第27話 嵐

ルーシーはひとりに戻っていた。


「こいつらが、私たち家族の大切なものをめちゃくちゃにしたの」


視線の先にある木の根元に、クレアがうつぶせに倒れている。


「あの男は自分の遊ぶ金欲しさにおじいちゃんの劇場を売り飛ばして」

『この女は芝居に興味なんてないくせニ、目立ちたいだけデ、みんなの劇を台なしにしテ』


「私の大切な居場所を奪って……」

『あざわらっテ……』


折り重なるようにこだます声は早速だれのものかわからない。


「許せない」


『許せるはずがなイ』


よどんだ影がみるみるうちにふくれあがっていく。


「『なにひとつあいつらにくれてやりはしない』」



「―――― っ」


我に返ったチャーリーは息を呑んだ。

吹き付ける暴風のごとく強烈な怨念に、立っていることもままならない。


「ルーシーさんっ!」

「あなたたちはそこでおとなしくしていて」


途端、まるで金縛りにあったかのように足が地面からはなれなくなった。

今にも体を飲み込みそうなほど育った影をまとい、ルーシーは前に手をかざした。

いつのまにか刻印が首から指の先にまで広がっている。

見えない力によって起こされたクレアの細い首に、するすると縄の先端がおりていく。輪っかを自らにかけるため、意識のないクレアの手が力なく持ち上げられた。


「アレクさん!これはさすがにいろいろマズい状況なのでは?!」


このままだとクレアは殺され、ルーシーも爆死のカウントダウンがはじまってしまう。アレクが低く舌打ちした。


「こんだけ育てば、核の位置が確認できるかと思ったが……悠長にしてらんねぇか」

「か、核?」

「憑依者を止めるためにはあの黒いのどっかにある核を破壊しなきゃなんねぇんだよ」


魔女の残滓ざんしが食った負の感情が凝ったものといわれるそれは、赤い燃えるような燐光をはなつかけらだ。

アレクはホルダーから拳銃をぬくと、ルーシーの眼にふれないよう低くかまえた。

狙いを定める。一拍置いて、銃声が鳴り響いた。


ドンッ!


宙に引き上げられかけたクレアの体が間一髪、ドサリと音をたてて落ちた。


(ひえ)


決して狙いやすい的とはいえない縄を正確に打ち抜いた腕にチャーリーは舌を巻いた。


「『……どうして止めるの。邪魔をするなら、あなたにも眠ってもらうわよ』」


振り向いたルーシーをつつむかげろうのようなもやが危険にゆらめく。


(昨日みた光景と同じだ)


安全な物陰からのぞいていたあの時とはくらべものにならない、正面からまともにくらう瘴気のおぞましさに歯の根が合わない。

ふるえが止まらないチャーリーを背後にかばい、アレクはふたたび銃をかまえた。そのままゆっくりと前に出る。

なんであなただけ普通に動けるんですか、とツッコミをいれる余裕もないチャーリーはその後姿を見送るしかない。


「同じことをフランクリンにもいったのか」

「バカなおじさん……わざわざ『他に自分にできることはないか』っていいに、ここまで来たっていうのよ。バカバカしくて、思わず笑ってしまったわ」


ルーシーが長いまつ毛が震える。


「警察や劇団の人間の眼からクレアをかくしたのも、倉庫までクレアを運んだのも、お前がフランクリンを操ってやらせたんだと思っていたが ―――― 違うんだな?」

「おじさんを巻き込むつもりはなかったわ。ハーヴィーを殴った音を衣装部屋で聞いてしまったおじさんが、ハーヴィーが私に手をあげたものと勘違いして、事務室へ駈け込んで来たの。そのすぐあとにクレアまでやってきて……。クレアの意識を奪うのはかんたんだった。だからおじさんにも同じように眠ってもらって、記憶を消してしまおうと思ったの」


