第5話 不可解な空想
細部の描き込みや濃淡のグラデーションを仕上げたところで、ようやくチャーリーは顔をあげた。
「わっ」
思いのほか至近距離にあった小さな頭に、思わず後ろへのけぞる。
少年は見入ったように、描き上がった絵をじっと見つめていた。
「え、ええと、いかがでしょうか?」
受け取った画用紙とチャームの中の写真を交互に見比べる少年。
しばしの沈黙が落ちた。
ややあって、小さな客は信じられないものをみるような眼で
「……魔法みたいだ」
そうぽつりとつぶやいた。
両頬をうっすらと上気させ、なにかがこぼれるのを耐えるように唇を引き結んだ少年の様子に、メガネの絵描きは「気に入ってもらえて良かった」と照れ臭そうに頭をかいた。
「坊ちゃん!坊ちゃん!」
ビクリ、と少年の肩が揺れる。
声の主の姿はみえないが、遠くの方から呼び声が聞こえてきた。
「―――― 僕、行かなきゃ」
代金を渡した少年は、最後に「ありがとう」とささやくと、声のした方向へ走り去っていった。
* * *
「いやあ、この短い時間でよくここまで描けるなぁ。本当に写真みたいだ」
できあがった鉛筆画をためつすがめつ、仕事でウィンドナートへやってきたという青年客は感心したように顎をなでた。
その言葉にチャーリーは恐縮そうに微笑んだ。
似顔絵であれば、だいたい十五分ほどで描き上げる。
ちょっとしたすき間時間に立ち寄るお客も少なくない。
「ありがとさん、いい土産話ができたよ!」
「ありがとうございました、道中お気をつけて~」
ウィンドナート滞在二日目の絵描きの絵は、街の土産話にカウントしていいのだろうか。
そんな稼ぎにならない疑問はおとなしく胸にしまって、チャーリーは午前中最後の客をにこやかに見送ることにした。
「よし!この調子で午後からも頑張ろう」
ロケットペンダントの少年が呼び水になったのか、運の良いことにあれから何人かの客が足を止めてくれた。
この好調が続けば、今日の宿代まで稼げるかもしれない。
ホクホクしながらパン屋でおまけしてもらった黒パンにかぶりつく。
朝と比べて俄然歯ごたえが増しているが、昼飯があるだけありがたい。
(明日も寄らせてもらおう)
もしゃもしゃと口を動かしながら、さきほどの客が置いていった新聞を手に取る。
一面には『スワロウ座座長 何者かに撲殺される!』と物騒な見出しが踊っていた。
パンをもうひと口かじって、二面、三面、と軽く眼を通していると、
「ん?」
小さな写真付きの記事に眼が止まった。
北のボートビー町から出稼ぎにやってきた男が、とある貴族階級の若者を口論のすえ刺殺し、その後自らも変死体となって発見された、という内容だった。
「変死体……?」
死体の詳細まではかかれていなかったが、添えられた写真は発見された男の人物写真だった。
「んん……?」
顔面ぎりぎりまで新聞を近づける。
白黒写真なので正しく色を判別することはできないが、巻き毛のような長いクセ毛と継ぎ目のない造りの上衣には見覚えがあった。
(あの時は後ろ姿しか見えなかったけど、たしか同じような造りの服を着てたような)
黒いもやにつつまれていたあの男が本当に実在していたと?
「いやいや。まさか、そんなバカなことあるわけ……あれ、まてよ」
なにかひっかかるものを感じたチャーリーは残りのパンを口に押し込むと、
(そういえばあの時のアレってもしかして)
習作用の画用紙をカバンの中から引っ張り出した。
昨晩の記憶を掘り起こしながら、紙の上で一心不乱に鉛筆をすべらせる。
(あの時見たのは、黒いもやと、銃をもった男の人と、やまない潮風と、それから……)
描き上げた素描をあらためて見直したチャーリーは小さい声でつぶやいた。
「そっか……あれは槍じゃなくて、銛だったんだ」
槍にしては妙な形だと思っていた。
ボートビーは漁が盛んな北部の町だ。
大型の魚の漁で使われる銛は、得物を逃さないようにするため、先端の金属に釣り針のような「あご」がつく。
男が来ていた上衣は、冷たい波をはねのけ、風を通さない漁師たちの作業着だった。
(あの男の人は漁師だったのかもしれない)
―――― と、そこまで考えたところでチャーリーは首を振った。
「いやいや……」
だからなんだというのか。
こんなことに思いを馳せたところでなんの説明にもならない。
昨日見た夢物語のような光景が意味不明であることも変わらない。
そんな空想に頭を働かせているヒマがあるなら、次の客がくるまでスケッチの練習をしていた方がよほど建設的だ。
チャーリーはメガネをくいっとあげると、気をとり直して、新しい練習用紙の上に鉛筆を走らせはじめた。
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