんやり眺める。寒い。あっという間に体が冷えていく。彼女は震えていないだろうか。何をしていても猫のことが頭をぎる。金の髪、ハネた毛先、横顔。笑うと右目だけつぶれる癖。努めて思い出さなければ、自分も忘れてしまうのではないか──そんな恐怖がつきまとっていた。

「あの、八鶏さん」

 明滅めいめつする電球に雪が触れた。あおいは冷たい空気を肺へ送り込むと、店先で空をじっと見つめる千歳に深々と頭を下げた。

「どうぞ、よろしくお願いします」

「……おう」

 少しのを置いて短く返事をした後、千歳は黙って店内へ引っ込んだ。


 彼の背中を見送ってから、あおいとタタラも揃って帰路きろについた。商店街を出ると次第に家々の灯りがまばらに見えてくる。ふと気がつくと、雪はやんでいた。

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