第6話

 7


灰崎は、ビルの側面を足場にピンボールのように跳躍する。

——その数、三度。

この機獣を倒すには、速さで押し切るしかない。

灰崎の推測では、機獣の攻撃手段はその強靭な牙による刺突と突進。なればこそ、背後を取り攻撃を加えるのが一番だと考えたのだ。

 機獣の背後を取るのは容易だった。機獣はその巨体ゆえに小回りが利かない。振り向くには多少のラグがある。

 がら空きな背中を目の前にし、灰崎は右手に握った鉄刀で一撃を加える。

 ゴン! と鈍い音が鳴り響く。

 ——手応えはあった。

 機獣はその形相からは考えられない絹を裂くような悲鳴を上げ、ぐらりと体勢を崩す。 

 それも束の間、灰崎は二撃目を加えようと、もう一度跳躍する。灰崎が初撃で放った一撃で、機獣のコンクリートの鎧には罅(ひび)が入っている。次の一撃で、あの強剛な鎧を打ち砕けるだろう。

 ——やれる! 

 そう確信し、灰崎は鉄刀を振り下ろす。しかし——

 

灰崎の二撃目が巨獣の背中を捉えることはなかった。

 空を切り、地面に突き刺さる鉄刀。

 一瞬、何が起こったか分からなかった。

 タイミングは完璧だったはずだ。機獣がよろけた瞬間に攻撃を叩き込んだ。そう簡単に躱せるはずがない。

——でも、躱された。機獣は、灰崎の前方約五〇メートル先まで移動している。

 

——どうやって移動した⁉

 灰崎は周囲を見渡す。

灰崎の眼前、機獣がいるはずだった場所に、その答えはあった。

「……ハハッ、まじかよ、それ」

 コンクリートが敷き詰められた道路。崩壊前、その道は多くの人や車が通り、賑わっていただろう。戦時中も、沢山の戦車や装甲車が蹂躙し、多数の弾幕が打ち付けたはずだ。

 それでも、壊れることなくあり続けた公道。長い年月が経ち、多少の劣化は見られたものの、そう簡単に崩れることはなかった。

 ——その道が、捲れ上がっている。比喩なんかではなく、事実としてコンクリートが波状に捲れ上がり、地面が露わになっている。どれだけの力を加えれば、このような惨状になるのだろうか。

 機獣のとった行動は、簡単明瞭。その強靭な脚力で地面を蹴り上げ前進したのだ。機獣の四肢からはその力に使用したと思われるエネルギーの残滓が煙として放出されている。

地面をめくり上げるほどの信じがたい力の出力ではあるが、まったくもって現実であった。

 驚嘆し足を止めた灰崎であったが、機獣は待ってはくれなかった。すぐさま身を翻すと寸刻前の悲鳴とは打って変わり、怒りの咆哮を上げた。 

 機獣が叫ぶ。それと同時に、機獣の体に変化があった。水を振り払う犬のように体を大きく揺らし、なにか自分の体についた異物を取り除く様相だった。灰崎が与えた傷、背中の罅がミシミシと音を上げ体中に広がっていく。

そして次の瞬間、バリ――ンという大きな音とともに機獣の鎧が砕け散った。

強固だった鎧を自ら手放した機獣。外殻を失い本来の姿が露わになる。

 露わになった背中、そこには二つの脅威があった。

 ——砲発射機(ガンランチャー)。砲弾と対戦車用誘導弾(ミサイル)の双方が発射可能な大口径大砲。対歩兵、対陣地、対戦車その全てを行使可能な戦争の遺産。その重火器を二つ、背中の一部として取り込んでいる。外殻の裏側は、灰崎の想像を超えていた。身に纏っていたコンクリートは、飾りであった。そこに肉はなく、金属で形成された骨組みは、まるで無数に交差した鉄格子だ。まるで何かを守っているかのような、そんな様相を感じさせる。

 戦車の主砲を搭載した、殺戮兵器。獣を捨て、その肉を鉄塊へと変化させた化け物が目の前に立ちはだかる。明確な殺意を持ってその双眸はどこまでも赤黒く、灰崎を捉えていた。


