第8話
ありったけの力をかき集め放たれた鉄刀が、一直線に機獣の顔面目掛けて突き進む。鉄刀は機獣の牙と衝突し、後に、振りぬかれた。激しい衝撃音と、続いて何かが崩落する音が響く。
反動でぐったりと肩を落とし、その場に膝をつく灰崎。鉄刀を握っている右腕の感覚がない。
灰崎は、そっと左手で自身の右肩に触れる。
「……よかった。まだ、ついてる」
——熱い。凄い熱だ。感覚が戻れば右腕には、途轍もない激痛が走るであろう。
それほどまでの、力の行使であった。長袖のジャージがはち切れ、力を使い果たした右腕が露わになっている。
ドロドロと血液が流れ出ていくのが見える。その血液からは、小さく湯気が立ち上がっている。
灰崎は、ゆっくり顔を上げる。同時に、衝撃で舞い上がった粉塵がふんわりと地面に落ち、視界が開く。
——そこには動かなくなった機獣の姿があった。機獣の牙は両方とも折れ、一つは向かいの廃ビルに突き刺さっている。灰崎の打撃は、機獣の牙だけではなく、その胴部にも影響を及ぼした。顔面から、腹部にかけて、機獣の鋼鉄の肉体に大きな亀裂が入っている。体が壊れ、傷口からバチバチと火花を散らし、機獣はピクリとも動かない。今はもう、機獣の双眸からは一切の生力が感じられない。
「ハハッ……、とんでもねぇな」
灰崎は、この惨状を起こしたのが自分であることに驚きを隠しき切れずにいた。
「……」
少しの間、広がる沈黙。
ふと、機獣の牙が突き刺さった建物が崩れ、地面を揺らす。
その衝撃が灰崎をまともな状態に復帰させた。
灰崎は改めて現状を把握する。目の前で起動停止した機獣が横たわり、辺りには静寂が広がっている。
——勝ったんだ。
時間が経つにつれ、勝利の自覚が芽生える灰崎。今まで、機獣と対峙したことはあったが、此処まで強力な個体は初めてだった。
じわじわと右腕の感覚が戻っていくのが分かる。それと同時に、力の代償が激痛となって灰崎の体を襲う。
「流石にちょっと、力を使いすぎたか……」
痛みと同時に、どっと疲労感が押し寄せる。三日間何も口にしていない灰崎にとって、この労働は過激すぎた。
大きく息を吐き、痛みと疲労感を無視して立ち上がる。
まだ、灰崎にはやるべきことが残っている。
「そーいや、完全に忘れてたな」
依頼達成のためには少女を保護し、安全な場所まで運ばなければいけない。
戦いに夢中で、少女の存在は頭に入っていなかった。
灰崎は後方を振り返る。
そこには、未だ同じ場所に座り込む少女の姿があった。
さっきと体勢が少し変わっている。少女は、目を瞑り眠っているようだった。
「暢気だな、全く……」
灰崎は、ゆっくりと少女の方へと足を運び、目の前まで来るとそっと身を屈めた。
「なんつーか、起こしずらいなぁ、これは……」
裏路地に座り込む少女は、スースーと寝息を立て、心地よさそうに眠っている。まるで今までの戦闘が嘘だったかのように、とても静かな空間が形成されていた。
灰崎は、少し悩むと大きく溜息をついて、そっと少女へ手を伸ばした。
——しかし、その手が少女に触れる寸前、灰崎は後方に嫌な気配を感じ取った。
素早く後ろを振り向く灰崎。
「……なんだあれ⁉」
横たわる機獣。渾身の一撃によって体に亀裂が入り、完全に起動停止したと思われていた機獣の腹部。その中心部が赤く光っている。まるで鼓動のように、光は強くなったり弱くなったりを繰り返している。
「あれは……、機獣の心臓か!」
機獣の心臓と思われる何かが起動している。一度は止まったはずのその鼓動。
その光は点滅を繰り返し、確実に大きくなっていく。
直後、獰猛な機獣の双眸に赤黒い光が再び灯った。
金属が軋む不快な音が静寂を終わらせる。機獣は再び起動した。強引な再起動なのだろう。機獣の傷や亀裂から出ていた火花は、全身の節々へと点火し体の至る所から出火している。
「……化け物が」
あの一撃を食らっても、なお殺し切れない怪物。その眼は、確かに灰崎を捉えていた。
「でも……、流石に立ち上がっては来れないだろう」
灰崎が機獣に与えた傷は、想像以上に甚大だった。機獣はその場から動きだそうと体を揺らすが、その巨体を持ち上げるほどの力は残っていないようだった。
