第5話/大迷惑

 実質、トパーズに首輪をつけられたも同然のタオは、内心非常に困惑していた。一人で走って逃げることもどうやらできないようだし、当然ながら帰り道もわからない。自分がどこから来たのかわかっていないのだ。何より、


 親父は絶対に家に上げちゃくれねェ!


 タオの知る限り、老人は、家から出るまたは出すことはあっても、部外者を家に入れることはただの一度たりともなかった。理由はわからないが、しつこいセールスなどがどんな末路をたどったのかなどは言うまでもない。

「さてと。じゃ、おうち教えて」

「……」

「いまさらだんまり? 遅いよ。私もう決めちゃったんだからね」

「……らねェ」

「え?」

「知らねェ……いや、わかんねェ。こっからどう帰んのか……わかんねェ」

 意を決して言ったつもりだったが、トパーズは驚くでも納得するでもなく、とても面倒だというような顔で「はあ?」と言った。

「じゃ、どうやって来たの?」

「トラック」

「自分で運転したの? なら帰れるんじゃないの?」

「いや。引越屋のトラックに飛び込んだ。近所に『首都で一山当てる』っつってるヤツがいたからよ」

「めちゃくちゃすぎ! んも~、それじゃ追跡できないんじゃん。困ったな~」

 トパーズに文句を言われながらという形ではあったが、タオはある一つの気付きを得た。こちらから帰ったり、追跡などはできないが、老人はタオの行く先くらいわかっているはずだ。そして老人はタオがどこへ行っても迎えに来てくれた。あの街もそう広くはないが、決して狭いわけでもない。その中でも老人は必ずタオを見つけて、家までいっしょに帰ってくれたものだ。


 オレから動かなくても、親父が見つけてくれる。


「いーじゃん。オレしばらくこっちで遊びたい」

「は!? 迷惑!」

「そーいやオレ、地元から出たことなかったしさ。親父も心配性だから探しに来てくれるよ。うん、いいね。そうしよう。おいオマエ! オレに首都の案内しろ! オレは隙を突いてオマエを殺す」

「ちょっと! ふざけないでよ! う~んでもいまはそれしか策がない~……!」

「なあ! あれ何!」

「箒! それくらいわかるでしょー!?」

 このようにして、二人の珍道中が始まった。

 タオは驚くほどに世間知らずだった。トパーズも他人のことを言えた義理はないと思っていたが、子供以上にものを知らない。街行く人々や店々、車も箒もすべてが新鮮に映っているという。

「オレんとこ、マジでなんもねーんだよ。首都ってスゲーな、なんでもあるし誰でもいる!」

「地元はなんてとこなの?」

「あー……そういや知らね。地元としか呼んでねえから」

「ダメか……もういいや、きみに聞くのは解決方法になんないよ」

「おい、オレ腹減った。なんか食いモン」

「遠慮はお父さんに教えてもらわなかったかなあ!?」

 世間知らずはおろか、余程の箱入りだったらしい。自分の要望がほいほいと叶わないことに、怒るでなく、悲しむでもなく、驚いている。その環境が当然だったばかりに、社会の仕組みの方を疑い始める始末だ。

「おかしくね? 誰も黒服連れてねーのかよ。誰がメシの支度とかすんの? まさか、全部自分でやってたりすんの!? マジか……地元のがめっちゃ楽だな……帰りてえかも……」

「全部何言ってるかわかんないことなんてあるんだ……すごいな……」

 トパーズはきょろきょろと周囲を見回す。あれこれ言い返したものの、小腹が空いているのは自分も同じだ。現在は大通りにいるため、ドリンクカウンターからレストランまで、店自体は豊富にある。大型チェーン店だが、期間限定のビバレッジの看板を出してあるカフェが目についた。地方店は少なく、首都には店舗数の多い、トパーズからすれば至って普通のカフェだ。

「あ、そういえば……期間限定、まだ飲んでなかったな。とりあえずあれで黙らせるか」

「なああれ何」

「……やっぱりあのカフェない? 地元」

「ない。地元は……ひとん家か、飲み屋ばっか!」

「ふうん。じゃあの新作飲もう。甘いの平気?」

「おう! 甘いの大好き!」



 タオとトパーズがカフェに入った頃、ギベオンは久しぶりに足が床についている状態のアメジスト宅の椅子にゆったりと腰かけ、角砂糖の二つ入った紅茶を嗜んでいた。向き合うアメジストは難しい顔をしている。

「思っているよりも大変なことになるかもしれないのか」

「その通りです。さて、どうします? 大魔女の皆様に共有、大いにアリですよ」

「おまえの軽口はいつも信用ならんがな、今回ばかりはまずいよな。トパーズくんはともかく他の連中には伝えるべきだろうな」

 アメジストがうーんと首を捻るのに合わせてガニメデも首を傾ける。

「まとめましょうか。タオ。身元情報の一切ない青年です。照合できるデータが一つもない、公的には存在していない、言うなれば『透明な存在』。さらに嫌気のさす情報としては、彼は魔力を一切有していないという事実ですね。考えられる可能性は二つ」

「魔法によって奪われたか……元々まったく持っていないか。後者の場合が最も面倒で……最も可能性が高い」

「困りましたね」

「ああ困ったとも。さて、でも、仕方がない。それで? 言うことがあるだろ、大事なご挨拶をしたまえよ。ンン? ほら、さっさとしたまえ」

 アメジストが挑発的に指をくいくい動かすと、ガニメデも羽で真似をする。ギベオンはガニメデにだけ歯を剥いて威嚇すると、まったく打って変わった完璧な笑顔を作ってアメジストの手を取った。

