第三章 山の中の陶房
山の陶房へは荒也と二人で行こうと思っていた。君彦は陶器とか、山には興味が無かったが、荒也はそんなところも私によく似て誘えばきっとついてくるだろうと思っていたから。
「もしもし、荒也、遅いけど電話した。もう寝てた?」
寝ぼけ声の荒也には気の毒だったけど、急いで知らせたいことがいっぱいあった。
「あ、萌黄…今横になったとこだよ。なんだよこんな時間に君彦はいないの?」
「うん、仕事から今帰ったとこよ」
「こんな遅く迄お前も仕事か、二人して身体壊すぞ」
「ねえ、荒也良い話。私今日陶芸家の柚木先生って人に会ったの。で、その人が仕事場を見せてくれて、その展示室のディスプレイ頼みたいって言われたの。
自信は無いけどね。まあやってみてもいいかなってちょっと思って。もう一度、今度の休みに行くんだけど……荒也も一緒に行かない。そう思って電話したの」
「陶芸家の柚木?」
「うん、有名らしいよ、良い先生よ。奥さんもとっても綺麗で優しいの」
「何でお前にって?」
「さあ、やれそうな気がしたって」
「どうだかな、お前暇そうな顔してたんだろう」
「ひどい!でも、まあそうなとこか」
「君彦には言ったのか?」
「ううん、いないんだもん。相談出来ないわよ」
「電話すればいいじゃないか」
「いいのよ、相談する程の事じゃないの。私が一緒に行きたいのは荒也だし、
どうして、荒也じゃ駄目なの?私は荒也と行きたいの!君彦は陶器なんかに興味ないもの」
「興味なくたって、やっぱり君彦なんじゃないのか。お前がそういうとこへ一緒に行くのはさ」
「え~荒也はいやなの。私やっぱり荒也と行きたいよ」
「困ったな。またゆっくり聞くよ。今日は遅いから切るぞ。君彦が行くって言ったら一緒に行ってもらえよ」
「荒也……私、荒也がいい」
「ばか、切るぞ」
そう言われてもこればかりは選ぶとすれば荒也だった。君彦じゃない。私は苦しかった。羽根をもがれて飛べない鳥がバタバタとバタついて荒也の心に向かっている。
でも、荒也の手に触れたら、何もかもが崩れ始める。そんな疼きが身体を駆け巡ってそれ以上は押せなかった。
「おす」
「何だ。突然会社に来るなんて。あんまり珍しくてびっくりしたよ」
「話があってな」
「就職のこと、それならいつでも口きくぞ」
「いや、あいにくそっちは間に合ってるよ」
「じゃあ、萌黄のことだな?お前がわざわざ来るなんて」
「……毎日、急がしそうだな」
「お陰様で、これでも管理職だからな」
「ずっと家に帰ってないのか?」
「二週に一度は帰るよ。そんなに会って無い分けじゃないさ」
「じゃあ、何で萌黄はいつも寂しそうにしてるんだよ」
「寂しそう?お前にはそう見えるか。俺じゃあ、埋められないものがあるんだろうな。あいつの思いにつぶされそうになる時があるよ」
「答えてやれよ。お前しか出来ないだろう」
「そうでもないさ」
「どういう意味だよ」
「俺じゃあ埋めてやれない事もある」
「その代わりを俺がやるのか?もう無理だ。これ以上やったら止められなくなる」
「ふん、止めなくていんじゃない。
お前、萌黄に惚れてんだな。荒也、自分に素直になろうぜ。俺は今、何も考えないで仕事に打ち込みたい。萌黄を嫌いになった分けじゃない。でも、俺は今、仕事がしたいんだ」
「萌黄はどうなる」
「なんとかしてやりたい奴がなんとかしてやれ」
「お前……」
「萌黄もお前の事が好きだよ。見ていればわかる。よし、今度三人で会おう。ゆっくり話そう。萌黄には俺から連絡しておくよ」
「今度の休みに萌黄が俺と出かけたいって言ってきた、行っていいのか」
「え、ああ、よろしく頼むよ」
「君彦、無理してないか?」
「ああ、無理なんかしてないよ。後悔するような生き方はしない。見た通りけっこう計算高いからな」
「お前なにか勘違いしてないか。人の気持ちをそんな風に考えるなんてどうかしてるぞ」
「もういいんだ。とにかく萌黄の気持ちはお前が受け止めてやれ」
私達は何かの渦に巻き込まれ始めていた。君彦も、荒也も、私もそれぞれ不安でいらだって自分に素直になるのをひどく恐れていた。
結局、次の休み、私は一人で山へ行った。君彦は相変わらず忙しかったし、もし時間があっても今度ばかりは相談する気も無かった。荒也は一人で行けといったっきり相手にならない。私は逆らわず、
「そうする」
と笑って言った。いつに無く不機嫌な荒也の顔が気にかかると言えば気にかかる。
でも、これは仕事だから、仕事は人に甘えないで自分でやっていこうという気持ちはあったから、荒也の不機嫌もさほど気にはならなかった。
