第26話 踏みにじられたものたち

しゃらん! ――――――



「やだ、ルーシーさん聞いてないんですかぁ?今度の『春ツバメ』の主役はクレアがすることになったんですよぉ」


暗闇の反対側に生まれたスポットライトが新しい登場人物を照らし出した。

トンプソンはもういない。

代わりにルーシーはクレアと向き合っていた。


「え?」

「前の芝居でお客の反応がそれなりに良かったからって座長はいってましたけどぉ」

「でもクレア、『春ツバメ』は前回の演目とくらべものにならないくらい台詞が多いわ。出入りのタイミングも難しいし、とても大変なのよ?」

「ハーヴィーがクレアならできるっていってくれましたしぃ」


ころころと鈴を転がすように笑うクレアは可憐で愛らしい。

しかしその瞳には獲物をいたぶる猫のような執拗さと優越の色が見てとれた。

かつてのルーシーとトンプソンの関係を彼女は知っているのだ。


「それに、やっぱり主役って、華が求められるっていうかぁ」

「……大した自信ね。でもお芝居は容姿だけでできるものじゃないわ。だいたいあなた、お稽古にだってロクに顔を出さないで外で遊んでばかりじゃない」

「ルーシーさんってば、『春ツバメ』の主人公は自分にしか演じられないとでも思っっちゃってるんですかぁ?それってすっごい傲慢~!だからハーヴィーにも愛想つかされちゃんですよぉ?」


ルーシーの頬に朱が走った。


「今はそんなこと関係ないでしょう」


形容しがたい屈辱感に声がふるえる。


「関係ありますよぅ。なんだかんだで配役を決める権限は座長にあるんですからぁ。前はお父さんがルーシーさんを主役にしてくれたのかもしれませんけどぉ、今後はクレアがスワロウ座の看板女優なんだって、ハーヴィーに約束をもらったんですぅ」

「は……?」


綿菓子のような亜麻色の髪がふわふわと揺れる。

羽のような軽やかさで、クレアはルーシーの耳のそばでささやきかけた。


「ご愁傷様」


やだ、また怖い男の人たちが表にいるわぁ、と少し困ったようにごちて、クレアはさっさと裏口へ消えていった。

ひとり残されたルーシーの背後で、闇色の生き物が毒々しい瘴気を吐き散らして大きく揺らめいた。



―――― しゃん、しゃりーん……



世界がふたたび暗転する。


「私にとって、祖父が残した劇団と、父が創ってくれた作品がすべてだったの」


ルーシーの白い手が、闇の中に浮かび上がる大きな木の幹にふれた。

花びらがひらひらと花吹雪のように舞い踊る。


「山間にある父さんたちの古郷にはね、丘の上に大きな老木があるの。春になるとやってくる春ツバメをこの木の上から見るのが、父さんは好きだった」


春ツバメの群れが頭上を飛んでいく。


「父さんは、おじいちゃんが残してくれた一座とこの劇場を、とても大事にしていたの。私がはじめて舞台の真ん中に立った時は、それは喜んでくれたものよ」


つぶやくルーシーの左右に、やさしげな年配の男性がふたり立っていた。

あたたかいまなざしにつつまれて、ルーシーはそっとまぶたを伏せる。


「舞台の上でお芝居をする私を見ることが、なにより嬉しいんだって」


そういって父は『春ツバメのはばたき』を贈ってくれた。

あれは父が娘の成長を祝うために創ってくれた、この世でたったひとつしかない、ルーシーの物語。


まばゆいライトを全身にあびて、顔を上げれば、割れんばかりの歓声と拍手がルーシーをむかえた。


幸せだった。

ここに立てることが。

父と祖父が積み上げた、かけがえのないものを受け継いでいくのだと、信じて疑わなかったから。




『―――――― なのニ、あいつらがぜんぶ踏みにじっタ』


耳ざわりな割れた声がひびいた。

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