猫に暁
七辻
お祭り、鬼面、リンゴ飴
提灯に点った灯りが、視界の端でゆらゆらと揺らいでいた。
月さえも眠る闇夜である。毎年十月のこの日に開かれる『
後ろからは制止する幼馴染の声が聞こえるが、今は返事をしている余裕もない。──急がなければ。その事だけが、彼女の思考を支配していた。急がなければ、当日百個限定の〝オニリンゴ飴〟が売り切れてしまう!
二人は手を繋いだまま、一人抜き、二人抜き……そうして五分は走っただろうか。
ふと、気がついた。
右手にあった感触がない。見ると、幼馴染と固く繋いでいたはずの手はぶらりとひとり遊んでいる。嫌な汗が額に滲む。急に肺が冷えたようになって、心臓がどくどくと早鐘を打ち始める。通りで賑わう人々の声が、やけにうるさく感じた。
恐る恐る、後ろを振り返る。しかしそこに幼馴染の姿はなく、代わりにぽつんと残された鬼面が恨めしそうにあおいを見ていただけだった。
□
期末考査が終わり、ようやく全てのしがらみから開放された学生たちにとって、残された数日間は休みの予定を立てるために存在している。今や考えるべきは
当然、一年三組の教室も例外ではない。休み時間になると必ず、クリスマスがどうのとか年末がどうしたとかいう楽しげな話題が飛び交った。もういくつ寝ると、なんて
誰もが目前に迫った冬休みを心待ちにしていた。ただ一人、彼女を除いては。
「お昼ですが」
不意に頭上から声がかかって、あおいはハッとした。
弾かれるように周囲を見ると、クラスメイトは思い思いに昼食を摂り始めたところだった。
「大丈夫?」ベストタイムキーパーが、
「
「最前列でぼうっとできるなんて、もう才能だよねえ」
「褒めすぎ褒めすぎ」
「褒めてない。橋本先生落ち込んでたよ」
そんなに先生の授業はつまらないですか、って。敦子はモノマネを交えながら、当時の空気がいかに重苦しかったか説いた。
「ええ……。どうしよう、全然覚えがない」
「そうでしょうとも。あれは、なかなか芸術点の高いシカトだったね」
想像すると、背筋が凍った。そんなつもりなかったのに。あおいは弁当の包みを開きながら、胸の中で弁明した。
ただでさえ、教師陣からの
あーあ。また担任から小言を言われそうだなあ。口に放り込んだ卵焼きは、いつもより塩辛い味がした。
「まあ、あおいが抜けてるのなんて元々だし。気にしなさんな」
敦子はあおいの肩を軽く叩きながら、
「敦子ちゃんが言い出したのにヒドイ」
「冗談だよ、ジョーダン」
敦子はからから笑った。
「あおいは今それどころじゃないって、皆ちゃあんと分かってるから」
二日前にはかすみ町でも初雪が観測された。気温は日々最低を更新している。日を追うごとに着膨れしていくお天気キャスターの姿は、ただただあおいを不安にした。
「で、
「なーんにもなあい」
「百鬼行列のあの人混みでしょ? 目撃者が誰もいないってこと、ないだろうに」
「そうだよねえ。そう思うよねえ」
情報は、すぐにいくらでも上がってくるだろうと思っていた。決して、甘く考えていたわけではない。例年、百鬼行列にはこれを目的として全国から観光客が押し寄せる。祭りの参加者は年々増加傾向にあり、今年で言えば例年の二倍だとか三倍だとか言われていた。
そんな状態で、遅かれ早かれ事件は解決するだろうとどこか悠長に構えていたのは、あおいに限った話ではなかった。
「……本当はさあ、みんな知ってるんじゃない? 猫がわたしに
「また始まった」
「わたしには黙ってろって、猫に頼まれてるんじゃないの?」
なーんて、思っちゃうくらい。何にもないのよねえ。
当初、〝同じ学校の生徒が行方不明〟という衝撃的なトピックは平凡な生活を送る学生たちを一気に非日常へ
行方不明のミヤマチ事件は、早くも過去の出来事になろうとしていた。それがあおいには耐え難く恐ろしかった。はやく見つけなければ。誰もが猫を忘れてしまう前に。そういう焦燥感ばかりが募っていた。
「本当にそうだったら、どうしよう」
「〝そう〟って?」
「だからその、わたしのことが嫌になっていなくなったんだったら……」
口ごもるあおいに、敦子ははっきり答えた。「ナイでしょ」
「どうして言い切れるのよう」
「だってあたしは当事者じゃないから」
「薄情者……」
「失礼な。これはね、冷静な他人からの客観的見解なのよ」
気がつくと、最後の卵焼きは敦子の口に放り込まれるところだった。敦子はごちそうさまと言わんばかりにウィンクをひとつかますと、「じゃ、あたしは委員会だから」とそそくさ席を立った。
「言い逃げはんたあい!」
「言い逃げはあたしの信条」
あおいはぷりぷりしながら、
「そういえば、言い忘れたことがあったんだった」
スープジャーに口をつけたちょうどその時、見送ったはずの敦子が戻ってきた。
「委員会は?」
「ちょっとくらい平気平気」
敦子はブレザーの右ポケットを探ると、小さなメモ紙を取り出した。「そうそう、これこれ」
「なあに、これ」
「これがさあ、今朝あたしの靴箱に入ってたのよ」
「ええ、いまどきラブレター? 敦子ちゃんもてるんだねえ」
どこに呼び出し? あおいは興味津々に尋ねる。が、敦子は首を横に振った。
「あたし宛だったらわざわざ戻ってまで報告しないよ」
「じゃあ、誰宛?」
敦子は黙ったまま、メモ紙をあおいに差し出した。
あおいはメモ紙と敦子の顔を交互に見比べながら、目をぱちくりさせている。しばらくそうした後で、ひぇ、と形容し難いへんてこな声を挙げた。
「ないない、おかしいよ。敦子ちゃんの靴箱に入ってたのに、どうしてわたし!?」
「知らないよ、間違えたんじゃないの。『凛藤あおい様』って書いてあるし」
あたしは凛藤あおい様じゃあないからねえ。じゃ、そういうことで。敦子は言うだけ言って、今度こそ本当に去っていった。
得体の知れない何者かからのメッセージを
凛藤あおい 様
本日十七時、
三谷町猫さんについてお聞きしたいことがあります。
鬼ノ目堂 初瀬
「き……のめどう、しょせ?」
なんてへんてこな名前! あおいは思わず口にしかけたのをぐっと
「十七時だから……、急がなくっても間に合うかな」
メモ紙を折り目通りに
借りられるものは猫の手でも借り、掴めるものは
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