第49話 vsシンラク
走り始めて十分ほど、港が小さく遠くなったところでシンラク・フォートの姿を見つけた。
「見つけたッ!」
くるりと反転してジェウセニュー・サンダリアンたちの姿を見とめたシンラクは口端を上げる。
「ここまでご苦労様でス。こちらも準備が整いましたヨ」
「準備?」
イユ・シャイリーンとメルベッタ・ダーキーが目を細める。
そして言うが早いかそれぞれフォヌメ・ファイニーズとネフネ・ノールドの襟首を掴んで全員がひと塊になるように近付いた。
「――これガ、大精霊の力の一端でス!」
シンラクが腕を振るう。
音もなく、視界が真っ白に染まった。
***
ぱちりとジェウセニューが目を開けると、そこは見覚えのない不安定な空間だった。
いや、あるとすれば三年前、大精霊祭のときに見たような光景だ。
周囲を見渡せば友人たちもジェウセニューと同じようにきょとんと眼を瞬かせていた。
「ここは一体……?」
立っている感覚はあるし、全員同じ地面に足を付けているはずだ。だが視覚的には地面らしきものはない。
見上げても空はなく、下と同じ色が広がっているだけ。
ずっと見ていると酔って気分が悪くなってしまいそうな、何色とも言い難い色をした空間だ。
四方はどこまで続いているのかわからない。
四方だけじゃない。そもそも上にも果てはあるのか。
見ている分にはわかるものではないが、地面があるらしいことだけが救いと言える。
「なんか気持ち悪い……」
「なんてセンスのない場所なんだ。この僕が居るに相応しくないじゃないか」
口々に好き勝手言っていると、靴の踵を響かせてシンラクが現れた。
「ようこソ――小生の異空間ヘ。とはいえまだ不完全ですガ」
大仰に両手を広げるその背にはアーティファクトによる蝶の翅。
シンラクの前には彼を護るように三人の守護精霊(ガーディアン)が立ち塞がっていた。
ジェウセニューたちも姿勢を落としていつでも戦える準備を始める。
「母さんと父さんを返してもらうぞっ!」
「力尽くでも協力してもらいますヨ!」
ジェウセニューとシンラクの声が重なった。
「イユとメルはクロアを、フォヌメとミンティスはノノカ、私はネフネとストラを足止めします! セニュー、黒幕(シンラク)は任せましたよ!」
「応ッ」
「わかった!」
シュザベル・ウィンディガムの声にそれぞれ反応して地を蹴る。
濁った眼で苦しそうにする守護精霊たちは別個に少年たちと相対した。
こちらの思惑など予想通りなのか、シンラクは特に指示も出さずにジェウセニューを見下ろしている。
ジェウセニューもシンラクを見上げた。
「馬鹿ですネ……たった一人、それも覚醒もせずに龍の遺物、龍族(ノ・ガード)の叡智に敵うとでモ?」
「やってみないとわかんないだろ!」
「わからせてあげましょウ」
まずはそのスカした顔を地面に落とす――!
