第1話 大嫌いな人

 舞台は東京、下町。

 初夏を迎えた、雲一つ無い青空の下。日差しがジリジリと照り付ける、日曜日の昼下がり。

「ねぇ、菜奈。今更なんだけど、メイク崩れてない?」

 奈央が携帯扇風機を自分の顔に向けながら、妹の菜奈に確認を求めた。

 三上奈央みかみなお。大学在学中で、将来は世界を駆け巡る通訳になりたいらしい。

 毎日のトレーニングによる、抜群なスタイルに綺麗なセミロングヘア。メイク映えする顔も、モデル並みの手足の長さを生かしたジーンズルックも、まあまあイイ感じ。

 もともと、身だしなみを気にするタイプというのもあるのだが、付き合い始めたばかりのカレシに会いに行くということで、さっきからいちいちうるさかったりする。

「さっき直したばっかじゃん」

 菜奈が、呆れたような表情で言い返した。

 三上菜奈みかみなな。父親が、天然理心流てんねんりしんりゅう師範代しはんだいで、剣道一筋であることもあり、自らも影響を受け、中学から剣道部にて稽古けいこに励んできた。

 高校生活三年間の目標は、全国高校総体剣道大会で優勝すること。 

 今日は、白Tシャツにデニムでボーイッシュにコーディネイトしており、奈央と同じくやや丸顔だが、サラサラなボブヘアはもちろん、奥二重の目も、さくらんぼのような唇も。奈央の萌え声に対して、少し低めな声が大人っぽくて魅力的だ。

 ほとんどの友達がメイクやら、カレシやらで盛り上がる中、「高校生がメイクだぁ?! カレカノだぁ? アホか!」と、いうイマドキの女子校生とは思えないほどのスポーツバカで、周りからは『イケメン女子』と、呼ばれている。

 菜奈が、「大丈夫。お姉ちゃんはいつも可愛いから」と、言ってなだめ。「そう、それならいいんだけど」と、奈央がニッコリと笑顔を返す。

 自分の印象を気にしすぎる奈央と、そんなことは二の次な菜奈。姉妹なのに、こんなにも趣味が違うのは珍しい。いや、だからこそ上手くいっているのかもしれない。

 つい先程までは、二人で買い物してランチして帰宅。という予定だったのだが、急遽きゅうきょ、最近お付き合いを始めたという奈央のカレシから、お誘いの電話を貰い、二人して家に招かれることになったのだった。



 *

 *

 *



 たどり着いた目的地である家前───

「こ、ここ? ほんとにここなの?!」

 菜奈が、ドア前で少し不安げにつぶやいた。何故なら、かなり立派な庭付き一軒家を目前にしていたからだ。

「ここでいい、はず。しっかし、戸建てだってことは聞いてたけど、ここまでとは……」

 奈央が緊張しながら呼鈴ベルを鳴らす。誰かの気配を感じると同時にドアが開いた。

「いらっしゃい。待ってたよ」

 開口一番。奈央のカレシであろう優しそうな男性が、笑顔で二人を迎え入れる。


(な、なんじゃあぁぁ。この国宝級イケメンは!)


 菜奈が呆気に取られるのも無理はない。

 この人気アイドル並みなイケメンが、奈央のカレシ、牧野祐輔まきの ゆうすけ。奈央より二つ年上で、同じ大学に在学中。奈央と同じく、通訳を目指している。

 茶髪ミディアムルーズヘアに、大人カジュアルとでもいうか、高そうな深緑色のカプリシャツと、ジーンズの組み合わせがオシャレで、可愛らしい奥二重おくぶたえ、すっと伸びた鼻筋、整った眉毛。そこに甘い声が加わって、まるで少女漫画の世界からそのまま飛び出て来たかのよう。

