第51話 その後の父子は

 そこは薄暗くも明るくもない部屋だった。ただ、暗くはない。

 明るすぎず、暗くもなく、ただただぼんやりとした部屋。

 その部屋の真ん中に置かれた椅子に座らせられているのはシンラク・フォート。

 動けないように、椅子の下には彼を囲うように魔法陣が描かれており淡く光を放っている。

 こつり、と靴音を立ててその前に現れたのはカムイ。

 二人ともこうして並べばどことなく似ていることに気付く人は多いだろう。


「こんにちは、シンラク・フォート。さて、気分は如何ですか」


 カムイの涼やかな声に反してその言葉は冷たく凍てついていた。

 俯いていたシンラクはゆっくりと顔を上げ、カムイを見上げる。

 その顔はいたずらがバレて叱られて不本意な子どもとそう変わらない。


「……■■■■兄さン……」

「……その名は前族長の親族のものです。あなたの兄の。僕はカムイ。現族長ヴァーン率いる四天王の一角を任されている“死神”カムイと申します」

「白々しいですネ。死を偽装しテ、名前を変えテ……それでそれまでの罪が消えたとでも思っているのですカ!」


 ガタンとシンラクの座る椅子が揺れた。

 シンラクは深呼吸をして椅子に座り直す。大人しくしているつもりはあるようだった。


「……小生ハ、貴方と同じようにはなりたくなかったのですヨ」

「僕、と?」


 こくりとシンラクが頷く。

 俯いて小さくなっている様子は先ほどとは違ってかわいそうなほどに震えていた。


「小生は兄さんとは違い魔法力も魔力保有量も平凡だっタ。だから伯父上にも求められなかっタ、役に立たないと捨て置かれタ。それがずっと悔しかっタ」


 ぽつりぽつりとシンラクは語る。

 誰かに必要とされたかった。

 だけど平凡で取り柄のないとされたシンラクは誰にも顧みられなかった。

 前族長アドウェルサ・フォートが討ち取られたあとも、大した脅威にはならないからと新しい族長たちにも捨て置かれた。

 ただただ悔しかった。

 そして神界を出たあとも各地を放浪したところでその悔しさは消えなかった。


「龍族(ノ・ガード)の元に身を寄せてモ、小生はずっと一人だっタ。居場所がなかっタ。だかラ、自分で居場所を作ろうと思ったのでス」


 シンラクは自分の手のひらを見下ろしているようだった。

 その手はカムイよりずっと小さく華奢で、自分のように汚れていないように見えた。

 距離を保ったまま、カムイはシンラクを見下ろす。


「小生は族長を害そうとしましタ。反乱軍を煽リ、多くの人々を苦しめようとしましタ。そしテ……あの族長の愛する子息をも巻き込みましタ。……小生ハ、いつ処刑されますカ?」


 ようやく上げた顔は覚悟に満ちていた。しかしそれでも恐怖は拭えないのか、小刻みに震えている。

 泣き出したいのを意地で我慢しているようにも見えた。

 カムイは肩をすくめてため息を吐く。


「残念ながら……」

「っ」

「貴方への罰は、神界の永久追放だそうです」

「……エ?」


 きょとんと眼を瞬かせる様子はいかにも幼い。

 カムイはなんとなくおかしくなって、くすりと笑った。


「ヴァーンから直々に下った罰ですよ。二度とこの神界の地を踏むことは罷りならない、と」

「ソ、んナ……フ、ふざけているのですカ!?」

「僕もそう思います。でもね、」


 一歩。一歩だけカムイがシンラクへ近付く。

 顔を覗き込むように屈むと、シンラクはびくりと肩を揺らした。


「この僕を、■■■■だった僕を疑いもせずに革命軍に引き入れ、挙句に本当にあの男を倒して族長となってしまったのがあの馬鹿(ヴァーン)なんですよ」

「……」


 唖然とした顔でぽかんと口を開けるシンラクを見て、カムイは再び笑みを零す。


「ああ、一応伝言もあるのでした。『もし恨みつらみが未だあるのであれば、おれは定期的に地上に降りているからそのときにでもかかってこい。今度は他の人に迷惑をかけることなく、サシで正面から来るといい』……だそうです」

