第25話 粗相したのはリノアの方だ

 ゴーンと鐘が鳴り、放課後になった。だというのに、なかなか中庭に姿を現さないアリアを迎えに教室に行くと、まだたくさんの人間が残っていた。その中にアリアの姿を見つけ、近づいていく。


「アリア、今日はどうしたんだ? 遅いではないか」


「あ、クロ。ごめんね、ちょっと決めることがあるから遅くなっちゃって」


 決めることは何だろう? 我は座っているアリアの太腿に飛び乗った。相変わらずぷにぷにして座り心地がいいな。


「あれ、クロじゃん。教室に来るなんて珍しいね」

「あら、猫ちゃん。寂しくなっちゃったのでしょうか」


 ルサルカとレイラも我に気が付いたようだ。レイラの白い手が伸びてきて、我の頭を撫でる。うむ。良きに計らえ。


「それで、決めることとは?」

「野外学習のことで色々とね」


 アリアも我の頭を撫でながら説明してくれる。野外学習とは野外、この学院の外、学院がある王都の外に出て、サンベルジュという街に行って戻ってくる学習らしい。学院の外に出るのは初めてだ。未知の領域の更に外、いったいどんな場所なんだろうか……。


「そんな所に行って大丈夫なのか?」

「大丈夫にするために今色々と決めてるのよ」


 誰がシマのボスに挨拶に行くか、とかだろうか? 確かに事前に決めておいた方がいいかもしれない。その時、誰かが近づいてくるのが見えた。ん? この匂いは……。


「ハーシェさん、少しよろしいかしら?」

「はい、ユリアンダルス様。大丈夫です」


 アリアの足が強張ったのを感じた。緊張してる?


「様はいりませんよ。実はハーシェさん達に折り入って頼みがございまして。わたくしを班に入れていただけないかしら?」

「え!? ユリアンダルスさ……さんは、他のクラスのお貴族様と組まれるんじゃ?」

「先生がこのクラスの中で班を組むようにと言っていたでしょう。皆さん貴族が怖いのか、声をかけて下さいません。それでわたくしから声をかけさせて頂きました。没落寸前の木っ端貴族に、皆さんをどうにかする力などないので、怖がらなくても良いですよ」

「はい…」


 アリアが視線でレイラとルサルカに問う。


「よろしいのではありませんか? ユリアンダルスさんも困っていらっしゃいますし……」

「いいんじゃないかな」

「はい……。それじゃあその、よろしくお願いします。ユリアンダルスさ……ん」

「三人ともありがとうございます。よろしくお願いしますね」


 どうやら、この金髪の人間も一緒に行くらしい。金髪の人間の足元に白い影が見えた。


「やはりお前の主か、リノア」

「えぇ。その、よろしくお願いしますね」


 匂いからしてそうではないかと思っていたのだ。この人間からリノアと同じ花の匂いがしたからな。


「知り……合い?」


 アリアが驚いたように目を見開き問いかけてくる。


「あぁ、イノリスとも知り合いだ」

「そんな……っ! いいクロ? 絶対に粗相しちゃダメよ? もう絶対だからね」

「我が粗相をするわけなかろう。粗相したのはリノアの方だ」

「もう……っ! もう、忘れてください」


 リノアが恥ずかしそうにしている。いかん、またからかってしまった。


「まぁまぁハーシェさん。猫同士いいじゃありませんの。そちらがクロムですね、リノアと仲良くしてくれてありがとう」

「ですがユリアンダルス様……」

「様はいりませんよ。同じクラスメートではないですか。これからは同じ班になるわけですし、ヒルダキレアでは長いですから、ヒルダで構いませんよ」

「そんな!? 恐れ多いです……」


 アリアがひどく恐縮している。ということは、このヒルダという人間、そんなに強いのだろうか?


 我はヒルダを上から下まで観察していく。金色の艶のある髪は長く、尻まで届いている。両サイドの髪の一部を編み込んでいて、それを後ろで結っているようだ。顔は……我には人間の顔の良し悪しなど分からんが、整っているとは思う。中でも目を引くのは青い瞳だ。意志の強さを感じる強い瞳だった。次に身体を見る。確かに体格はアリアより大きそうだが、そんなに違いはない。頑張ればアリアでも勝てそうだが……。


 アリアはいったい何にそんなに恐縮しているのだろう? ひょっとして魔術だろうか。ここの人間たちは魔術を使うからな。その腕がアリアよりも優れているのかもしれない。


 我がヒルダを観察している内に、結局、ヒルダのことはヒルダ様呼びで統一したようだ。


「ヒルダで構いませんのに」

「愛称で呼ぶことを許して下さったんですもの、それ以上はさすがに……」


 レイラが首を振っている。レイラもルサルカもヒルダに対して恐縮しているようだ。


「まぁいいですわ。それは後々の課題とします。さて、予算の方は……あら、たくさんありますのね」

「その……あたしの使い魔が大食いだから、それでもギリギリかもです」

「なるほど。そういうことですか。それを織り込んでのこの予算というわけですね」


 その後、四人で話し合いが進んでいく。どうやら水や食料は持って移動するらしい。大変そうだな。


「あの……まだ実験はしてないので、できないかもしれませんが……私の使い魔が、物を収納して運べる魔法が使えるので、一部は運べるかもしれません」


 アリアが恐る恐る小さく手を挙げて言った。 アリアの膝に乗っている我には、アリアが小刻みに震えてることが分かる。アリアは相当ヒルダの存在に緊張しているようだ。


「まぁ、猫ちゃんが? ひょっとして新しい魔法を覚えたのですか?」

「そうなのよ、レイラ。良いタイミングで覚えてくれたわ」


 あぁ、なるほど。我の魔法である潜影で、影の中に物を入れて運ぶつもりか。考えたものだな。


「それならイノリスのご飯もなんとかなるかも! どうやって運ぼうか考えてたんだよねー」

「運べるようでしたら、王都で必要な物を全て買い揃えてもよいかもしれませんわね」


 その後も話し合いは続いていく。水や食料の話はまだなんとか付いて行けたが、話は我の分からないところまで進んでしまった。松明? 雨具? なんだそれは? お金が足りない? お金って何だ?


 意味の分からない話し合いなど、退屈以外の何物でもない。我はアリアの太腿から降りた。


「クロ?」

「イノリスの所に行っている」


 我の視界の端に白い毛玉が見えた。あいつも退屈そうだな。


「リノアも行くか?」

「えっと……その……ヒルダ、わたくしも行っていいかしら?」

「ごめんなさい、リノアには退屈だったわね。遊んでらっしゃい」

「はい!」


 リノアと並んでイノリスの所に行く途中、リノアが深刻そうな顔で我に訊いてきた。


「……お外に出ても大丈夫なのかしら? その……ボスとか……襲ってこないかしら?」

「あいつら挨拶もしないみたいだからな」


 リノアがこくりと大きく頷く。まぁ、人間がわざわざボス猫に挨拶しに来たなんて話は聞かないからな。あいつらも、シマのボス猫に挨拶が必要とは思うまい。


「今回は必要ないだろう。シマを通り抜けるだけだしな。そんな奴に一々ちょっかいをかけるほど、ボスは暇じゃないんだ。それに……」

「それに?」

「我らにはイノリスが居るからな。よほどのバカでもない限り、ケンカ売ってこないだろう」

「それは……そうかもしれません」


 我の言葉に安心したのか、リノアの歩調が軽くなった。

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