第4話 この少女、マグロ女なのか……!?

「………………」


 多くのファッションショップが並ぶ一角。五月とあって春物と夏物の洋服がせめぎあうカラフルな空間。そこに俺はぽつんと立ち尽くしていた。


「私は結構です。どうぞシャノンさんとお二人でお決めになってください」

「そんなおーおー言って他人行儀だね。もっと親しみをこめて言ってほしいなー」

「まったくもう……今日は私の服を選びにきたんじゃないでしょ」

「だいたいなんでスーツで来てるのかな? 遊ぶ気あるの」

「私は仕事で来てるんです。だからこの格好でまったく問題ありません」

「うぇーん、アイラちゃんが冷たいよー」


 両手で顔を覆って泣く母さん。どう見ても噓泣きだが、この鬱陶しさだけは馬鹿にならない。このまま放置していては、お昼時になるまで続く事もありえるからな。

 それは不味い。せっかくの休日が台無しだ……なんとかしないと……!

 そう思うと、俺は母さんたちに歩み寄った。


「そのくらいにしてやったら。アイラさん困ってるよ」

「あ、朱宇くん。違うよこれは、困ってるんじゃなくて照れ隠しだから。あともう少しでころっといくよ♪」

「誰がころっといきますか……! 私を騙されやすい人みたいにお子さんに吹き込まないでください」


 アイラさんが抗議しているが、若い女の子に囲まれたオジサンのようにまんざらでもない感じで微笑む母さん。


「今日は可愛い子が三人もいるから、選びがいがあるなぁー」


 三人? 自分も含めているのか。痛い人だな……。


「朱宇くんはどんなのが好き? 私は縦のラインを強調したらいいと思うの。みんなスタイルいいから」

「……そんなの俺に訊かれても…………いいんじゃない、それで」

「じゃあ試しに着てみようよ」


 母さんはにっこりと笑った。この笑顔に込められた言葉は『投げやりな発言はご遠慮いただきたい』だろう。そうと決まれば母さんの行動は早い。しゃがみ込み、足元のカゴから春らしい爽やかなシャツを取り出した。


 袖を通して気が済んでくれるのなら仕方ないか……さっさと済ませよう。


 俺は黒く縁取られたグレーのシャツの上に青いジーンズ生地の上着を羽織った。


「ピッタリだね。じゃあその上にこれもどう? 合うでしょ」


 別の服も渡された。というか、勢いで着せられた。でもこういうのもいいよね、と母さんはどこから持って来たのか、薄手のアウターや地味なカーディガン、それと涼しげな色合いが逆に憎らしい半袖のシャツまで肩に掛けてくる。

 暑い。重い。苦しい。と三拍子揃った上に、最後はストールを巻きつけられた。

 ダルマにされる――いや、もうされた。服を重ね掛けられたがゆえのずんぐりとしたボディに魔改造された。ぎゅっと眉が寄る。


「いい加減にしろよ、何枚も押しつけて! これじゃ似合ってるかどうかなんて分かんないだろ……!」

「サイズが合ってるか確かめてるだけだよ。これがいいって思ったらサイズ合わせしないと。それにね、大きめのサイズを選ばないとすぐに着れなくなるし」


 だから上から着せていった、のか。のほほんとしているようでしっかり考えていたようだ。

 実を言うと俺の家は母子家庭だ。物心ついたときにはすでに父親はいなかった。

 だが、この通り陽気な母さんと一緒なら父親がいなくても寂しくなかった。それに病院関係の仕事をしている母さんは、必ず定時に「ただいまー!」って帰ってくるから。

 でもほぼ毎日、仕事に行っては日が暮れる頃に帰ってくるパターンがほとんどだ。なので今日みたいな買い物にはあまり行けていない。そういうわけで買い溜めるパターンが多いけど、


「じゃあ今度はズボンを決めよっかぁ。試着室はこっちだよ」


 まだ何着か入っているカゴに手を掛けた母さん。どうやら自分の物は入ってないらしく、全て子供用だ。薄々気づき始めていたが可愛い子は……俺も含んでいたのか。なんてことだ……。

