第6話/BAD NEWS(黒い予感)

 何度スマホの画面を見ても、誰からも返信はきていない。いつものことではあるが、事が事なので感心はできない。しかめっ面のアメジストに対して、ギベオンはうきうきした表情を隠すこともしない。

「あいつら……大体わかってるくせに」

「大魔女なんてそんなものでしょう。貴女が私にそう教えたんですよ」

「そうだった。まあ、いいか。こっちはこっちで、さっさと仕事を片付けてしまおう。おちおち原稿もしていられんよこれは」

「編集が泣きますね」

 アメジストがわざわざギベオンを伴う必要があったのは、行く先がギベオンの役職名を必要とするからであった。警察管轄ではないが、主に戸籍を収蔵している施設だ。図書館の大きいのを、より拡大し、より収蔵品を増やしたような施設。警備員に敬礼されながら入館すると、夜も遅くなってきた時間だが、職員が一人だけ残っていた。明らかに残業である。

「ご苦労様です、シジョウさん」

「長官も、夜遅くまでお疲れ様です。ようこそ文筆の魔女殿。念のため、入館者リストに署名を」

「うん」

 アメジストの指には、金色の指輪に姿を変えたガニメデがいる。ギベオンはいつアメジストの指ごと切り落としたものかと考えたりもしたが、シジョウに笑顔で肩を叩かれ、やめた。なぜ視線だけでバレたのかわからないが、シジョウの笑顔は、自分がいろいろと画策するときのものに似ている気がする。

「ではどうぞ。あんまり遅くなるようでしたら遣いをやりますから、そのおつもりで」

 シジョウの背後から、どこに隠れていたか、面布で顔を覆った男が三人、手を振ってくる。被らないように、個性的なポーズを見せつけてくる。

「仕事熱心な方です。我々も彼を早く帰してやる義理ができてしまいましたね」

「きちんと時間外手当を出してやれ」

「はい。さて……」

 書架には、同じ綴じ方の分厚い本が均等に並んでいる。最低限にまで落とされた照明では、その果てを見ることはできない。ただ、一寸の隙間なく、延々と並んでいる。

「検索エンジンを借りますか?」

「おいおい、バカにしてくれるなよ。必要ない」

 閲覧席の広いテーブルを、髪から抜いたペン型の簪で指す。

「ここへ、直近百年分の戸籍を持て。その際、虚偽申告の疑いあるもののみに絞ること。はじめ」

 ぱた、ぱた、音としては、本の厚いもの、紙の束になっているものを開閉するものに近いそれが、書架のあちこちで鳴る。やがてテーブルには、一冊、二冊と本が飛んできて積まれてゆく。

「横一列! 該当ページを開いて待機」

 本たちはアメジストの命令の一切に従う。横長の閲覧席にはずらりと、開かれた本が並んだ。

「疑わしいものだけでこうまで数があるとは。魔法界の真の秩序ってどうしたら得られるんでしょうね」

「おまえたちが頑張るんだよ。しかし言う通りだ、多いな。では、公判の終了したケース、もしくは現在審議中のものは除け」

 いくつかの本はパタンと閉じてそれぞれの棚に戻ってゆく。アメジストは続けて指示を出した。

「首都に深く関連のあるものも外せ。……これでようやく三十件程度に絞れたというわけか……」

「では、見分してゆきますか」

 そこからは手作業だ。コピー禁止文書のため、逐一、それぞれのケースのバックボーンは自力で文書化する必要があるのだ。学生が歴史の勉強をするのに年表を手書きするくらいの作業量である。

「ギベオン、ノートは持ってきたかい」

「ええ、こちらに」

「よし、ちょっと気合入れちゃうぞ。ペンも五本くらい用意してくれ」

「はい、こちらに」

 小間使い同然の扱いにちっとも文句などなく、ギベオンはそそくさと働く。これから、大魔女としてのアメジストの技術を間近で見られるのだから、雑用程度、なんてことはない。

「サフィの真似だけどな。あんな躍動感たっぷりにはできないが、私らしくはやれるさ」

「楽しみです」

「よーし見てろよ。ギャラリーがいるとやりやすいモンだな……。さあ、紙とペンよ、仕事の時間だ。そべてのケースにおける情報と背景をすべて書き取れ。はじめ」

 凧を飛ばしたことのない子供の前でキラキラした目でみつめられながら凧を握る父親の心境を、アメジストは感じている。もちろんそんな体験はしたことがないのだが、そして父親にもなったことはないが、最も近いのはこの気分だろうと思っている。

 ペンは開いたノートに向かって、一斉に書きつけ始めた。情報をまるごと転写することはできないのなら、物語としてそれぞれの背景を書き取ってしまえば話は別だ。ペンたちは小説でも書くかのように、記録を写してゆく。アメジストは完成したものに目を通してゆくだけだ。それはギベオンも手伝う。

「土井中村近郊の暴走族の男子が父親と将来の意見で衝突、父は魔力量で息子に押し負け、危険性を感じたとの理由で親権放棄……これは違うな」

「魔力量の少ないことを魔女の母に詰られ続けた娘が致死量の毒物を母の食事に混入させ誤って来客を毒殺したケース。これも違いますね」

「目星をつけるとすれば、ネグレクトか支配かのどちらかだろうか……。紙とペン! それらのケースについてのみ書き取りを続けろ!」

 こうして二十件ほどには減ったものの、タオの年頃に近いケースはなかった。あったとしても、どれもこれも親への過剰な加害でケース終了していた。

「となると……そもそもの前提が違うかもしれないな」

「ええ、そうですね。戸籍を洗いざらい見ても、見当たらない。その場合、考えられるのは『透明な存在』ですから」

「……一度透明になってしまうと、その子たちのことを見つけることは非常に困難だ。もし、タオが透明な存在なら……」

「別ルートで探るしかないようですね。では後は、もう一つの可能性……ですか。どうですか、貴女的に。ありそうですか?」

 ノートとペンをカバンにしまいつつ、ギベオンは難しい顔のアメジストに問いかける。アメジストはもっと難しい顔になって、答えた。

「あってほしくはないね。ただ、魔法界のことだ。ないとは言い切れない」

「つらいところですね」

「まったくだ。さ、引き上げよう。一応、他の連中の進捗も見てやらなくちゃ」

「あなたの原稿はよろしいのですか?」

「う、うるさいな! いいんだよ……たぶん。きっと。おそらく……」

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