ジェウセニューは地を蹴る。
背後では魔法による轟音が響いた。
気にはなるがこちらを任せてもらったのだ、とシンラクへ集中する。
「アーティファクト・剣の護り」
ジェウセニューの紫電を纏った拳が半透明の剣によって塞がれる。
手の甲が斬れて出血した。
舌打ちして剣を蹴り、その力を利用して宙で一回転。着地して体勢を整え直す。
剣は三本。
くるくるとシンラクを護るように周囲を回転している。
ジェウセニューは手の甲の傷が浅いこと、毒などが仕込まれていないことを確認して手を振る。
母ルネロームが以前、ジェウセニューは拳を握りがちだからグローブの一つでも持っていた方がいいかもしれないと提案してくれたことがあった。
場合によっては蹴りも多用するが、拳にはなにも付けていない。それが気になったらしい。
あのときは戦うと言っても野生の魔獣や獣相手しかしないのだから別にいいと断ってしまったが、こうなるとグローブでも篭手でも脛当てでも用意してもらえばよかったかもしれない。後悔先に立たずだが。
背後から熱風が襲ってくる。フォヌメの奇声が聞こえた気がするが気のせいだろう、きっと。
ジェウセニューは拳を握り直す。
「ほラ、貴方一人ではこの剣の盾すら壊せませン。大人しく小生に従ってくださイ」
「壊せないかどうかは……まだやってみないとわかんねえだろ!」
「諦めの悪い方ですネ。でハ、どうすると言うのでス?」
「一撃で壊せないなら――何度も殴るだけだ!」
「……ハ?」
全身に紫電を纏う。
鎧のように、両の手は特に重点的に。
地を蹴る。
「お……るぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
剣が前に出る。
殴る。
手が切れる。
殴る。
手が切れる。
殴る。
ヒビが入る。
殴る。
割れ目。
殴る。
殴る。
殴る。
ただひたすらに殴る。
ビキビキビキビキッ、
乾いた音を立てて剣に亀裂が走る。
殴る。
血が飛び散るが知ったことではない。
殴る。
涼やかな音と共に剣が粉々に砕けた。
「よし、次ぃ!」
「そんナ……馬鹿ナ……!」
殴る。
仕方がない、だってジェウセニューは馬鹿だ。
殴る。
作戦なんて考えたこともないし、考えたってシュザベルほどなにかを思いつくわけでもない。
殴る。
ジェウセニューにできるのはただ真っ直ぐに突き進むだけ。
殴る。
だからできることを力の限りにやる。
殴る。
ジェウセニューはそれだけだ。
殴る。
二本目の剣が砕けた。
続けて三本目も殴る。
紫電で緩和させているとはいえ、両手はもうボロボロだ。
殴る。
それでもジェウセニューは殴るのをやめない。
殴る。
だってそれしかできないから。
殴る。
それしか思いつかないのだから。
殴る。
「これで……っ、最後だ!」
最後の剣の盾を砕いた勢いでシンラクまで殴る。
あっ、とくぐもった悲鳴を上げてシンラクは地面に落ちた。
カラン、といくつかの装飾品のようなもの、そして鳥籠が四方に飛び散る。
中に赤いふわふわしたものが入っているのを見て、ジェウセニューは鳥籠に飛びつきそれを開けた。少しひしゃげたが無事に開いたのでよしとする。
「あッ」
リィン、という鈴のような音色を上げて赤いふわふわしたものはふっと消えてしまった。
変化があったのはその直後。
ミンティスとフォヌメが足止めしていた炎精霊(ファイラ)の守護精霊ノノカがガクリと膝をついた。
ふらりと立ち上がったときにはもう目が濁っていなかった。
「……ノノ、どうして……」
「ノノカ、正気に戻ったのか!」
兄の守護精霊として交流のあるフォヌメが真っ先に魔法を解いて駆け寄る。
羊のような角を持つ少女はきょとんと眼を瞬かせた。
きょろりと周囲を見渡して眉間にしわを寄せる。状況を理解したようだ。
寒そうにポケットに入れられたままだった両手で近付いてきたフォヌメの肩をがっしりと掴むとギリギリと力を入れる。
痛そうにフォヌメが呻いた。
「クロとストくらいなら、ノノだけでも抑え。レーさまたち迷惑かけた。許さない。フォヌ、さっさとあいつやっつけ」
「わ、わかった」
気迫だけであのフォヌメに言うことを聞かせるとは、とジェウセニューたちを慄かせノノカは二人の守護精霊の前に立ち塞がった。
「クロ、スト。いい加減にしないと怒られ」
無詠唱の四段階目。
二人の守護精霊が炎に包まれる。