「やあ、よく一人で運転してきましたね。ずいぶん時間がかかったでしょう」
「はい。勇気を振り絞って、私あんまり運転したことないんです。細い所はドキドキでしたけど、どうにかこれたって感じです」
「でも、やってみると案外やれるもんでしょう」
「はい!もう自信つけました」
「これで一安心、いつでもここまでこれますね」
「この車は?」
「友達に借りたんです」
「一緒に来るはずだった人の?」
「ええ、一緒に来たかったんですけど振られちゃいました」
私は大声で笑って気分がすっきりした。
「まあ、ゆっくりして、お茶でもどうぞ」
「はい。失礼します」
先生はゆったりとソファーに座ってギャラリーの説明をしてくれた。
「此処は昔からの家の山でね。ほったらかしになってたのを私が気に入って古い民家を移築したんですよ。この奥に完成品の倉庫があるんです。古いのや新しいのやあれこれ混ざってしまっているが、好きなのを出してきて良く見えるように飾ってください。
こんな山の中でも、わざわざ来て下さるファンの方が大勢あってこの展示室を楽しみにして下さっています。新しく窯出しのあった時には全体それでやってもらって、まあおいおい、おぼえて具合良くしていって下さい」
「はい、宜しくお願い致します」
私は改めて頭を下げて新入社員のように緊張した。
倉庫は薄暗くひんやりしてかび臭い匂いがした。入り口の重々しい扉を開けると厳粛な気持ちになった。無造作に重ねられたおびただしい数の作品から、物静かな柚木先生からは想像できないバイタリテイーというかエネルギッシュな凄みのあるものが伝わってくる。私は一つ一つ手で取って眺めているうちに仕事を忘れて先生の作品に夢中になっていた。
いつのまにか庭のあちこちから集められた涼やかな花々が運ばれて展示室の角にそっと置かれていた。先生の作った花瓶にこんな可憐な花を生けることが出来るのも本当ならあることではないと思うと、改めてこの仕事に出会えた不思議さに感謝した。
「どうです。やれそうですか?」
「何だか楽しんでしまって、ワクワクしてやらせてもらってます。とっても居心地良くてこれが仕事なんてもったいないくらいです」
「はは、そのくらいが丁度いいんですよ。あんまり緊張してコチコチになっていると、お客さんもリラックスできない空間になりかねませんからね。
かといって理屈臭いのも駄目。私はそんなのが好きですね」
「ホッ、それを聞いて安心しました。うんと楽しんでやらせてもらいます」
「来月の始めに窯に火を入れるんです。日曜日にちょうど窯出しの日になるように日程を組んでいいですか?新しい作品を楽しみに来てもらえるといいけど」
控えめな先生の言葉。私はこの仕事に触れて心のどっかにしまい込んでいた大切なものを思い出せそうな気持ちになっていた。月に一度のこの山通いが今の私には大切なものになりそうな予感がした。
ディスプレイももっと勉強したくて帰りの国道で本屋を見つけてあれこれと買い込んで帰ってきた。
相変わらず一人のこの部屋。コーヒーを一人分だけ入れるのにも、この頃はすっかり慣れてしまった。慣れてしまえばそれだけのことなのに、慣れてしまうことが寂しいと、また心が痛んだ。
電話のベルが鳴る。
「もしもし、橘です」
「萌黄、俺」
「君彦!どうかしたの?」
意外な君彦からの電話に声が上ずってしまいそうだった。
「今日はどうだったかなと思って」
「ああ、うん、とても楽しかった。でも、あんなに遠くまで一人で運転したことないでしょ。少しは自信ついたかな」
そう言うと君彦はとても驚いて、
「荒也は、一緒じゃなかったのか?」
「うん、今度は一人で行ってこいって」
「そうか……」
元気な私に驚いたのか君彦は言葉が少なかった。
「君彦ちゃんとご飯食べてる?」
「え?ああ、食べてるよ」
「そう、また美味しいごはん作ってあげるわね。今度いつ帰ってくるの?」
またしばらく無言。
「行ける時にまた電話するよ」
「そう、じゃあね」
「萌黄…」
「ん?」
「何でもない、また連絡するよ」
君彦の歯切れの悪い電話は珍しかった。いつも冗談混じりで人のことはぐらしてばかり、用もないのに電話をしてくることもまずなかった。今日の電話はいったい何だったんだろう。気になりながらも手許にあった本を引き寄せるとそのまま本に見入ってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます