シリウスのように輝いて~2~
「はい。もう大丈夫ですよ」
「ふー」
頭に掛けられたスカーフをはねのけ、段ボール箱からひょこりと顔を出す。俺の周りはスカーフの甘い匂いから、少しだけ硬質な匂いに変わる。軽自動車の後部座席、段ボール箱の隣には彼女の重たそうな鞄が置いてある。仕事で使うパソコンやら書類やらが詰まっているんだろう。
「助手席、行って良いんだろ?」
「勿論ですよ。黒子さんが居る訳じゃないんですから」
スタジオから駐車場までの間、俺は大きな段ボール箱に入れられ運ばれていた。こんな距離飛んでしまえばあっという間なのだが、人間界ではあくまでも
(本当に不便な身体だ)
俺はシートの間を抜け、助手席に滑り込んだ。
「シートベルトはちゃんとしてくださいね」
「別にいらないだろ? 俺は
嫌味っぽく強調してやると「違います」と即座に否定される。
「ブッコローさんはブッコローさんでしょう? そういう言い方は嫌いです」
ぷくと白いほっぺが膨らんだ。
「……分かったよ。郁の車だもんな」
「私が言いたいのはそういうことじゃないんですけど。でもシートベルトしてくれるならそういうことで良いです」
俺はくちばしを使ってシートベルトを締めた。目の前に広がるのはグローブボックスの黒一色で、残念ながら俺の座高(?)では外の景色を見ることはできない。
エンジンが掛かる音がして、車がゆっくりと走り出す。
「お家までの間、何か面白いお話聞かせて下さい」
郁は正面を向いたまま、撮影のときと同じように無茶振りをしてきた。俺はぷはぁと息を吐く。
「あのな。俺は年がら年中面白い話ばっかりしてる訳じゃねぇよ」
「謙遜しないで下さいよ。面白い話ばっかりですから」
「俺は芸人じゃねぇんだよ」
ありがたくない決め付けに頭を持ち上げる。郁はいつも通りの表情のまま、ハンドルを握っていた。細い手首に腕時計のレザーベルトが巻き付いている。
「言っておくがカーステレオでもないからな」
念のために一言付け足すと「うーん。残念」と、本気で残念がっているとは思えない軽い返事を寄越してきた。
「じゃあ、音楽でも聴きます?」
「だったら郁が話せよ。折角なんだし」
「私の話なんてつまんないですよ」
わざわざ俺の家の方まで回ってくれるっていうんだ。ずっと音楽で過ごすのも味気ない。
「誰もお前に小咄なんて求めてねぇから。何でも良いよ。仕事のことでもプライベートのことでも」
自分のことは棚に上げて促した。スタッフと集まったときだって、こいつは大抵聞き役に回っていて、自分の話をすることはほとんどない。
「プライベートなんて、益々面白みがありません」
「だから。面白おかしい人生話なんて、間仁田だけで十分だよ」
「あはははは。本人が居ないからって毒舌ですね」
「郁だって同意したから笑ったんだろう? これが間仁田に対する一般的な感想なんだよ。毒舌でも何でもねぇ」
ケッと舌打ちをすれば、「んもう。それが毒舌なんですよ」と苦笑する。
「でも、そんなところがブッコローさんっぽいですけど」
さらっと続いた言葉に若干の引っかかりを覚え、横顔を見上げた。笑っているのか眩しい夕日を避けているだけなのか判然としないが、オレンジ色に染まる額とマスクの間に柔らかな曲線を描く細い瞳がある。
「それ、褒めてんの? 貶してんの?」
「さあ、どっちでしょうー」
ふふふとマスクを揺らした。ザキみたいな反応しやがる、ったく。
「褒めてるってことにしとくぜ」
「はい。分かりました」
郁の運転する軽は速度を落とし、赤信号で止まる。郁は正面を向いたまま「それなら」と一人言みたいに呟いた。
「私の話をきいてもらおうかな、なんて」
「おう。言えいえ。愚痴でも悩みでも俺様が聞いてやる」
「そう言われると言い辛いじゃないですか」
俺は無言で右羽を上げた。珍しく話す気になったんだ。四の五の言わずに吐いちまえ。伊達に鳥類合コンで悩み相談は受けてねぇんだぜ。
郁は俺を一瞥した後、再び眩しい伊勢佐木町に視線を戻した。そして勢いをつけるみたいに大きく息を吸い込む。
「私……」
「おう」
「ブッコローさんのこと……」
ヴヴヴヴヴ。
郁が言いかけたタイミングで、俺のスマホが震えた。いつも小脇に抱えている本型の奴。
「あ、電話ですか? どうぞ。出て下さい」
「……ん。悪い」
ディスプレイに映ったPの名前を苦々しく思いながら、通話ボタンをタップする。
『お疲れー。今日は撮影が早く終わったって聞いたんだけど』
場違いに大きな声が車内に鳴り響いた。ざわざわと賑やかなBGMとキンキンと高めの声が耳障りな不協和音を奏でている。俺は顔を顰め、スマホを耳から離した。
「今帰ってるところだよ。ってか、お前、もう呑んでるのか? こっちは仕事してたっつーのに」
『あはは。正解。これから呑みにこないか。今さ、この間話してた店にいるんだけど、聞いたらさ、個室開いてるって言うんだ。俺だけじゃ無い、田中もいるし。来いよ』
Pは共通の知人の名前を挙げた。人間界で気を許せる、俺の存在を知る数少ない人間の一人。
「Pさんですね? 近くまで送りますよ」
静かな車内で筒抜けだった会話に、郁が小声で応えた。
「あ……でも」
『今日もしゃべり倒して疲れてんだろー? お前いつも言ってるじゃないか、仕事の後は静かにしたいって。今日は俺と田中がいっぱいしゃべってやるからさ』
Pの空気を読まない発言が、再び大音量で響く。
(馬鹿野郎っ)
ボタン連打でボリュームを絞りつつ、運転席の顔を見上げた。少し眉尻の下がった顔と視線がぶつかったと思ったら、すぐに逸らされてしまう。
「んもう。疲れてるなら言ってくださいよ」
――何か面白いお話聞かせて下さい。
「ちがっ」
「私ったらお仕事の後までしゃべって貰おうとしちゃって」
その上、私の話まで、と続いた声に『待ってるぞ。桜木町駅あたりまで来たら連絡しろよ。迎えに行くぜ』とPの声が被る。
「あー、もう! 分かったよ」
怒鳴るように返事をして通話を切った。もう一度隣を見上げると、郁は正面を向いていた。まっすぐに切り揃えられた黒髪が邪魔をして、表情は良く分からない。額の緩やかなラインにオレンジ色の光が当たって「俺と同じ色してんな」だなんてどうでも良いことを考えてしまい、そんな自分にただただ呆れる。
「桜木町ですね? あまり離れてなくて良かったです」
「そうだな……悪い」
「ふふ。こういうときは悪いじゃなくてラッキーでしょ? ブッコローさん」
「…………」
いつもと変わらない明るい声が、生意気にも俺を諭してきた。
(くっそ。ラッキーな訳無いだろ)
Pのにやけ顔を思い出しながら、俺は大きく舌打ちをした。郁の車は車線を変更し、桜木町へと大きく方向転換する。カチカチと響くウインカーの音がいつもよりも大きく聞こえた。
(こういうの、最悪っつーんだぜ)
桜木町駅に到着するまでの間、小さな車内は沈黙したままだった。そして郁が言いかけた話は、結局聞くことができなかった。
――私、ブッコローさんのこと……。
俺のこと、何だって言うんだよ。
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