「是非ともこの謎の解決に、あなたの力が必要なのです。大魔女・アメジスト。どうか非力な私にその大いなるすべてを貸し付けてください」

「大仰すぎる。四十点だ」

「なんですって? 手厳しい!」



「大丈夫ですってばあ! ご心配いただけるのは、ありがたいんですけどォ!」

 大量の物資をなんとか突っ返し、他の刑事たちに余波の及ばぬうちにシャノアールはルビーを近場のカフェまで連れ出した。慣れてきたとはいえ、アポもなしにやってくる上に、断っても断っても大量のプレゼントをなんとかして押し込もうとしてくるのは感覚的には同じものだ。

「暴力を受けたのだもの、心配するわ」

「いやホント、大した怪我はないんですって。錠剤タイプが上手く試せて良かったとすら思ってますよ」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。元気なら、まあ、良いのだけれど……そういえばあの男の子、世間知らずなのねえ。サフィよりも世の中のことを知らないひと、初めて見たわ」

「はあ。聖母殿。まあでも、確かに彼、本気でいろいろと知らないみたいですね。ベテランさんたち曰く、もしかしたら家庭環境に難ありかもね、と」

 自分で言った「籠の中の鳥」という表現に、ルビーは納得する。世間の情報をシャットアウトし、親の言いなりになるような子を育てる親は少なからず存在する。早い段階で第三者が気付ければ取り返しのつく段階で世間に戻れるが、そうならずに完全に育てあげられてしまえば、誰も幸せになどなれない結末が待っている。

「しばらくは、鍵の魔女殿にお願いして、監督役になっていただけるそうですし。ルビーさんも、お困りごとあったら、遠慮なく言ってください! 市民を守るのが僕らの務めですから。ふふんっ」

「ああシャノアールくん、なんて素敵な心がけなのかしら。それじゃ早速、お願いされてくれる? この調合薬も試しておいてほしいの」

「ああ……はは……」



 にわかに盛り上がり始めた、夜の近づく繁華街。歩けば歩いただけエメラルドには声がかかり、ビャクダンはなるべく隣から離れようとするのだが、エメラルドにガッチリと腕を組まれてしまっているため難しい。ただ俯いてその上で顔を手で覆い隠すくらいしかできない。連れ込まれた居酒屋でようやく顔を上げることができた。

「顎殴られるってどんな感じなんスか?」

「痛ェわ普通に。乱闘騒ぎ以外じゃ初めてだこんなん」

「まーでもしばらくは大丈夫スよ。鍵さんになつきそうだし」

「犬猫みてえに言うんじゃねえや」

 ジョッキで運ばれてくる二つのビール。ビャクダンはあからさまに嫌な顔をして、ため息までついて、「あのなあ」とエメラルドを詰めた。

「俺ァ時間外労働大歓迎ワーカホリックなんだ。終業後すぐに酒なんざ入れたらいざってときに出動できねえだろうが」

「大丈夫。エメちゃんがいるよ」

「何を基準にした『大丈夫』なんだよそれは。不安でしかねえだろクソ。まあいいか、飲むか、酒に罪はねえからな。酒に飲まれるヤツが悪ィんだから。なあビールちゃん」

 禁酒期間の長かったビャクダンはそろそろ誘惑に抗えそうにない。エメラルドはイッと歯を見せて笑うと、ジョッキを持ち上げた。



 卓にはすでに空のジョッキが三つは並び、餃子の皿や小籠包用のせいろなども卓を占拠してゆく。次々と、吸い込まれるように食品が口の中へ消えてゆく光景を、タオは呆然と眺めている。

「ラーメンまだかナ? 楽しみ!」

「替え玉は二玉までにするのよ? お夕飯がおうちで待ってるんですから」

「相変わらずよく食べますね……」

 何度かパパの食事風景を見ているトパーズは、それでもまだ新鮮な驚きを得るが、苦笑いで話を試みる。

「二人は食べない? いっぱい食べるといいヨ! ボクお金出すヨ」

「えっと……さっき新作ビバレッジを嗜みまして、小腹が膨れているといいますか……」

「Ah! 桃のやつ! どだった? サブローソおいしい?」

「はい! 甘くって美味しかったですよ」

 すべてに疑問を抱いているらしいタオに、サファイヤは優しく微笑みかける。

「大丈夫? 彼はたくさん食べるってだけで変なひとじゃないわ」

「アンタ誰……?」

「まっ! あたくしをご存知ない!? さすがに驚くわ!」

「す、すみませんサファイヤさん。あの……彼、本当にいろいろと知らなくて、抜けてるといいますか、なんかそもそも最初から入ってないんじゃないかっていうかで」

「テメーッオレを頭スッカラカンみてーに言いやがって!」

「ホントのことでしょ! 私はともかくサファイヤさんは大魔女だよ!?」

「何、大魔女って」

 サファイヤはある程度、相対した相手の人となりを見抜けるが、タオは心から純粋に、大魔女という言葉を知らないようだった。

「……あーた、変な子ね」

「は!? 急になんだよ!」

「どうしてそんなにヘンテコなのか、理由が知りたいわ。只事じゃありませんもの」

 サファイヤはいやに真剣な顔つきで声のトーンを落としてゆく。残っている小籠包を箸で持つ。

「これは? お召しになったことは、あるかしら」

「……ない」

「サファイヤさん……?」

 少し、怖い。トパーズが本能的に感じる、サファイヤの冷たい視線。サファイヤはそのまま小籠包を半分に割ると、タオの口元に寄せてゆく。

「なら是非、お食べなさいな。きっと気に入るわ」

 蠱惑的な空間を、誰も壊すことはできない。タオは誘われるままに口を開け、ゆっくりと開け――。

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