第60話 まったく、暢気なものだ

 コンコンコン―――。


 夜。もう寝ようと、明かりを消した時間に、アリアの部屋に小さなノックの音が飛び込んできた。こんな時間にいったい誰だ?


「クロ……」


 アリアが起き上がり、小声で我を呼ぶ。その声は震え、怯えの色があった。昼間の話を思い出したのだろう。レイラは学院内での暗殺の可能性は低いと言っていたが、低いだけで無いわけではないのだ。用心する必要がある。我は窓にも目を走らせた。ノックで扉に注意を引いておいて、窓から侵入してくるかもしれない。


 我は魔法を発動する。影を実体化し、操り、攻撃にも防御にも即座に応えられるように影を展開していく。


「魔法を使った。安全は確保した」

「うん」


 アリアの声に幾分張りが戻る。少しは安心したのだろう。


 コンコンコン―――。


 また、扉をノックの音が聞こえる。


「ねー、アリアー。寝ちゃったの……?」


 ルサルカの声か? 思わず、ベッドに座っていたアリアと見つめ合ってしまう。


「ルサルカではないか?」

「そうみたい。ちょっと出てくるわ」

「気を付けてな」

「うん……」


 アリアが恐る恐る慎重に扉へと近づき、声をかける。


「ルサルカ……?」

「アリア! ごめんよ、夜遅くに……」


 扉を開けると、ちっちゃい体を更に縮こまらせたルサルカが居た。どうやらルサルカ一人らしい。襲撃ではなさそうだ。


「はぁ……」


 我はため息をつき、知らず知らずのうちに体に入っていた力を抜く。どうやら我も緊張していたようだ。展開していた魔法も解除する。


「どうしたの? こんな夜中に」

「なんだか一人で居ると怖くなってきちゃって……一緒に寝ても良い?」

「それは、良いけど」


 ルサルカも昼間の話を聞いて、貴族の恨みを買っていることが怖くなったようだ。ルサルカの傍にイノリスが居れば違っただろうが、残念ながらイノリスの体は大きすぎて女子寮に入れない。ルサルカは一人で居ることに耐えられなくなったらしい。


 アリアとルサルカが、ベッドに並んで横になった。一人と一匹では余裕のあったベッドも、二人と一匹では少々手狭だ。我は隅の方に押しやられてしまった。


「ごめんね、クロ。狭いよね」

「べつに構わん」


 ルサルカの震える声に、我は意思は伝わらないと知っていても答えた。我の声で少しでも安心するならば、これくらいの労は厭わない。


 それに、どうせ我はそのうち外に出るからな。


「はぁ、何でこんなことになっちゃったかなー……」


 部屋の暗闇に、ルサルカの沈んだ声が響く。


「後悔してるの?」


 アリアの言葉に、ガサガサと大きく衣擦れ音がした。ルサルカが首を横に振ったのだろう。


「ヒルダ様を助けた事を? してないよ。アリアは?」

「してない」


 我はアリアの山を越えて、アリアとルサルカの間に陣取ることにした。ここは二人の体温が感じられて温い。良い所を見つけた。


「元はと言えば、パンモンデとか言うお貴族様が変態なのが悪いんでしょ? 何であたしたちが狙われなきゃいけないのさ」

「パルデモンよ。誰よパンモンデって。でも、変態に狙われるって、なんか嫌な響きね。ひょっとして私たちの体も……」

「ヒィーッ。止めてよアリア。鳥肌立っちゃったじゃん」

「私も立っちゃった。バカなこと言ってないで、もう寝ましょ」


 もう寝ようと言ったのに、それからも二人の話はしばらく続いたのだった。



 ◇



 ふむ、そろそろ時間か。アリアとルサルカが寝静まった頃、我は二人の間から抜け出し、ベッドを下りる。グッと背を反らして伸びをし、窓へと視線を向ける。窓の外、空には金色に輝く月が出ていた。我は潜影の魔法を使って窓の外に出ようとし、思い止まる。


「一応、保険をかけておくか」


 我は影の物質化の魔法を使い、ベッドを影の壁で覆う。人間は眠る時、とても無防備だ。我が出て行った後、襲撃に遭ったら、ひとたまりもないだろう。特に今は、パルデモン侯爵家から狙われる理由がある。用心しておこう。