——それでも、灰崎は立ち向かう。理由は一つ——生きるため。

 灰崎が地面を蹴ると同時、機獣の二つの主砲から多数の誘導弾(ミサイル)が発射される。

「そんなもん持ってるなら最初から使って来いよ」

 機動力で押し切ろうと考えていたが、考えを改める。跳躍中は方向修正が効かない。あの重火器で弾幕を張られたら被弾は免れないだろう。

追尾機能の付いた誘導弾が灰崎の上空から襲い掛かる。しかし、灰崎は走りを止めない。間一髪で誘導弾を背後に見送り、機獣の懐に入った灰崎は、すかさず鉄刀を振り上げる。

 鉄刀が機獣の顎に命中する。

「——やっぱり、後方への回避は苦手なのか」

今の一撃から、この機獣の性質の一つを理解する。機獣は前方への移動には優れているが、後方への移動は苦手らしい。

ならば、灰崎の取れる手段は一つ、接近戦である。

 機獣の懐に入り込めれば、砲撃が回避できる。突進の際の助走も出来ないため、機獣の牙による攻撃の威力も多少は下がるだろう。

懸念点は、灰崎が正面からあの機械の化け物と対峙し、圧倒できるかという点である。

 しかし、

「硬すぎるだろ……」

 灰崎の攻撃が効いている様子が全くない。顎に命中したはずの攻撃、だが機獣はびくともしていない。鉄刀を持つ掌がジンジンと痺れているのが分かる。機獣のコンクリートの鎧は薄皮に過ぎなかったのだ。

内側を覆う鋼鉄の体は、何度攻撃を繰り返しても、傷一つつかない。それ以前に、灰崎の攻撃は、機獣の牙によって全て弾かれてしまう。距離を取ろうにも、すぐさま高火力の誘導弾が放たれ、背後に回ることもできない。

今も、体中の血液が異常な速度で循環しているのが分かる。今にも血管がはち切れそうな感覚が灰崎を襲う。久しぶりの『全身強化』、長時間の行使は不可能。限界を迎える前に、倒し切らなければならない。

——そのためには、機獣を圧倒できるほどの力がいる。

今の灰崎では、何度攻撃を重ねても機獣を気絶させることは不可能であろう。

そもそも、この機獣に気絶という概念はあるのだろうか、完全に壊し切らなければ活動を辞めないのではないだろうか。そう思わせるほどのメカメカしい風貌。もはや、生物としての在り方を完全に捨てきっている。

 でも——勝機はある。

 

——力が足りないのならば、他から持ってくればいい。

灰崎の能力『身体強化』のイメージは流水と蛇口である。灰崎の能力は完全ではなく、全身をめぐる強化の奔流は、止まることなく流れ続ける。この状態では、いくら新人類の肉体を持つ灰崎でも、身体が持たない。だから普段は、無意識的にその流れを堰き止め、力をセーブしている。

能力使用時には、灰崎の意識が蛇口の働きをし、強度を調節している。蛇口を緩め、必要な場所に能力を流すのが『部分強化』で、これは体への負担は少なく、長時間の行使が可能である。一方で『全身強化』は、全身全ての蛇口を開くと同時に、自らその流れを促進させ全身に巡らせるものである。体への負担が大きく、長時間の行使は不可能な力。

その力でも、この機獣には敵わない。

でももし——、その力の奔流を一点に集中できたのならどうだろうか。全身に流れる強化を必要な部位一点に集中する。その力があれば、機獣を圧倒できる力が手に入るのではないだろうか。他の部位の強化を捨て、一点に集中させる『部分強化』と『全身強化』の合わせ技。行使できるのは間違いなく一瞬。失敗すれば、鉄刀を握る灰崎の右腕は負荷に耐え切れず、弾け飛ぶ。

 灰崎は、鉄刀をギュッと握りしめ、目を閉じる。標的は、面前。今にも、持ち前の牙での攻撃に転じようとしている。

——今は、そんなことはどうでもいい。

機獣が、迫ってきているだとか、今にもその牙が己を貫かんとしていることだとか、そんなことは考えるな。ただ、力を、強化の力を右腕に凝縮させることだけに集中しろ。

腕が震えている。筋肉が軋む音がする。負荷に耐え切れず、筋繊維の一本一本が悲鳴を上げている。ドロドロと、生暖かい感覚。血管が破裂し鮮血が流れ出る。

——それでも、灰崎は辞めない。まるで、他人事のように関係のない情報を遮断する。

力の奔流が右腕に凝縮されていく、波はまるで渦のように右腕中を駆け巡る。

開きっ放しの蛇口から流れ出る水が、いつか受け皿から溢れ出るように、必ず限界はある。いつか必ず溢れ出る水。その限界、表面ギリギリまで出し切る。

 ——ふと、灰崎はゆっくり目を開ける。時の流れが遅い。機獣の動きがスローモーションのように良く見える。

「もう少し遅かったら死んでたな……」

 そう呟き、灰崎はホッと安堵の表情を浮かべる。腕は完成した。痛みはもうない。あるのは、圧倒的自身。この腕で——、灰崎の持つ力の全てを注いだこの腕で機獣を倒し切れるという、自身だけ。

 機獣を見上げる。凄い形相だ、赤黒い双眸から明確な殺意が伝わってくる。それでも、怯むことはない。ただ、鉄刀を振るだけでいい。それで、きっとすべてが終わる。     

ならば、あとは行動するだけだ。

灰崎は——

          ——鉄刀を振り上げた。

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