第二章 クラフトデザイナー
私は、自転車に乗ると勢い良くペダルをこいで仕事場に向かった。こう見えても最近売り出し中のクラフト作家。アパートから飛ばして二十分の手作り雑貨を作る小さなアトリエに勤めている。
並木通りに面した坂の途中にあるマンションの二階には、倉庫を兼ねた仕事場があり、製造、製品管理から時には営業にも出かけて、てんてこまいの慌ただしい毎日を送っていた。毎日が失敗の連続、言われたこともちゃんとやれなくて悩んだ日々。自分に自信が持て無くて悲しいことだらけ。私は手作りの雑貨に囲まれながら自分を探していた。
心を込めた小さな雑貨達は、私の中の忘れてしまいそうな幼心や、嬉しい気持ちを輝かせて胸の奥に残っている桑の実の甘酸っぱさに似た懐かしさを呼び醒ましてくれる。
山のように積まれた作りかけのクラフトに囲まれて私の気持ちは落ち着いていく。歳を重ねても世間ずれ出来ない自分の幼稚さを慰めているように。
朝九時、プラタナスの街路樹越しの斜めに差し込む陽射しと共に、昼食もままならぬ一日が始まった。
私は今、新しい商品の試作をしながら、同時にそれを置いてもらう店を探していた。
「さて、出かけてきます」
「遅くなりそう?」
「今日は足を伸ばして方々の店を見てきたいんで、そのまま直帰します」
「OK、じゃあ明日の報告を楽しみにしてるわ。私はこっちやっとくから」
「お願いします」
「でも、営業にしてはあまり小綺麗なかっこじゃないわね」
「あ~生産者の生の声を伝えてきますよ」
「そうね、それならまあいいか」
「いってきま~す」
私はそう言ってアトリエを後にした。
「あんまり趣味性が高いと数作れないし、材料もいいもの使わなくちゃいけないとコストが上がるし、かと言って大量生産すると味気ないし、どっちでいくかよね~。あなたはどうしたい」
「今回は良い物を作りたいと思っています」
「そう、じゃあこっちでいこう。まあ、この線なら売れると思うわ」
「社長!」
「あ、ちょっと待ってて」
「はい、お店の中見せてもらいます」
お店によっては趣味性の高いものより規格品のほうが喜ばれることもあり、どんな商品がいいかは何度も足を運んでみないと見極められない。お店や、お客のニーズと自分の作りたいものがピタッと一致するのはよほどまれなことだ。何度作り直してもうまくいかないことも多い。私の仕事は我が侭らしく中々決まらなかった。それでもこの頃、自分の足で探した店でようやく受け入れてもらえるようになってきたのがせめてもの慰めだった。
この店は趣味性の高いものや作家の作品が多く、来ると仕事のついでに目の保養をしていく。オーナーの安代さんは、私のよきアドバイザーで私の中の知恵袋をゆるめて意外なものを引き出してくれる。
「焼き物に興味あるんですか?」
「はい、この色とっても好きです。なんかあったかくてホッとします」
「焼き物の色は一つ一つそれぞれ違っていてね。同じ色が中々出ないんですよ。気に入った色は貴重です」
「でも、ちょっと高くて手が出ないのが残念です」
そう言うと、初老の髪に白いものが混ざった愛想のいい人がのぞき込んで正札を見た。
「どれどれ、ほー結構してますね。どうです、うちの窯に遊びにきますか。ちょっと割るのが惜しくて取ってあるのがあるんですよ。本当は割ったほうがいいんだけど、少しは助けてやりたくなってね」
老人は愛おしそうに陶器を眺めて私にそう言った。
「じゃあこの作品は?」
「先生。若い子っていうとすぐに声をかけるんだから。萌黄ちゃん油断したらだめよ」
安代さんの声が遠いところから飛んでくる。
「何も取って喰おうと言うんじゃありませんよ。自分の作品をジッと見つめてる人がいたら、つい声をかけたくなるのは人情じゃないですか」
先生の言わずもがなの言い訳に安代さんが大きな声で笑った。
「私、今日はもういいんです。先生の窯見せて貰いに行きます」
「それは嬉しい。そうと決まったら早いほうがいい。ちょっと遠いですからね」
急にそんな話がまとまって、私は先生の運転で山の陶房に向かうことになった。
「気をつけてね。先生、運転しっかりね」
手を振って送ってくれる安代さんが見る見る小さくなった。
柚木先生の陶房は山の中腹にあって、駐車場に整地してある前庭の他はぐるっと雑木林に囲まれ、柔らかな風に竹林が揺れていた。
車は砂利の小さな石を飛ばして止まる。どっしりとした古い民家は最近飛騨高山から移築されたものらしい。何処も磨かれて黒光りし堂々とした風格に包まれていた。
「おじゃまします」
「ただいま。帰ったよ」
柚木先生が玄関で声をかけると、待ってましたとばかりにいそいそと出てきた奥様らしき小柄な婦人が、
「はーい、まあまあお客さんですか。遠いところをようこそ。さあ、こちらでゆっくりしてくださいね」
そう言って迎えてくれた。
「突然おじゃましてすみません」
私が頭をさげると、
「何をおっしゃいます。さあどうぞ」
と、陶器の展示してある吹き抜けのラウンジに通された。少し薄暗い。黒光りする床から立ち上がる空間の力を感じた。
「コーヒーを入れましょうね」
奥様の優しい笑顔に、柚木先生は笑い返し、
「ああ、新しいあのカップを使ってくれないか。あの色を見てもらいたいんだ」
とカップの注文をつけた。
「まあ大事なお客さんなんですね。はいはい、ただいま」
と気さくに奥に入っていった。
「まあ、気楽にして下さい。此処は誰でもゆったり出来る隠れ家なんだから。ああ、ずっと考えていることなんだけれど、なかなか人が見つからなくて、ここの展示室のディスプレイを誰かに頼みたいと前から思っているんですよ。そう言うのに興味はありませんか?」
「ディスプレイですか?」
「あなたならやれそうな気がしたのでね。頼んでみました」
急な話に面くらっている私に落ち着いた声で先生は付け加えた。
「今の仕事に差し支えなければやってみたいです」
「仕事?」
「クラフトデザイナーなんです」
「ああ大丈夫、大丈夫、月に一度程度来てもらって展示室らしくしてもらったらいいですよ。たくさんある作品の中から気に入ったのを選んでもらって、気持ちの良い空間にして欲しいんです」
「楽しそうな仕事ですね。私でもやれますか?やれるならやってみたいです。先生の作品を見れるだけでも勉強になります」
「そうか、それは良かった。今日あそこへ行ったかいがあります」
「さっそく、今度の休みの日に来ます。あ、一人友達を誘って来てもいいですか?」
「ああ、構いませんよ。ぐるっと散歩して帰るといいですよ。良いところがいっぱいありますから。今の若い人はあまり喜ばないかも知れないが、陶器の好きなあなたならきっと気に入りますよ」
先生のこの陶房は確かに私の心を引きつけた。心地良いというのは何かぴったり来る感覚で理屈ではないものだと思った。
私はその日、かなり遅くなって家に帰ってきた。車で二時間足らずの道のりも公共交通を使うと時間待ちなどあって驚くほど遠くなるものだった。
相変わらず忙しく飛び回る君彦の帰ってこないこの家は、しんと静まり返って真っ暗だった。
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