こんな体になっても損なわない殺意。
機獣は人間に対して必要以上に敵対を見せる。まるで人を殺すためだけに生まれてきたかのような、異常な殺人欲求。
『——きっと人間を許せないんだよ……。彼らは——人間の悪意によって生まれたモノだからね』
ふと、父親の言葉を思い出す。その殺人(こうどう)に意味はなく、その命に意味はなく、ただ人を殺すだけの殺戮兵器。そこにはきっと血も涙もなく、駆逐されて当然なモノ。
人間達は皆、口を揃えそう唱える。
目の前にいる機獣も同じ。灰崎を殺すためだけに、その半壊した体を起こそうと奮闘している。
「……なんか、苦しそうだな。お前……」
灰崎の目には、その様子が酷く悲しく見えた。
——なぜここまで殺人に執着するのか。強引な再起動の結果、機獣の体はバラバラと砕け、崩れていく。己の命を投げ捨ててまで行う程、その行為に意味はあるのだろうか。
機獣が咆哮を上げる。その叫びに先程までの力はない。でも、機獣の赤黒い眸には確かな殺意が残っている。
灰崎は、ボロボロになった右腕で鉄刀をギュッと握りしめる。右腕に激痛が走り、意識を奪われそうになりながらも立ち上がる。
——殺意には答えなければならない。灰崎自身、殺意を向けられた相手を見逃す程、甘くはない。
——殺されたくなかったら、殺すしかない。
きっと、その考え方は歪だ。常軌を逸している。それでも、こんな世界で育った灰崎は、その考えしか持ち合わせていない。
「ごめんな。——俺はまだ、死にたくないんだ」
そう言い放ち、灰崎は前進する。その動きに俊敏さはない。ゆっくりと、でも確実に機獣へと近づく。
それと同時、機獣はもう一度——叫ぶ。後に、唯一起動に成功した背中の大砲へと、残っている全エネルギーを注ぎ込む。この一撃を放った後、間違いなく全機能が停止する正真正銘——最後の一撃。
砲弾でも誘導弾(ミサイル)でもない、エネルギーを光弾へと変化させた攻撃が一直線状に放たれる。
「……ッ⁉」
予想外な一撃が眼前に出現し、目を見開く灰崎。大砲での攻撃は予想できたが、実弾以外での攻撃は想定外であった。
——この軌道はまずい!
この光線の軌道上には、銀髪の少女がいる。躱せば、少女へと攻撃が命中する。
——避けてはだめだ。受け止めるしかない。
そう瞬時に判断し、灰崎は鉄刀を両手へと持ち替える。まるで鉄刀を盾のように用いた手法で光線を正面から受け止める。
圧倒的熱量で放たれた一撃が灰崎を襲う。
光線の一部は灰崎の鉄刀に直撃し消滅するも、受け止めきれなかった光が灰崎を包み込む。高熱のシャワーが灰崎の全身を覆い、じりじりと肌を焼いていく。
高熱と衝撃のダブルパンチ。
灰崎には、もう体を強化するだけの力は残っていない。だからこの衝突は、ただの純粋な意地と意地とのぶつかり合い。殺意と生存欲の正面衝突。
しかし、『身体強化』の出来ない灰崎が劣勢なのは間違いない。
受け止めきれず、鉄刀を介して拡散した光線が段々と大きくなっていく。
そして光は、確実に灰崎の体を蝕み、体力を奪う。
——灰崎は叫ぶ。
まったく柄にもない行動に、少し前の自分が見たらひどく驚くであろう。
しかし、今はそんなことはどうでもいい。
灰崎を突き動かすものはずっと変わらない。死にたくないという気持ちだけ。
だから、こんなところで死ぬなんてたまったものじゃない。
それだけの理由で突き進む。
全身が焼かれるように熱い。いや、実際問題焼かれているのだろう。ジャージが熱に焼かれ焦げ臭いを出している。両腕で支える鉄刀も熱に耐え兼ねたのか、真っ黒だったはずの刀身が中心部から赤く変色している。
互いに限界はとうの昔に迎えていた。
灰崎は、決死の一撃を放ったその時に。
機獣は、一度その鼓動を止めたその時に。
互いに、いつ倒れてもおかしくない状況での衝突。
——だからこそ、決着は突然訪れた。
「……ッ!」
突如飛び火した火花が、負傷した右腕に晒され、肉をそぎ落とされたかと勘違いするほどの痛みが走る。
頭では力を弱めてはならないと分かってはいても、灰崎の体は、もうとっくに限界だった。
右腕の痛みをきっかけに灰崎の鉄刀を握る力が徐々に弱まっていく。
それを皮切りに、灰崎を包み込む光が大きくなっていく——
