第7話/地上の星

「ああ、ジスったら、大丈夫かしら。確か、いま、五本くらい〆切抱えてるって言っていた気がするのだけど」

「長官もいっしょですし、大丈夫じゃないですかねェ。あのゥ、ところでルビーさん」

「なあに? シャノアールくん」

「僕はなんで連れてこられたんでしょうか」

「それは……」

 そよぐ風。草の香り。遠くからは子供の遊びはしゃぐ声がする。広い車道に沿う広い歩道を歩きながら、ルビーは腕から提げたバスケットの蓋を開けた。中からぴょこんと顔を出す黒の子猫。赤いリボンを首に巻き、ジットリした視線をルビーに向けていた。

「その方が、魔女らしいから」

「前から思ってたんですけどォ、ルビーさんて割と、魔女らしさにこだわり強いですよねェ」

「そう? そうかも、しれないかしら。私って、魔女でいる自分のことを気に入ってるから」

 子猫のシャノアールは「よくわかんないや」と呟き、バスケットの中からの景色をぐるりと見回した。さわやかな林の雰囲気に、うららかな風が乗る。ここは、アメリカ郊外の閑静な住宅街だ。

「こうして見ると、魔法界と人間界って、あんま変わんないですねェ」

「シャノアールくんとは、空の旅しかしていないものね。ヒトの暮らすところは、大差ないわ」

 アメジストの指示で、二人は人間界へとやってきていた。特例中の特例としてゲートを開ける、わけにもゆかないので、魔法界に無数に存在するとされる「穴」から人間界へと出たのである。

 「穴」は自然発生するもので、魔法界から人間界への一方通行の道である。稀にそうでないものもあり、そこからは「異邦人」と呼ばれる存在が侵入するが、その項については別件なのでここでは取り扱わない。

 ゲートは整備されているため常に安定した状態で人間界への出入りが可能だが、「穴」は非常に不安定なため、「穴」自体の位置も頻繁に変動し、また、出る位置も、実際に出てみるまでわからない。滑落事故なども起こるため、基本的には発見した際は警察もしくは対異邦人部隊「トキシカ」への報告が義務づけられている。

 今回二人は、通報のあって間もない、まだ非常線の張られていない「穴」から人間界へと足を運んだ。出た瞬間に荒れ果てた岩肌が見えたが、叩きつけられるよりもシャノアールの変身の方が早かった。爪の鋭い黒豹はルビーを乗せたままでも身軽に山を下りることができた。

「僕は豹のままが良かったです。かっこいいし!」

「住宅街に豹がいたら、どう?」

「通報されますね」

「そういうこと。彼女に会いに行かなくちゃね」

 シャノアールはごくんと唾を飲み下した。

 滑落事故などで、先のような場所に出る「穴」へと落ちた者はどうなるのか?

 基本的には、星々の砂粒となり、風に舞い上がってゆくだろう。川や海に流れれば、大いなる自然が弔ってくれたようなものだ。噴火寸前の火口の真上、雪崩の真ん中、深海魚が独自のコロニーを形成している海溝など、「穴」はそういった場にしかつながっていないためである。今回はルビーにより事前に「穴」にある程度細工を施せたため、短時間の行き来、そして多少はまともな地点への不時着という形を取れた。

 ほとんどの滑落者スリッパーはそのようにして宇宙の星へと還ってゆくが、たった一人、その事故から生還した者がいた。彼女、つまりは魔女だが、現在はそのまま人間界に住み着いている。

