シリウスのように輝いて~3~

「よろしくお願いしまーす」


 一週間振りのYouTubeの撮影日、俺はゲストへの挨拶もそこそこになかのひと氏と打ち合わせをしている郁の元へ飛び寄った。今日は薄いブルーのカットソーにホワイトのパンツを合わせている。さらりと流れる艶やかな黒髪と、糸のような細い瞳。


「ブッコローさん。今日もよろしくお願いしますね」


「よろしく」


 郁とは車で送って貰った日以来だ。あの日聞きそびれた「私の話」が喉の奥に刺さった小骨みたいに、いつまでもいつまでも頭の奥に残っていて、調子が悪いったらない。こいつは何て言おうとしていたんだ? ザキみたいに「このインク綺麗だから買おうか悩んでるんですよぅ」みたいな平和な話だったら良いのだけれど。


 俺は二人の会話に割り込むようにしてくちばしを開く。


「郁。終わったら、時間あるか?」


 こうやってあえて人前で誘うのは断り辛くするための手法の一つだ。


「えっと……今日は」


 それでも口籠もる郁に「今後のゆうせかの進め方について相談がある」と畳みかけた。仕事を理由にすれば、真面目なこいつは受けざるを得ない。


 郁は困ったように眉尻を下げた。


「Pじゃなくて、私に、ですか?」


「ああ。Pに伝える前にお前の意見を聞きたいと思って」


「確かに。郁さんは視聴者の意見をちゃんと汲み取ってるからなぁ。良いんじゃないの」


 タイミング良くA氏が助け船を挟んでくれた。


「……分かりました。じゃあ」


「ありがとう」


 俺は軽く礼を言って、その場を後にする。卑怯な手だが仕方が無い。そうでもしないとこいつは俺との時間を確保しないだろう。


 ――私、ブッコローさんのこと……。


 くちばしを開けて、はくはくと浅い呼吸を繰り返す。今日、喉につかえた小骨は取れるだろうか。




 いつも通りの一時間押しで撮影は終了した。今日は遅い時間なこともあり、スタッフたちの片付けのスピードも早い。皆、口には出さないが早く帰りたいのだ。


 俺は片付けの邪魔にならないように後ろのキャビネットの上に乗り、彼女の姿をぼんやりと追っていた。郁は時折、手元のバインダーに何かをメモしながら、誰に話し掛けられてもニコニコと笑顔を返している。きっとあいつのデフォルトは笑った顔で、普通の顔の方がイレギュラーなんだろう。


(そう言えば)


 意地悪な言葉を掛ければ困り顔をするし、緊張で強張った顔もする。初ライブのときなんてめちゃめちゃ血の気の失せた真っ白い顔をしていたけれど。


(怒った顔は見たことねぇかもな)


 こいつは悟りを開いた仏さんみたいに何でも許す慈悲深い人間で、多少のことでは怒らないようにできているんじゃないだろうか。


(ふっ。俺とは真逆を生きてるな)


 純粋培養された箱入り娘。よくもこの歳までまっすぐに育ったもんだ。


(だからこそ目が離せねぇっていうか)


「ブッコローさん」


 ふいに声を掛けられて、意識を現実に引き戻した。目の前にはさっきまで隣に座っていたザキがいた。


「何か、嬉しいことでもあったんですか?」


「嬉しいこと?」


「そうです。くちばしがニヤけてますよぅ。これは良いことがあった証拠です」


 眼鏡の奥の瞳がニヤニヤと弧を描いている。ザキは俺よりも年上だが、俺にも敬語を使い丁寧な応対をしてくる。こいつはこいつできちんと社会人だ(当たり前か)。


 俺は半眼になって、眉間にシワを寄せた。


「いつもこんなくちばしだっつーの」


「うふふ。嘘ばっかり」


 いつもちょっとだけズレた天然なところを見せてくるくせに、存外他人のことはしっかり見ている。俺がごまかすようにコフンと咳払いをすると、ザキはマスクの口元に手を当てて、上半身を近付けてきた。そして俺の耳元で小さく囁く。



『見過ぎですよ。そんなんじゃ本人も気付いちゃうんですからね』



「え?」


 思いも寄らない台詞に、俺はそれこそぬいぐるみみたいに固まった。ザキはいたずらを成功させた子供みたいな顔をして、笑みを深くする。


「郁ちゃん、悩みがあるみたいだから。ちゃんと聞いてあげてくださいよ」


「んなっ?」


「それじゃあ、お疲れ様でした」


 ザキはそう言って深々とお辞儀をすると、エプロンを翻し帰っていった。


「…………」


(そんなに見てたか? ザキにまでバレてるって)


 エプロンの後ろ姿から、片付けの進むスタジオに視線を戻す。するとすぐにあのサラサラな黒髪の頭が見つかった。まるで彼女にスポットライトが当たっているかのように、どこにいてもすぐに見つかるのだ。


(いや、違うな)


 周りが明るくしているんじゃない。彼女自身が輝いて、俺にその存在を認識させているのだ。悟りを開いていてもおかしくない彼女だから、後光が差しているんだって言われても信じられるしな。


(そう。だから)


 郁がどこにいたって、俺はきっとすぐに見つけるだろう。満天の星空の中から白く輝くシリウスを見つけるのと同じくらい、簡単に。


「!」


 何気なく顔を上げた彼女と、視線がぶつかった。けれどすぐに逸らされてしまう。


 ――見過ぎですから。


 ――郁ちゃん、悩みがあるみたいだから。


 ザキの舌っ足らずな声が蘇る。


(くっそ。気になるじゃねぇか)


 俺は頭を掻き毟った。モップが通り過ぎた床の上に、オレンジ色の羽が一枚、ふわりと落ちた。




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