——はずだった。
——だが、光線の勢いが増していく様子がない。むしろ、徐々に勢いを失い細くなっていく。
そしてゆっくりと、光線は消滅した。
「……止まった」
突然の出来事で灰崎は少し驚くも、目前の機獣の状態を見てその全てを理解した。
機獣の体が崩れていく。光線を放った主砲が役目を全うし自壊していく。点滅を繰り返していた心臓に光はもうない。
機獣もとっくに限界だった、光線を放っている間もその鋼鉄の体は崩れ落ち、大砲以外の機能の全てが失われていた。
だからこそ、光線の消滅は機獣の命の消滅を意味していた。
「終わった……」
機獣は、今度こそ停止した。もう再起動の恐れはない。
灰崎は、安堵の表情を浮かべる。これで依頼を達成できる。後ろで眠る少女と、この区域から出れば依頼完了だ。
灰崎は振り返り、少女へと近づく。少女に傷はない。機獣の攻撃は命中していないようだった。
だからだろうか。少女は、未だ夢の中。ぐっすりと眠っている。
「……おーい。起きろー。そんなとこで寝てたらあぶね―ぞ」
優しく声をかけるも、少女が目を覚ます様子はない。
「……あのー。頼むから起きてください。お願いします」
少し声を荒げ、今度は敬語で頼んでみるがそれもダメ。
「……」
「起きろーー!」
少し間をおいて、少女の耳元で叫んでみる。しかし、それも不発。
今度は、体を揺らしてみるも、それでも少女が目を覚ます様子はない。
「眠り深すぎだろ……」
近くで見ると、本当に綺麗な顔をしている。その顔で、とても心地よさそうに眠っているからか、本当に起こしづらい。起こそうと試みる度に、よく分からない罪悪感が灰崎を襲う。
「あーー! 全く、絶望的過ぎんだろ」
少女が起きるまで待っている時間はない。これだけ大きな音を立てての戦闘だった、いつ他の機獣が襲ってくるか分からない。今まで、他の機獣に目を付けられなかったのは奇跡と言ってもいいだろう。
「……ったく、仕方ない」
灰崎は、大きくため息をつき少女に手を伸ばす。
結果として、灰崎は少女を起こすのは諦め、背負って運ぶことにした。
思ったより少女の体は軽く、負傷している灰崎にもギリギリ背負えるほどだった。右腕は怪我で動かせないため、左腕で少女の体を支え、鉄刀は脇に挟んで運ぶ。
「——これは……、くそ、だいぶきついな……」
いくら少女が軽いとはいえ、高汚染地域の外に出るには相当な距離を歩かねばならない。機獣との鬼ごっこで、汚染地域の奥深くまで来てしまった。ここから外までは、大体十キロくらいはあるだろうか。取り敢えず、あの安全地帯までは歩かなければ話にならない。
「本当に絶望的だ……」
そう呟きながらも、灰崎は歩き出す。結局のところ、灰崎が取れる行動は一つしかないのだ。
ゆっくりと、でも確実に灰崎は前進する。体の傷は深く、時が経つにつれ徐々に体力を奪っていく。しかし、今は止まるわけにはいかない。
灰崎自身、自分がとうの昔に限界を迎えていることも、ここで一度でも足を止めたら、そのまま動けなくなってしまうことも自覚している。
だからこそ、ここから先は自分との闘い。全身を襲う激痛と、纏わりつくような疲労感との真っ向勝負。
足を一歩踏みしめる度に、意識を削ぎ落すかのような激痛が全身に巡る。視界は狭く、目を開けているのも億劫なほどの疲労感。
——一体、どれほど歩いただろうか。それすらも分からない。
ただ前へ……。それだけを考えて灰崎は歩く。
——しかし、
「……くそっ、意識が……」
——体が付いてこなかった。
限界を超えた灰崎の体は、ここで二度目の限界を迎えた。
脚を止め、膝から崩れ落ちる灰崎。背中の少女を庇う形でうつ伏せに倒れ込む。
「……」
意識が遠のいていく。まるで地面に意識が吸い込まれていくような感覚。
——ここまでか……。
結局、この世界は甘くはないのだ。人間である以上、限界はある。一度それを越えられても、二度目はそう簡単には訪れてはくれない。
現に、灰崎には二度目の限界を超えることは出来なかった。
安全地帯まで約二キロ、その路上で灰崎の意識は消滅した。
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