「……ふざけているのですカ」

「残念ながら、本気も本気ですよ。なんせ馬鹿(ヴァーン)ですからね」

「……」


 シンラクが深いため息を吐いた。カムイもため息を吐きたい気分だ。

 正直、カムイだってこの罰は軽すぎると思う。事実、既に抗議している。

 だがヴァーンは判決を覆すことはなかった。


『あいつは居場所がほしいって言ったんだ。神界を永久追放するってことは、神界という居場所を失うってことだ。それは居場所がほしいと叫んだ子どもには辛い罰だろう?』


 詭弁だ。

 だってシンラクはずっと神界にいなかった。

 それでもヴァーンはそれでいいと笑うのだ。

 カムイは小さく首を振って立ち上がる。

 シンラクはまだ唖然としたままだ。


「なにか、言っておきたいことはありますか」


 なければこのまますぐにシンラクは追放の儀に服される。

 シンラクもそれをわかっていて、首を横に振った。

 では、とカムイはシンラクに背を向ける。

 特に言っておきたいことも、話したいこともない。

 だってカムイは■■■■ではないのだから。


「もう二度と会うこともないでしょうが、どうぞお元気で」


 その言葉だけを送って、部屋を出る。

 捨てられた子犬のようなシンラクの目が脳裏に焼き付いていた。


***


 長い沈黙があった。

 今、ジェウセニュー・サンダリアンとヴァーンは家から少し離れた木の太い枝に並んで座っている。

 深刻なジェウセニューの表情から、ヴァーンが周囲に人払いと音声遮断の結界を張ってくれている。

 それからずっとヴァーンは黙ったまま、ジェウセニューが話し始めるのを待ってくれている。

 あの騒動から数日が経っている。

 身体はもうすっかりよくなって、魔法だって前以上に使えるようになった。

 ただ、母ルネロームとは気まずい気持ちでいる。

 彼女の方はとくになにも感じていないかもしれない。いつも通りだ。

 ただ、怪我の治療をして、モミュア・サンダリアンのお手製カレーを食べて、ゆっくりと眠った翌日、ジェウセニューはルネロームと真剣に話し合った。

 どうして十二年前、ヴァーンと争うことになったのか。

 どうして三年前、突然帰ってきたのか。

 どうしてヴァーンになにも言わないのか。

 どうして。

 時間をかけてたくさん話しをした。

 そして、全てを知りたいのならヴァーンに聞くといいと言われた。

 ルネロームなりに考えた結果だったのだろう。

 彼女は彼女なりに真剣に答えてくれた。

 だから今夜、ヴァーンに話しを聞こうとこうして時間を作ってもらったのだ。

 だが、いざ聞こうと思うと唇が途端に重たくなった。

 母から聞いたのは、母が普通の雷魔法族(サンダリアン)ではなかったこと。ヴァーンは元々<雷帝>たる母を殺そうと接触してきたこと。普通の雷魔法族ではなかったから、戻ってくることができたこと。そして、ジェウセニューを間違いなく愛していること。

 こちらが恥ずかしくなるくらい直球にルネロームはジェウセニューへの愛情を示してくれた。

 ただそれが直球すぎたせいで今も少し気恥ずかしいのだ。……一応、ジェウセニューも思春期なので。

 夜風を胸いっぱいに吸い込む。冷たさが心地よく、ともすればこのまま眠ってしまえそうな丁度よい涼やかさだ。いや、寝るわけにはいかないが。


「父さん、は……」


 唇が渇く。

 舌で潤して、隣に座るヴァーンには敢えて目を向けずに続けた。


「どうして、母さんを好きになったんだ?」

「そ、れは……」

「……あ、違う。そうじゃない、そうだけどそうじゃなくて……その、父さんは、母さんを殺すつもりだったって聞いたんだ!」

「お、おう……」

「それで、殺すつもりだった母さんを、父さんはどうして好きになったんだろうって……」

「あ、あー……」


 慌てたせいで一瞬、枝から落ちそうになって蒼褪めて姿勢を正す。

 ヴァーンはいつもと変わらず表情のわかりにくい包帯を巻いていて顔が窺えない。それでも気まずいのか、ボリボリと頭を掻いている。


「あー……うん、そうだな、小さい子どもじゃないんだから、話してもいいか……楽しい話じゃないぞ」

「うん」


 そう前置いて、ヴァーンはぽつぽつと話し始めた。

 当時の神界と魔界、神族(ディエイティスト)と魔族(ディフリクト)の状況。魔法族(セブンス・ジェム)の集落にある封印のこと。その封印を巡る魔族との戦い、新たな戦乱を起こさないために手を打つ必要があったこと。そのうちの一手が<雷帝>を殺すことだと、当時は思っていたこと。……今ではその情報が間違っていて、神族であるヴァーンが<雷帝>に手を下す必要は全くなかったこと。