「まったく、暢気なものだ」


 我がベッドを壁で覆ったというのに、二人は起きる気配が無い。普通、異変に気付き、起きると思うのだが……人間とは、よほど鈍い生き物らしい。今も穏やかな顔を浮かべて眠りこけている二人にため息を吐き、我は潜影の魔法で影に潜り、窓の隙間から外に出た。


 外に出てからは、影に潜ったまま移動を開始する。学院を東に、正門の方向へ。今日もザルな警備の正門を抜け、学院正門前の広場に到着する。今日、用があるのは広場の中央に植えられている観葉植物群の中だ。木々の葉に月明りが遮られ、まるで木漏れ日のように月明りが漏れる中、何対もの輝く瞳が我を出迎える。もう、かなり集まっているらしい。我は潜影の魔法を解除し、姿を現す。


「「「「「「ッ!?」」」」」」


 驚き、息を呑む音が複数響く。叫んだり、逃げ出すものが居ないのは、流石はそれぞれがシマを治めるボス猫である。胆力があるな。


「皆の者、ご苦労。よく集まってくれた。今日、集まってもらったのは他でもない。この間、我が人間を助ける為に皆を招集した件だ。あの時助けた人間の少女が、我らに礼を言っていたぞ」


 ボス猫達は皆シンとしている。我の話に興味が無くて白けているわけではない。本来、猫の会議とは静かなものだからだ。猫の会議は人間のようにぺちゃくちゃと話さない。無言が主だ。では、猫の会議とは何をしているのかと言うと、仲間の体調を確認したり、絆を確かめ合ったりしている。言葉を介さないコミュニケーションが主なのだ。


 なぜ、猫の会議は話さないかと言うと、鳴き声で自分の居場所を教えない為である。悔しいが、猫は自然界の中では弱い部類だ。他の肉食獣に狙われる立場にある。故に、無言のコミュニケーションが発達した。


 今、我が演説しているのは、猫としては異端の行為だ。やれやれ、我もそれだけ人間に染められたということなのだろう。


「我は助けた少女と交渉し、猫の利益を確保してきた。それが、猫に対する炊き出しだ」


 猫たちの顔に疑問符が浮かんでいる。


「炊き出しとは、食料を配布することだ。それを少女の家で行うことになった。少女の家に行けば飯が貰える」


 猫たちの顔に喜色が浮かぶのが分かった。野良猫にとって、食料の確保はそれだけ大きな課題なのだ。


「しかも、人間は長生きだからな。我らの子や孫どころか、ひ孫やもっとその先の代まで、炊き出しは実施されることになるだろう。貴様らは、子や孫が腹を空かして死ぬ将来を減らしたのだ!」

「おぉー!」

「なんと!?」

「しゃっ!」


 普段は静かな猫たちが、思わず喜びを口にする。


「ただし! 不当に貪ることは認めない。炊き出しを利用できるのは、子猫と、どうしても自分で飯を確保できない者だけに限る」


 我の言葉に、猫たちが一斉にシュンとする。ここに居るのはボス猫たちだ。狩りも上手いだろうから、炊き出しを利用することは、まずないだろうな。


「そうしょげるな。怪我や病気の時、頼れる場所があるのは良いことだろう?」

「なるほど」

「少女の家の場所だが……まだら! 貴様のシマにあるリノアの縄張り、そこが少女の家だ。後で皆に教えておくように」

「へいっ!」


 我の声に、一匹の猫が元気に返事をする。その毛色は白と黒のまだら模様を描いていた。


 まだら。貴族街に広大なシマを持つボス猫だ。強く、賢く、義理猫情に厚い。


「我の方からは以上だ。他に何かあるか?」

「王様と敵対してる人間ですが、殺りませんの? 王様なら余裕でしょうに」

「人間の社会は複雑怪奇でな。アレを殺るのは、どうも悪手らしい。他に何かあるか?」


 他に猫たちから声が上がることはなかった。まぁ、こうして各シマのボス猫たちが一堂に会する会議など前代未聞だ。まだ慣れない部分があるのだろう。


「ふむ。では今日の猫会議はこれで終わるとしよう」

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