 ここまで手塩にかけてくれるのはありがたい。だがはっきり言って……付き合いきれない。今日はシャノンも一緒なんだ。

 ちらっと店先のベンチに座っている長い金髪を見た。


「……ん」

「うん? なんだ、朱宇?」


 俺が手招きすると、シャノンが近づいてきた。

 よし、援軍がきた。シャノンと一緒に、服選びなんてさっさと終わりにして次のお店に行こうって圧をかけるんだ。


「シャノンからも言ってやってくれ。服選びは退屈だって」

「まぁ確かに退屈と言えば退屈だな。別に着る服に困ってるわけでもないし」

「へー、じゃあシャノンちゃんはよく買いに来るの?」

「いえ、父さんが毎月送ってくるんです。私に似合う服を……それで、送ってもらった服を着て、毎回写真を撮ってメッセージアプリLYNCで送るように言われてるんですが……」


 母さんが問いかけると、シャノンは表情を曇らせていく。

 ちょっとだけ面倒そうな雰囲気だ。まぁそりゃ送られてきた服を着て毎回写真を撮って送れとか、子煩悩にもほどがあるよな……俺もさっき試着しまくったからわかるわー、子煩悩は。

 俺がそう思うっている脇で、シャノンが再び口を開いた。


「父さん、私がマグロ女だって知ってるのに、全然飽きてくれないんです」

「んー?」

「な……ッ!?」


 母さんが笑顔で固まり、アイラさんも目を見開いて固まった。


 な、なんだ……? 今変なこと言ったか? もしかしてマグロ女がいけなかったのか? 聞きなれない言葉はそれくらいだったし。


 そう思いながら携帯端末スマホで検索してみると――


 セッ〇ス中に動かない女のこと。セッ〇スにあまり興味がない女のこと。


 これって、おいおいおいおいシャノン! なんてことを言って、しかも父さんが飽きてくれないとか、色々不味すぎるだろ……! いや、落ち着け。文脈から察するんだ。飽きないのは娘から送ってもらった写真を見るという行為であってけっしてやましい意味じゃない。


 ということは、シャノンのお父さんが社会的に危ない!


 俺がそう結論付けた直後、


「そりゃ最初のうちは色んな服を着れて楽しかったが、何度も催促されるうちに面倒になってマグロになったのに」


 シャノンときたら俺が止める隙もなく懐かしむように話を続けていた。


 ヤバい! またマグロとか言ってる! 早く止めないと!


 だが俺が割り込もうとした瞬間、アイラさんが動き出す。


「なんてこと言うんですかシャノンさん……!? ちょっと落ち着いてください……!」

「いや、アイラの方が取り乱しているように見えるが……」


 確かにそうだけどそうじゃない……!

 俺が心中でツッコむと、アイラさんは教え諭すように真摯な表情を作った。


「いいですかシャノンさん、あなたのお父様は私たちにあなたの世話を任せて自分はほとんど家に帰らないで仕事ばかりのくせに、SNSで娘にウザ絡みする子煩悩な人ではありますが、けっして小学生の娘をマグロにするような人ではありません」

「何か勘違いしてないか? 反応が鈍いって意味だぞ」


 おい! 言葉! 言葉がないから余計抱かれてるように聞こえるだろうが!

 そんな俺の魂の叫びを代弁するようにアイラさんが、


「勘違いしてるのはシャノンさんの方です……! とにかく禁止、マグロは禁止です」


 ついにマグロ禁止宣言を発令。これにはシャノンも納得がいってないようで首を捻っていた。


「禁止だと……? 何がいけなかったんだ……アイラは楽しくもないのに、父さんの機嫌を取るために笑えと言いたいのか?」

「違います。不適切な表現だったからです。とりあえずマグロ女は忘れてください」

「えー、私はマグロでもむしろ着せ替えお人形さんみたいにできるから好きだなー」

「この……! あなたは意味がわかってて言ってますよね……!」

「母さん、こっちで大人しくしてようか」


 アイラさんが大変そうなので俺は母さんを連行した。その際、俺たちのやり取りを見ていた周りの客さんが、ふふっ、と鼻で笑う声が聞こえた。

 めちゃくちゃ恥ずかしかった。見世物じゃないのに、他人の視線が痛い。

 シャノンのマグロ女発言から始まり、アイラさんがシャノンのお父さんを弁護、だがその弁護も虚しくシャノンはさらに爆弾発言。そこに母さんも加わろうとしんだから色々ヤバかった。こんなの笑われて当然だ。


(次回に続く)

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