「ルビーさんみたく細工すれば、戻れるんじゃ……?」

「帰る気、ないみたいなのよね。ちょっとフワフワしてるし、よくわからないの」

「強い魔女さんって、こうなんだよなァ……」

 ルビーの変わらぬ笑顔に、シャノアールは縮こまってバスケットに戻るしかない。



 同居人は音なく二階から下りてくる。ジェイは無造作に分解途中の拳銃をテーブルに放り出すと、いそいそとエプロンをつけて手を洗った。

「メニューのご希望は?」

「ンン……パンケーキの気分ですね」

「助かったよ。簡単なので良かった。カットフルーツはいるか?」

「いえ、プレーンのに、バターだけがいいです。シンプルなのが美味しいミックスと見ましたので」

「おお、今日は随分と目が冴えてるな」

 ジェイが卵を割ろうとすると、足の指がそれを示してくる。顔を上げると、まだ眠そうに目をこする女がフワフワ、浮いている。

「双子ちゃんです。粉を足すといいでしょう」

「マジかよ」

 さほど驚かず、卵を割る。黄身が二つ出てくる。ジェイは素直に、パンケーキミックスの粉を足す。

「ったく、もうとっくにブランチの時間だぜ。眠り姫も大概にしてくれってんだ。俺もついでに食っちまおうかな」

「いえ、余分に焼いた分は、すぐに使うことになるので、いつものように焼きながら食べちゃうのはよしてください」

「……来客か?」

「はい。もうそろそろ着くでしょう。コーヒーも人数分必要です。四杯、用意しておいてください。私はお迎えに出てきます」

「なら悪いが、テーブルの上の……」

「片付いています。きちんと組み立てもしておきました」

「どうも。いってらっしゃい」

 会話の先を遮られるのは幼い頃から変わらない。ジェイには慣れたものだ。が、来客は、この家には珍しい。裾の長すぎるワンピースを魚のヒレみたく揺らめかせながら、彼女は玄関を出て門を開けに向かった。見えていたその通りの姿が、呼び鈴を鳴らそうとしていたところだった。

「お久しぶり、ルビーさん」

「ああ! いたわね、オリビン。この間ぶり。楽しいパーティだったわね」

「ええ。非常に。新グッズも良かったですし、本当に楽しいパーティでした」

 彼女――オリビンは、ひょいとバスケットの蓋を開けると、ひらひらと手を振ってシャノアールにも声をかけた。

「どうもこんにちは。私についてはもう知っているようなので、割愛しますね」

「えっ!? あ、はいィ……」

 家に入ると、ジェイが四人分のコーヒーをテーブルに置いたところだった。自分も含めて三人分しか姿のないことには怪訝な顔をしたが、考えるだけ無駄とも知っているので、特に何も言ってはこない。

「どうも。アンタも魔女か」

「ええ。ルビーよ、よろしく。あなたが、えーっと……ジェフリーさん?」

「それはジイさんの名だ。ちなみにオヤジはジェイミーで、オレはジェイ」

「あら、失礼。きちんと覚えなくちゃね」

「いや、別に。ソファをどうぞ」

 ぶっきらぼうではあるが、ジェイは自然にルビーを来客として扱う。オリビンは一足早くソファを陣取ると、ゆっくりとコーヒーを飲みはじめた。

「念のため私からも釘刺しますけど、いまのご時世で獣人を使い魔にしようなんて考えてるんだったら、タコ殴りにされる覚悟で挑んだ方がいいですよ」

「耳が痛いわ。サフィが真っ先に瓶ビール持ち出してきそう」

 シャノアールをバスケットから出す。猫の毛がソファにつくのが嫌なジェイがジロリとシャノアールを睨みつけるのだが、そこでちょうどシャノアールが人間態に戻ったため、ジェイはいよいよ黙り込んでしまった。

「ええと……は、初めまして、オリビンさん。僕らがここへ来たのは……」

「私じゃないと見られないものを見たいんですよね。わかってます。え~と、でも、探し物な上にここは人間界なので、ちょっと道具が必要ですねー……めんど……いえ、取ってくるので、ジェイとお話ししててください。ジェイ、相手してやってください」

「えっ!? あ、ちょ……」

 狼狽えるシャノアールだが、オリビンはふわふわと二階へ消えてしまった。ジェイが口を開く様子はない。ルビーはいつもの笑顔のままだ。


 そもそも、人間との接触については聞いてないぞ! 重罪になっちゃうんじゃないか、これ!?