逆に大丈夫なのかと問いたくなる威力の炎はすぐに鎮火するとゆらりと二つの影を現した。
痛々しい姿になっているが再起不能ではないらしい。
まだやる気なのか、守護精霊たちの闘志は失われていない。構える。
こちらはノノカに任せて大丈夫そうだと判断したジェウセニューたちは三人の横をすり抜けてシンラクに相対した。
「形勢逆転だな」
「そうだといいですネ?」
対するシンラクは未だ余裕の笑み。
一度は地に落としたとはいえ彼の背には大きな翅。再び中空へと浮かんでいる。
鳥籠以外にもいくつか落としていたがそれを拾う素振りも見せない。
イユが治癒魔術でジェウセニューの手を治し、シュザベルたちは詠唱を始める。メルベッタは槍を、ネフネは鎌を構えた。
手の甲の傷が癒えたのを確認してジェウセニューも拳を握り腰を落とす。
「ありがとな、イユ」
「あんま無理しちゃダメだよ~、セニューくん」
父母を取り戻すため、シンラクを止めるためなら多少の無茶はするつもりだ。けれど無理まではするつもりはない。
こくりと頷いて再びシンラクへ視線を戻す。
見上げたシンラクは変わらず唇に弧を描いている。
差し出すようにして出された左手に嵌る指輪の一つが光を放った。
「――アーティファクト・魔鏡結晶」
言うが早いか、宙に複数の長方形が現れる。それはジェウセニューたちの姿を映していて、鏡なのだと気付く。
なにをするつもりなのかと注視すれば、それはただジェウセニューたちの姿を映し取った。
「……は?」
鏡がぐにゃりと変形し、ジェウセニュー、シュザベル、ミンティス、フォヌメの姿へと変わる。
「うわ、なんか気持ち悪っ」
「な、なんてセンス! しかし左右反転していても僕は美しいな!」
「いつも見ている鏡と同じでしょうに」
くすくすと頭上で笑うシンラクの声が降ってくる。
「自分と戦う気分というのはどういうものなのでしょうネ」
鏡のジェウセニューたちがそれぞれ構えるのを見て、ジェウセニューたちも慌てて構え直す。
先に動いたのは鏡のジェウセニュー。同時に鏡のシュザベルたちも詠唱を始める。
まずいと思ってジェウセニューも拳に雷を溜めて止めようとするが、遅い。
『――荒れ狂え、シフィユ・トロワ!』
『――ボクの美しさをその頭に刻みたまえ、フィラ・ドゥー!』
『――水に全てを還せ、ウォタ・トロワ!』
激しい風の刃に身を裂かれ、炎の奔流に焦がれ、水で空気と動きを奪われる。
悲鳴を上げれば喉が焼かれ溺れた。
ジェウセニューはごぼりと水の中で泡を吐き出す。今、反撃すれば友人たちまで感電させてしまうのでうまく動くことができない。
水中で身動きが取れない中、突然腕を引かれる。
薄っすらと目を開ければジェウセニュー(鏡)がジェウセニューの腕を掴んでにんまりと笑っていた。
「ごぼっ」
『隙だらけだっ』
腕が抜けるかと思うほどの力で引っ張られ、水中から勢いよく投げ出される。そのまま背負い投げで宙を舞った。
なんとか受け身を取ったものの、背中を強か打ち付けて咳き込む。
風の流れを感じて顔を上げると目の前にジェウセニュー(鏡)が迫っていた。
慌てて顔を腕でガードして拳を避ける。
バチバチと紫電が弾けた。
ずぶ濡れの身体が重たい。
視界の端ではシュザベル(鏡)たちが再び詠唱を始めていた。
まずいとは思うもののジェウセニューはジェウセニュー(鏡)の猛攻を防ぐので精いっぱいだ。
上空でそれを眺めるシンラクの笑い声も癪に障る。
「俺とメルとネフネちゃんで詠唱抑えるから、シュザベルくんたちは詠唱入って! セニューくんはセニューくん(鏡)抑えて!」
「りょ、了解!」
「わかったでありますです!」
イユの咄嗟の指示で全員がそれぞれ動き出す。
反転しているとはいえ見知った姿をしているのでメルベッタは戦いづらそうにしているが、それでも鏡たちに詠唱を続けさせる隙を与えない。
ジェウセニューも鏡の隙を見つけて反撃しなければと全身に力を込める。
ばちんと紫電が弾ける。
――ねぇ、ジェウ。自分の癖に気付いてる? 大事よ、自分を客観視すること。
かつて母に言われたことをふと思い出す。
確か、ジェウセニューが攻撃に転じるときにしてしまいがちな動作についてだった。
――まずは拳を強く握り直すところ。
目の前のジェウセニュー(鏡)が拳を握りしめる。
――その次に右に身体を捻る。
拳を引いて身体が右に傾く。
――それから拳に魔力を集める。……ね、時間の無駄でしょう?