 母の死に意味がなかったと聞いて一瞬にして頭が沸騰する心地がした。だが、ヴァーンの様子を見て蒼褪める。

 愛した相手を殺したというのに、その意味がなかった。その渦中にいたのは目の前のこの男そのものなのだから。

 もし自分がその立場だったらと考えてジェウセニューは頭を振った。

 考えることすらしたくない。

 それほどのことを、母は、父は、経験したのだ。


「…………母さんを好きになって、後悔した?」


 少しだけ沈黙したヴァーンは、ゆるり、首を横に振った。


「いいや。それだけは、後悔したりしない。後悔するもんか」


 その声はとても優しくて、何故かジェウセニューが泣きそうになった。


「なんであのとき、オレも一緒に殺さなかったの」

「んな余裕はなかったさ。ルネロームの強さ、知ってるだろう」

「……余裕あったら、オレも殺してた?」

「……そのもしもは考えたくもないな。おまえはあの方の娘ではないのだから」


 あの方というのはきっと、ルネロームを生み出したという存在のことだろう。

 その人物はジェウセニューにとって祖父母ということになるのだろうか。よくわからない。


「じゃあ、もしまた母さんや、オレを殺さなきゃいけないってなったら、殺す?」

「そのもしもも嫌だな……。ああ、いや、殺すもんか。今度は、今度こそは、守ってみせる。殺さずに済む道を探し出してみせる。だから、そんなに不安そうにするな」

「……ん、」


 少し乱暴に頭を撫でられる。それがくすぐったくて、ジェウセニューは目を閉じた。

 どこか遠くで夜鳥が静かに鳴いている。

 しばらくして、また二人の間に沈黙が落ちる。

 先ほどのような気まずさ、言い出しづらさはない。

 ヴァーンは空を眺めている。

 ジェウセニューも空を見上げた。

 母の目のような、黄色く丸い月が天頂で二人を見下ろしていた。


「オレ、ずっと寂しかったんだ」


 ぽろりと自然に言葉が落ちた。

 ヴァーンは空を見上げたまま、ジェウセニューを見ない。ジェウセニューも、月を眺めたままヴァーンを見なかった。


「母さんがいなくなった理由もわからなかったし、なんでオレ一人で集落から外れたところで暮らしてるんだろうって、誰も教えてくれないからわからなかった。誰にも聞けなかった。集落にも入れないし、でもオレ一人で暮らしていくのは……寂しかった」

「……」

「本当はずっと寂しかったんだ。こうやって言葉にして、ようやくわかった。オレ、一人で寂しかった。ずっと誰かと一緒にいたかった。家族がほしかった」

「……そうか」

「うん。でも三年前のは驚いたな。いきなり死んだと思ってた母さんが帰ってくるし、いないと思ってたのに父さんもいるって聞いて。……うん、今思い返しても意味わかんねーや」

「その節は申し訳なく……」

「でも、同時に嬉しかったんだ。それはちゃんと本心。嬉しくって、でも意味わかんなくて、どうやって自分の中で消化したらいいかわかんなくって。……それがよくなかったんだろうな、<龍皇>サマにも叱られた。もっと父さんたちに甘えろって。ワガママ言えって」

「あの方は、本当に」


 なにを言ったらいいのかわからないのだろう、ヴァーンは頭を抱えている。それを横目で見て、ジェウセニューはケラケラと笑った。


「オレ、神界に行って、龍族の里に行って、よかったよ。……そりゃ、いいことばっかじゃないけどさ。大変だったし」

「ああ、大変だったな。……まだ事後処理終わり切らないし……」

「お疲れさま」


 ふふと笑う。

 ああ、自然体でいいのだ。

 過度に我慢する必要も、壁を作る必要も、全部受け入れて飲み込んで、いらないものは吐き出せばいいのだ。

 それに気が付くのに随分と時間がかかってしまった。

 見上げれば月は変わらずジェウセニューたちを見下ろしている。


「もう、寂しくはないか」


 ヴァーンが心配そうな声色で訊ねてくる。

 ジェウセニューは笑った。

 父がいる。母がいる。幼馴染たちがいて、友人たちもいる。従姉妹だって、たまにしか会えないけど元気にしている。

 これ以上望むことはない。望んだら天罰が落ちるくらいだ。


「ぜーんぜん!」


 もう、ジェウセニューは暴走なんてしない。覚醒なんてしない。

 だって、ジェウセニュー・サンダリアンはただの雷魔法族の少年なのだから。

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