第52話 不可視の恐怖がそこにある……
ああー……さっさとクレアを見つけて戻りてぇ……。
若干遠い目になった俺をよそに、マリーさんは通路の角からそっと覗き込んだ。
「……あの辺り……妙なボヤが……空気が揺らいでる?」
「エジプトをモデルにしてますからね。蜃気楼のホログラムかなにかじゃないんですか?」
「これは――は……っ!? もしかしてストーカー……!?」
「いや、それはマリーさんでしょ」
思わずツッコんでしまった。なにせ肉眼じゃ見えない足跡(?)を頼りに追っていたんだ。もうプロのストーカー以上の存在だろう。
そんな俺の素直な気持ちをマリーさんはふるふると首を振って否定した。
「違うの。ストーカーは朱宇くんが思っているような可愛らしいものじゃないわ。もっと醜悪で狡猾で恐ろしいものよ」
「俺が思ってるもの十分恐ろしいですよ?」
「とにかく違うの。ストーカーは奇兵級って言って、潜入や偵察、暗殺にも使われる隠密性の高いVICSのことよ」
そこまで言うのなら現物を見させてもらおうか……通路を覗いてみる。棺や古代の調度品が展示されたここと比べると随分狭い美術館のような通路。その壁面は遺跡を思わせる黄土色の石壁風の内装で、絵画のように石板が飾られている。
だがそれだけで目立つものはない。
「何も見えませんよ……」
「肉眼で見えてたら今頃大騒ぎよ。網膜ディスプレイでサーチしないと」
そんなことをしたらそれこそ騒ぎになる。前にマリーさんに聞いた話だけど、血中ナノマシーンを介して網膜に直接情報を投影し、瞳自体を
とはいえマリーさんほどになると周りに気づかれないように使えるのだろう。碧眼に若干の朱が差す程度に光量を収めたまま、それより報告しないといけないわ、と言って耳にかけたインカムに手を伸ばした。
「御守基地、こちらクレーメア1。
基地からの返答があったのか数秒置いてからマリーさんが言葉を続けた。
「至急、対策チームアルファを派遣し、バックアップに第三機動歩兵中隊を――」
だがそこでマリーさんは眉を顰め、通信を切った。
その直後、展示物のホログラムにノイズが走り、案内表示のディスプレイも故障した時のように点滅した。それから間も無く電子機器が次々と色を失い、旧来のシンプルな博物館に戻った。
周りの人たちもこの変化に瞠目していた。スマホで何が起こっているのか確認するポロシャツの男。案内コンソールで職員を呼ぼうとする誠実そうな青年。不審そうに首を傾げるだけの人もいれば、そのまま何事もなかったように歩んでいくカップルっぽい男女もいる。だがその誰よりもマリーさんは厳しい表情で腰を落としていた。
「朱宇くん、私の傍から離れないで」
なんでって言いたかった。でも、マリーさんの肉感的な太ももから取り出すにはあまりに無骨なシルエットを目にすると何も言えなくなった。
拳銃だ。それの安全装置を外し、スライドを引いてさっきVISCを見たという通路に向けた。
「キャアァァァァァァァァァァァ――!」
女性の悲鳴だ!?
マリーさんの小脇から反射的に覗くと、さっき見たカップルの男の方が何もない空間で宙吊りになっていた。胸から血を流し、それが見えない刃のようなものを伝って虚空に腕の輪郭を浮かび上がらせた。
何かいる! 本当に何かいた……!
この衝撃的な事実に恐怖した人々は狂ったように叫びながら逃げ出し、俺も逃げようと後ずさったところで、マリーさんが発砲した。だがその銃弾は床を跳ねるばかりで当たった様子はない。宙吊りになった男が邪魔で足元しか狙えないんだ。
奇兵級が男を刃から引き抜き、女性の方もひと薙ぎに切捨てた。腕の輪郭が薄っすら赤く模られ、三叉に分かれた先端からひたひたと赤い雫を落とす。その不可視の暗殺者が今度はこちらに走ってきた。そんな化け物を相手にマリーさんは冷静に引き金を引く。
一発、二発、確実に奴の身体を穿った。だが止まるどころか怯む様子さえない。虚空に血のしぶきがあがるだけでどんどん迫ってきて――
ついにすぐそこまで来ると、マリーさんが低い姿勢で大きく一歩だけ踏み込み、振り下ろされた不可視の腕を受け止めるように片腕を上げた。その腕にどんっと鈍い音が響いた瞬間、不可視の敵に銃口を突きつける。
パンパンと乾いた音が連続して響く。すると、ガァァァァァ――という金切り声とともに空気が脈打ち、淡い火花が散ると大柄のエイリアンが姿を現す。覆いかぶさるように倒れ込んできたその巨体をマリーさんは受け流すように横倒しにした。
(次回に続く)
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