ああ、母の言う通りだ。
魔力を溜め始める動作が遅い。
若干、苦い気持ちになりながらジェウセニューは構えを解いて身を低くする。同時に全身に魔力を纏った。
ジェウセニュー(鏡)の拳が振り上げられる。
だが、ジェウセニューの方が半瞬早い。
「遅ぇ!」
『っ!?』
足に力を入れてバネのように飛び上がる。その勢いで顎を捉えた。
バァンと軽い音を立てて雷がジェウセニューたちに落ちる。
背後ではイユとメルベッタが攻防する声、シュザベルたちの詠唱の声が聞こえる。
くるんと身体をしならせて飛ぶようにして起き上がったジェウセニュー(鏡)と対峙する。
緊迫したときが流れる。勝負は一瞬で決まるものだ。
少しの隙も見逃さないとジェウセニューは鏡を睨みつける。
そこに水を差すのは――、
「シュザベルせんせ、拾った!」
「なにをこんなときに……え、杖?」
ネフネの声。
それは先刻、シンラクがジェウセニューに殴り飛ばされたときに落としたものの一つのようだった。
先端に大きな丸い石を飾ったシンプルでオーソドックスな杖だ。
ジェウセニューにはなんの感慨も浮かばないただの杖だが、シュザベルには違ったようだ。
「ね、ネフネ! それで地面に大きく円を描いてください。フォローします!」
「えん?」
「龍族の里のときにやったでしょう。あれの中身を描いていないものです」
「わかったます!」
「またデスとマスが逆!」
ジェウセニューはジェウセニュー(鏡)の蹴りを受け流しながらネフネの背を見送る。
視線だけでシュザベルになにをするのかを問えば、彼はこくりと頷いた。
「龍族の里でやったアレです。全員で行きますよ、準備だけはしておいてください!」
シュザベルは声を張り上げる。全員が応と頷いた。
シンラクはなんのことかわからない様子で首を傾げた。
「今更なにをするというのでス。無駄ですヨ」
「無駄かどうかは……やってみないとわからねぇだろ!」
ジェウセニュー(鏡)の雷撃を同じ紫電で相殺して叫ぶ。
ネフネはシンラクだけでなく鏡たちをぐるりと迂回して円を描いていく。
「うりゃりゃりゃりゃりゃりゃりゃ~っ!」
「……ふム、邪魔はしておいた方がよさそうですネ」
ぱちんとシンラクが指を弾くとネフネの鼻先を稲妻が落ちる。
慌てて避けたネフネの前にメルベッタが躍り出て地を蹴り、シンラクに向かって槍を一閃。
残念ながら軽く避けられてしまったが、その隙にネフネは横をすり抜けて再度走り出した。
「でーきたっ!」
ネフネが叫ぶと同時に曲線の先と終わりが繋がり円となった。
瞬間、眩い光が円線から発せられ、一同は目を細める。
「円から出てください!」
シュザベルが叫ぶ。
ジェウセニューたちは慌てて光る円の中から飛び退いた。
最後に杖を持ったままのネフネが円の外側へ。
はっとなにかに気付いたシンラクは鏡たちを伴って円を出ようとした。だが、
ばちんっ、
見えないなにかに弾かれ出ることはできない。
「えっ」
「まさカ……」
ジェウセニューたちは説明を求めてシュザベルを見やる。
シュザベルは考えが合っていたことに胸を撫で下ろしているようだった。
「あの杖は古アーティファクト・栄光の杖。昔読んだ本によるとあらゆる魔法の力を増幅し、特に魔法陣とは相性がいいとされていました。もしやと思いましたが……合っていてよかった」
「その突然、一か八かで賭けするのやめてくんない?」
「結果良ければすべて良しですよ」
「それが賭けなんだってば」
ミンティスは疲れたように脱力する。
しかしまだ終わったわけではない。イユに肩を叩かれ、ミンティスは姿勢を正す。