「お前、なんでここにいるんだ?!」

 祐輔の後方、菜奈は聞き覚えのある低くハスキーな声にハッとしてそちらを見遣みやる。

 そこにいたのは、同級生で同じ剣道部部員の星南奏人ほしなかなとだった。

 菜奈とは中学の頃からの付き合いである。父方の祖父の影響により、九歳の頃から剣道一筋。菜奈同様、一年生ながら、その素質と技術を認められている。

 こちらは、黒Tシャツに迷彩柄カーゴパンツというラフなスタイル。

 180㎝もある身長。大人っぽい切れ長の眼に、ほどよい胸筋。色黒で、黒髪ショートヘアが男らしさを際立たせている。

 こう見えて文武両道ぶんぶりょうどうであり、祐輔がいやし系ほのぼの男子なら、奏人はワイルド系ガサツ男子といったところだろうか。

「そういう星南こそ、なんでここにいるの?」

 そんな二人の出会いは、中学一年の春。

 一回も同じクラスになることは無く、部活が一緒じゃなければ、お互いを知ることはなかったかもしれない。

 ケンカするほど仲が良い。周りからはそんなふうにからかわれているが、当の本人たちはこんなにも気が合わない人は他にいない。と、思い合っている。

「あれ、二人とも知り合い?」

 祐輔が、苦笑しながら菜奈と奏人を交互こうごに見た。

 そんな祐輔に、菜奈は簡単にだけれど奏人との関係を説明する。と、祐輔はすぐに、ぱぁーっと顔をほころばせた。

「そうだったんだ。ま、とりあえずここじゃなんだから、上がって」

 祐輔に誘われるままに、リビングへと向かう。

 玄関も、とても広くて綺麗きれいだったが、アメリカ映画などでよく見かけるダイニングリビングも想像以上に広く、白い七人がけソファーやら、長方形のガラステーブルやら。絨毯じゅうたんやカーテンに至るまで、その全てが高級品に見える。

 そして、ソファーにくつろぐ菜奈たちの前には、祐輔がれた美味しそうな紅茶と、これまた高級そうなクッキーがテーブルを彩り始める。

「良かったら、クッキーも食べてね」

「い、頂きます……」

 菜奈は、にっこりと微笑ほほえむ祐輔に軽くお辞儀じぎをして、紅茶を頂くことにした。一口飲んだ途端、口の中にベルガモットのフルーティーな甘みが広がっていく。

「うわ、すごく美味しいです!」

 菜奈が素直な感想を口にする。と、祐輔は更に嬉しそうに瞳を細めた。

「良かった。それはそうと、同級生ってことは、奏人とは付き合い長いのかな?」

 再度、祐輔から尋ねられ、菜奈はずっとスマホをいじっている奏人を見ながら、溜息ためいきま交じりに答える。

「はい。残念ながら……」

 そんな菜奈のつぶやきに、奏人も反撃はんげきするかのように口を挟んできた。

「それはこっちのセリフだから」


(まったく、ほんと可愛くないやつ……)


 菜奈は心の中で悪態あくたいをつく。と、奏人に気付かれないように、「べーっ」と、舌を出してにらみつけてみた。

「ったく、ガキ」

 ふと、目が合って菜奈が当然のごとく言い返す。

「星南に言われたくない! で、なんであんたがここにいるわけ?」

「牧野家とは、ガキの頃からの付き合いなの。今日は、たまたま借りてたDVDを返しに来ただけ」

「ふーん。そうだったんだ……」


(ぬぅぅ。タイミング悪し……。)


 その後、祐輔から夕飯に誘われた二人。

 奈央が即答するのを横目に、菜奈は苦笑しながらも付き合うことにした。が、奏人まで一緒というのは耐えがたいものがあった。

 無神経な男子が嫌い。と、いうほうが正しいか。


 中学二年の秋だった。

 今は、別の高校へ進学してしまったのだけれど、その当時仲の良かった友達が奏人に片想いしていたことがあった。

 菜奈からすれば、どうして星南なの? と、疑問ばかりであったが、それでも、どうにかして菜奈が二人の仲を取り持とうと奮闘し、なんとかその友達に奏人と二人だけの時間を作ってあげることが出来た。けれど、菜奈のところへ戻って来た彼女から聞いた言葉は、「いろいろありがとう。でも、もう諦める」の一言だった。

 好きな人がいる。と、言われたら、諦めるほかない。菜奈からすれば、こんないい子を振るなんて。しかも、振り方が不真面目過ぎる。と、個人的な感情だが、その日から奏人のことを本格的に嫌いになったことは言うまでもない。

「あ、ドレッシング買い忘れてた。他にも作りたいものがあるから、ちょっと買い出ししてくるよ。奈央ちゃんも一緒に来てくれる?」

「はいはーい! どこでも行きますよー」

 キッチンで、仲睦なかむつまじく料理を作ろうとしていた祐輔と奈央は、菜奈たちに隣町のスーパーへ行くと言い残し、足早にリビングを後にした。

「え、ちょっ……。私も行く!」

 このまま、奏人と二人きりなんて冗談じゃない。そんな思いから、菜奈も一緒についていこうとする。が、当然のごとく奈央から制されてしまう。

「あんた、マジで一緒に来る気?」

「うっ……」

 ジトっとした目で見られ、菜奈は仕方なくついて行くことを諦めた。

「わ、分かったわよ……」

「すぐ帰って来るから。星南くんと待っててねん」

 うちの姉、見ての通りめちゃめちゃはしゃぎまくりである。

 そう思いながら、菜奈は深く溜息ためいきをついた。

 気を利かせられないわけじゃなかったけれど、出来れば奏人と同じ空間にいたくなかったのだ。


(もう、帰っちゃおうかな……家に……)



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