第19話 手掛かりを紐解く
「劇場で自分が気になったその他の点はこれらです」
チャーリーが手の中にあった残りの素描をすべて貼り出した。
手始めに示した右端のスケッチは、酒瓶の絵だ。
「現場には大量の酒瓶が転がってましたが、すべて『ヒルドン・エール』という銘柄の麦酒でした。劇場までの通り道にあった酒屋でも取り扱っているのを見ましたが、アレクさんによれば、安価で手に入るんだそうです」
「まあよく見る麦酒よね」
「その安酒のどこが気になったんです?」
「ヒルドンのトレードマークはこれです」
チャーリーが指さした瓶のラベルを見ると、装飾文字の右上にヤマネコのマークがあった。
「ヒルドン・エールに使う麦はヒルドン地方で生産されたものですが、これは、そのヒルドン地方の山に古くから生息するヤマネコを模した意匠なんです」
「ああ、聞いたことがあるわ。たしか、麦酒のように美しい黄金色の毛並みをもってるところも、モチーフになった要因なのよね」
「そうです。ヒルドン・エールには必ずこの意匠が入ります。ですが ――――」
指をツ、と左隣の絵に移動させる。
それはアレクに見せてもらった凶器の写真を拡大したスケッチだった。
「凶器になった酒瓶のラベルには別の意匠が描かれていました」
「これは……鳥?」
「より正確を期すと、これは春ツバメです」
春ツバメの特徴である尾や桃色の指し色を一同に説明する。
腕を組み、黙って話に耳をかたむけていたアレクがふいに口を開いた。
「衣装部屋で、フランクリンが『見たことがない』つってた小道具のかぶりものも、春ツバメだったな。あれもたぶん、本来は別のかぶりものであるはずが、春ツバメに歪められたクチだろう」
「あら、ツバメつながりなら、今スワロウ座が上演している演目も『春ツバメのはばたき』よ?」
「春ツバメに関する手掛かりが複数ですか……」
考えをめぐらせるようにボールドウィン室長がつぶやく。
するとチャーリーが、今度は左端のスケッチのそばに立った。
「衣装部屋で気になったことは、もうひとつあります。これは衣装部屋の壁にかけられていた仮面です。皆さんの眼にはどううつりますか?」
「どうって……色違いの同じ仮面が四つ並んでるように見えるわ」
メガネ絵描きが首肯する。
「フランクリンさんにきいたところ、この仮面は『レオンの道化師』という戯曲で使う小道具なのだそうです」
「『レオンの道化師』……はて、たしか喜劇だったような」
「そうです。『レオンの道化師』は主人公の道化師が、外ヅラばかり良い主のレオンの内面を、仮面を使っておもしろおかしく揶揄する、という話です」
人の感情を表現するための道具。つまり ――――
「仮面は本来、『喜怒哀楽』がそろっているはずなんです」
「ああ」
「なるほど」
「たしかに、『怒』が四つってどんだけお怒りよって感じになるもんね」
半笑いでオリビアがいう。
「意図的に憤怒の仮面を四つそろえている可能性はないともいいきれないので、念のためフランクリンさんに確認してみましたが、フランクリンさんも困惑した様子でした。やはり『喜怒哀楽』すべてがそろってる状態が正しいのでしょう」
「最後に質問してたのはそういうわけか」
もはやなにをきいても驚かないていのアレクが半眼になる。
「―――― となると、ここまでで見つかった残滓の痕跡は……」
オリビアは新しい画用紙をローテーブルの上に広げると、文字を書きつけていった。
・『舞台背景』
・『怒り』
・『春ツバメ』×2
「次はこれらの手掛かりが、どう憑依者につながるかを考えなくてはなりませんね」
「それにしても春ツバメが複数回出てくるのはなにか意味があるのかしら?」
オリビアがハチミツ色のショートボブをくしゃくしゃとかきむしる。
「どうでしょうね」と口にしながらボールドウィン室長はアレクに目くばせした。
視線を察したアレクが伏せていたはしばみ色の瞳をひらく。
「……あと少し、情報がほしいところですね」
「そうですねえ……チャーリーくん?」
視界の端で執務机の方へ歩いていくメガネ絵描きの姿をとらえた室長が顔をあげる。
つられるようにアレクとオリビアも振り向いた。
「この絵を描いた時から、ずっとなにかが頭のどこかにひっかかってたんです」
そういいながらチャーリーは机の上にある一枚の素描を取り上げた。
そして他の三人に見えるよう、ピラリと向きを変えてかかげる。
「でもどうしてか自分でもわからなくて。なにがひっかかってるんだろうって思ってたんですけど……そしたら劇場から署に戻ってきた時に、やっと気づいたんです」
チャーリーが手にしていたのは中央広場の絵だった。
「この憑依者の女の人、影のつき方がおかしいんです」
「影のつき方?」
三人がわらわらとチャーリーの周りに集まり、手元をのぞきこんだ。
「これは夕方の絵なので、影は西日を受けて生まれます。東側にある建物も、屋台も、その近くの街灯も、この絵の中では同じ方向に影ができているのに、この女性だけ影が逆にはいってるんです」
同じ空間にあって、女性だけ真正面から光があたっているように見える。
まるで ――――
「まるで、悲劇の主人公にスポットライトがあたっているかのように」
「…………」
「…………」
「…………」
誰もが言葉を失い、目の前の素描に見入る。
チャーリーの声だけが淡々と地下室に響いた。
「この女性は恐らく、心の葛藤に苦しんでいるんだと思います。ともすれば、自らが犯した罪を自首したくなる衝動に駆られてしまうほどに」
三つの不思議そうな視線がチャーリーに集まった。
メガネ絵描きが眼をぱちくりする。
「……あれ?そう思いません?」
「いや、なんでそんな解釈になるの?」
「自首したくなるってなんだ?」
「だって」
メガネ絵描きがキョトンとする。
「これ、警察署前の景色ですよね?」
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