今の自分にはそれができると、闇色の声がそういったから。

しかしなにかをするより前に、フランクリンが動いた。


「ふたりとも死んだのか?」


静かな表情で男はルーシーの肩をつかんだ。

動揺していたのはルーシーの方だった。

かすれた声で「クレアはまだ……」としぼりだす。

今思えば失言だった。しかしフランクリンはすべてを理解したようにうなずいた。

ふしくれだった大きな指に力がこもる。


「このままここにいたら誰かに見つかる。ひとまず、クレアを衣装部屋に隠そう」


ほどなくしてやってきた警察を平然とやり過ごすフランクリンの姿に、ルーシーの心を千々に乱れた。


「―――― これは私が望んだこと。私の罪。でもフランクリンおじさんは違う。なにもしてないのに……あんなにやさしいひとを巻き添えにしてしまった」

「だから、自分だけの罪だと告げるために自首しようとしたのか」

「おじさんは、私のもうひとりの父さんだから……」


胸もとをおさえるように両手をあわせる姿が、チャーリーの素描に描かれた女性と重なる。

スポットライトの中にぽつんと立つルーシーは、まさに悲劇のヒロインそのものだった。


「でも、頭の中がいろんなことでぐちゃぐちゃになって、結局逃げてしまった……。怖くて、怖くて……でもこの恐怖からも解放されたくて……!」


もうどうしたらいいかわからなくなった時、あの声がささやきかけてきた。


『クレアに負わせてしまえばいイ』


『邪魔者ハ、まとめて消してしまえばいイ』


『あの娘と共ニ、すべてなかったことにしてしまえばいイ……!』



これは、きっと自分の中の弱い心の声。

そのひびきはなんと甘やかで、苦しみが流れ出る傷口をなぐさめるものであったか。

その言葉が正しいかどうかなど、もはや関係ないことだった。


「怖いなら、あんたをかばおうとしたフランクリンを本当に思うなら ―――― これ以上罪を重ねるのはよせっ」


アレクに言葉に、しかしルーシーは悲しげに首を振った。


「……むりよ」

『それはできなイ』


ざわっ、と闇がさらに濃く噴き出す。


「ここまできてしまったの」

『止めることはできなイ』

「『私にはもう、ほかの道なんてない!』」


噴き出した瘴気が黒い飛翔物へと姿を変え、次々とアレク目掛けて突っ込んできた。


「アレクさん!」


すんでのところで横転したアレクは、たん、と手をついて素早く起き上がると、そのまま吹きすさぶ瘴気の中を駆け出した。

三つ又の尾をもつ闇色の鳥たちが群れをなしてその背中に襲いかかる。

無数の影に弾を打ち込んだところで大した効果が得られないとわかっているのか、アレクは無駄撃ちをしない。なんとか標的であるルーシーとの距離を詰めようと、様子をうかがいながら大きく旋回するように走るが、黒い春ツバメがたくみに邪魔をする。


(鳥たちがつくる壁のせいで、逆に押し戻されてる……っ)


邪魔者を退けることに成功したルーシーの注意は、すでに横たわるクレアへうつっていた。

両手をひらいて上にあげると、ふわりとクレアの体が空中に浮かび上がった。

千切れた縄の先端がまたたくまに再生していく。


「ダメ……!」


チャーリーが見つめる先で、ルーシーの血の気のない唇が「これでいいの」とささやいたようにみえた。


必死に手をついて前へ進もうともがく。

しかし地面にはりついた足は動かない。

なにもできない自分に唇を強くかみしめる。


華奢な体が吊り上げられていく。

クレアの自重に耐える縄がギシリと悲鳴をあげた。


(見ろ)


丸メガネをはずす。


(見ろ!)


懸命に眼をこらした。

昨晩も見た赤がどこかにあるはず。

黒い突風のうなりに負けそうになりながら全神経を集中させる。


(私には見ることしかできないんだから…!)



ごうごうと波打つ瘴気、その中心にルーシーはいた。


暗黒の生き物と半分融合した体。

荒れ狂う闇の合間をぬうようにしてなにかが揺らめいた。

一瞬、けれどたしかに赤くきらめいた光を、花緑青の瞳は見逃さなかった。


声を張り上げる。


「胸もと!鎖骨の下あたり、核があります!!」


ルーシーと眼があった。

否。ルーシーの背後にうずまく巨大なと眼があった。そして ――――――



ドンッ!


ドンッ!!



鳥の壁に大きな穴があいた刹那、ルーシーの体が後ろへ吹き飛ばされた。

彼女の胸もとをつらぬく光のすじが暗闇を一閃する。

わずかに遅れて、赤いきらめきが砕け散る音がひびいた。


まるで夢の中のように、すべてがゆっくりと流れていく。

飛んでいくルーシーの表情はわからない。

ただ、小さな光の粒が彼女の頬をつたって舞い散るのが見えた。



そして ―――――― 轟音。


世界をふるわせて、闇が天から崩れ落ちた。

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