第14話 目を開けてみるもの

彼は布団からもそもそと右手を出して、

ボタンを押せば一時的に止まる目覚ましを、

アラーム自体のスイッチを片手で器用にオフにした。

「うーん…」

彼はまた、布団にもぐりこんだ。

あたたかい布団の中は、とても落ち着いた。


とんとんとん…


足音が近づいてくる。

そして、ガチャリと彼の部屋のドアが開いた。

「もぅ、緑。朝よ、起きなさい」

彼…風間緑は、女性の声で目を覚ました。

「ほら、今日はいい天気。お布団も干したら?」

女性は緑の部屋のカーテンを大きく開けた。

さんさんと日が差し込んでくる。

「母さん」

「なに?」

「なんでもない」

緑はいろいろ話したいことがあったように思ったが、

ぼんやりとしていて、何もまとまらなかった。

ぼんやりしたまま、頭をかしかしとかいた。

母と呼ばれた女性は、そんな緑を微笑んで見ると、

「とりあえず、母さんはうちの子にお日様あてるから。出かけるからご飯は適当に食べてね」

「いつものテニス?」

「いつものテニス」

母は浅く焼けた顔で、白い歯で笑った。


母、風間陽子(かざまようこ)は、

植物の世話とテニスが大好きな、元気はつらつとした女性だ。

気に入った植物があれば、鉢に植えて育て、

日光にも適度に当てるように移動させ、

水をあげて風にも当てる。

小さいながらも温室があり、

庭にも大量の植物。

そして、芝の庭の草むしりもする。

家事もするし、趣味に健康的なテニスもする。

パートなどはしていないが、50も目の前の母は、元気に主婦を謳歌していた。


「緑の部屋にも、何か植物置いたら?」

「水やらないかもしれないから、いい」

緑は、布団から起き上がると、うーんと伸びをした。

「じゃ、うちの子たちにお日様あててくるわね」

「はーい」

緑は気の抜けた声で母を送り出した。

母はパタパタと緑の部屋をあとにした。

母がうちの子というのは、母の植物たちのことだ。

いくつもある。

母は、緑もうちの子というが、植物もうちの子という。

癖なのかもしれない。


太陽がまぶしい。

「布団干すかな」

緑はよいしょと起き上がると、布団をまとめだして…

はたと思い当たった。

いつ、布団しいて寝たっけ?

寝巻きにも着替えてるし…

緑はうんうんと考えた。

なんだか大事なことを忘れている気がする。

なんだか、とてもワクワクして…

昔に戻ったような感覚。

夢でも見ていたのだろうか。

夢と片付けるには、心が拒否した。

何とか思い出したかった。


緑は布団を干すと、

熱いシャワーを浴びて、着替え、適当に食事をして、大学へと行った。

バスに揺られる道々の中、

少しでも植物が目に入ると、何かが引っかかる気がした。

ぼんやりしがちの緑は、考える。

何かを今、忘れてしまっている。

たとえばこの風景の裏側にあるものを忘れているような感覚。

大学の最寄のバス停を降り、キャンパスまで歩く。

時期を過ぎた桜も緑色がまぶしい。

太陽はこんなに明るかっただろうか。

風はこんなに無口だっただろうか。

日常がつまらないわけではない。

何もかもというわけではないが、充実している。

緑は講義を受けると、いつものようにバイトに行き、

いつものように夜になってから帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり。布団干しっぱなしだったから、入れといたわよ」

「ありがとう」

緑はそのまま部屋に戻ろうとする。

「あ、それから、部屋に時計が落ちてたわよ。パソコンの机の上に置いといたから」

「時計?」

緑の中で何かがはじけた。

ばたばたばたっと廊下をかけて、部屋のドアを開けた。

机の上には、懐中時計が。

これは…壊れた時計だ。

緑は壊れた時計を手に取る。

これがないから、忘れてたんだ。


「おい」


聞きなれた声がする。

ネフロスの声だ。


「はい」

緑は…タムは振り返った。

「表側の世界で、あっちこっち行くやつは大変だな」

「今度からは忘れないようにします」

今、緑とタムはだぶついている。

「扉はアイビーがつなげてくれた。行くぞ、裏側の世界へ」

「はい」

いつの間にか身に着けていた、緑色のポケットがいっぱいのジャケットに壊れた時計を入れて、

緑は完全にタムになる。

見慣れたネフロスの後に続いて、

タムは裏側の世界へと扉をくぐった。

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