 内心でとてつもなく焦っているシャノアール。対して、ルビーは落ち着き払っている。

「ジェイさんは、オリビンと暮らして長いのかしら?」

「俺が生まれたときにはあいつはうちにいた。オヤジに聞いても同じことを言った。ジイさんに聞いたら、俺が拾ったんだと言った」

「あらそう。じゃ、慣れたものね」

「ああ。そっちのアンタは猫か? それとも人間なのか」

「ぼ、僕はそのゥ、人間です一応。ちょっと変身できるだけで……」

「そうか」

 ジェイとの会話はこれで終わった。沈黙の中、二階からガタゴト騒がしい物音がする。あんまり長いので、舌打ちしたジェイが助けに出向いた。

「……やっぱり、強い魔女さんって、こうなんだよなあ……」

「私をちゃんと見て言いなさい」

 それからしばらく物音がしていたが、やがて階段から一つ分の足音がしてきた。

「お待たせしました~。ジェイ、落とさないように」

「なら手伝え」

「いやです。ティーカップより重いものはグッズ以外持ちません。それはこっち。これはここに置いてください」

「ったくよォ……」

 山盛りの機材を抱えさせられたジェイはそれでもまったく体幹のブレなく階段を下りてくる。オリビンは浮いている上に手ぶらだ。設置まですべて、指示を受けたジェイがやる。

「はー、めんど。人間界って魔力が安定してないから、なんかいろいろ必要なんですよね。侵略派ってそこんとこわかってないからアホなんですよ」

「アホだからアホなこと考えるのよ。それで、探せそうかしら? まあ……あなたにかかれば造作もないでしょうね。『千里の魔女』」

「正確にはスピード占いみたいなモンですけどね。それじゃ一応、宣言コールしてください。人間界はマジで魔力安定しないんで、宣言必須です」

 シャノアールはごくんと息を飲んだ。大魔女にさえ及ぶと言われた占いのプロフェッショナルである、千里の魔女・オリビンの技術を目の当たりにできる。そして、そこから導き出される答えは、今後の動きを左右してくる。

「それじゃあ、いくわね。ここ百年で、人間界から魔法界に連れ去られた人間を調べて」

「はい」

 オリビンは目の前に置いてあるダイヤル式電話の受話器を取った。当然ながら電話線はどこにもつながっていない。

「ええー……それマジですか? いつですか? そうですかー……わかりました」

 電話口から声などはしないが、オリビンは忙しなく手を動かしている。地球儀をガラガラ回し、天体図のシートをスルスル回し、姓名判断辞典をバーッとめくる。一貫性のないアイテムたちをひとしきり触ったあと、

「わかりました。それじゃまた」

 受話器を置く。すると、くるくるペラペラ動き続けていた道具たちがピタリと止まった。沈黙。破ったのはジェイだった。

「被害者がいたのか」

「はい。十八年前に、中国の地方都市で、産後すぐに赤ちゃんが保育器から忽然と姿を消す事件があったそうなんですが、人間界に痕跡が残っていないそうです。魔法界に連れ去られた可能性があるのは、その子だけですね」

「あとは? はないのか」

「ジョージア州の十五年前の失踪事件で捜索願の出されている男性ですが、痕跡が一ヵ所だけ出ます。彼の自宅があった後ろの森から、熊に食いちぎられた指一本です。あとはですね、三十年前のカナダの滑落事故、あれ事件です。当時の同行グループのうち二人による共犯です。ビッグニュースとしては、エジプトの王家の谷から新発見があるそうですが、五年後のことなのでネタバレ防止です」

「……了解。ジョージアは明日、捜索に出る。カナダは報告しておく」

 ジェイは大玉のチョコレートをオリビンに放り投げて渡すと、スマホ片手にどこかへと行ってしまった。

「どなたとお話してたんですか? あと、オマケとは一体……」

「誰でもありませんよ。知らないひとです。あとですね、人間界はとにかく魔力が安定しないんで、必要ない情報も入ってきちゃうんですよ。そうですね……ラジオの電波が被っちゃって、二局同時に聞こえちゃうアレ。アレが五局くらい同時に起こる感じです。だから面倒なんですよねー」

 モニョモニョとチョコを食べながら、オリビンは眠そうに目をこする。

「これで、わかったわね。タオくんは人間界から攫われた男の子」

「はい! 事件ですね!」

「え? 待って待って。連れ去られたのは女の子ですよ。それ以外のなんて知りませんよ」

「え?」

「え?」

 再びの沈黙。戻ってきたジェイだったが、面倒の気配を察知したのでキッチンに入った。すっかり忘れ去られて手つかずのパンケーキが冷めてゆく。

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