「ここで、アレだね」
「ええ、アレです。シンラクが円の結界を破らないうちに、早く!」
全員で顔を見合わせ頷く。
ネフネは円の中に向けて、シンラクに向けて杖を掲げる。ジェウセニューたちは全員でその杖を握った。
全員の魔力が均一に流れてくるのを感じる。
ジェウセニューは一度目を閉じ、そして開いた。
「――光精霊(ライラ)に請う、光蒼き世界を、ライル……」
「――闇精霊(シェイドグロム)に請う、シのゆかり、全てを闇に返せ、シェイグ……」
「――地精霊(ノーリャ)にこう、レンメンと続く大地のように、ノリャ……」
「――風精霊(シルフィーユ)に請う、緑の乙女、麗しき風を使いて、シフィユ……」
「――水精霊(ウォルティーヌ)に請う、母なる水に屈せよ世界、ウォタ……」
「――炎精霊(ファイラ)よ、この僕に相応しき赤となりて、フィラ……」
「――雷精霊(ヴォルク)に請う、黄の稲穂、稲妻、雷帝の力を示せ、ヴォル……」
七人の詠唱が重なる。
杖が熱いほどに光を溜め込む。
シンラクが手をかざし新たなアーティファクトを発動させようとするが、遅い。
「――ユイット!!」
強烈な虹色の奔流が円の中に溢れる。
パリン、と割れる音がして鏡のジェウセニューたちが砕けた。
シンラクの姿も虹色に飲み込まれる。
強烈な一撃はジェウセニューたちの魔力を身体からごっそりと消し去ってしまった。小さなネフネから順にふらりふらりとその場に膝をついていく。
もし反撃があればただでは済まないだろう。だが、その様子もない。
「どウ……しテ……マ、さカ……そんナ……」
虹色のうねりが消失し、倒れたシンラクが姿を現す。
円はもう機能していないようだった。
「どうしテ……新しい世界を作りたいト……新たな神になりたいト、思わないのでス……!」
「……」
ゆらり立ち上がるシンラクにメルベッタを始め何人かが息を飲んだ。
震える足を叱咤してジェウセニューだけが立ち上がる。
「自分の居場所を求めることガ、いけないことですカ……他者に求められることを求めるのハ、いけないことですカ……!」
「オレは……」
「小生はたダ、自分の場所がほしかっただけだというのニ……! ジェウセニューだってあるがままを受け入れてくれる居場所を作りたいト、新たな世界の神になれるというのニ……!」
「オレは!」
ジェウセニューは一歩ずつシンラクに近付き、拳を握る。
もう魔力を雷に変える余力すら残っていない。
「オレにはダチがいる! 母さんと父さんがいる! 大好きな人たちがいる、この世界が居場所だ! 新しい世界なんていらねぇ!」
「でモ……」
「オレは、神になんてならない、なりたくない!」
握った拳を振り上げる。
「オレは、何者にもならない――ただの雷魔法族(サンダリアン)、ジェウセニューだッ!!」
振り下ろした拳はシンラクの頬に当たる。
力の入らない拳はぺちんと小さな音を立てた。
しかし満身創痍なのはジェウセニューたちだけではない。シンラクもだ。
シンラクはその小さな衝撃で起こした半身を再び崩した。
ゴ、と大きな揺れを上げて奇妙な空間が薄れていく。崩れていく。
シンラクの鞄の中から黄色と水色の光が飛び出した。
リィンリィンと鳴くそれは雷精霊と水精霊。彼らは一頻りその場でくるくると回るとふわりと姿を消した。精霊神官たちのところに戻ったのだろう。
それを見たジェウセニューはほっと胸を撫で下ろし、その場に座り込む。
もう立ち上がる気力もない。
空間が薄れて元の見知った空と海が広がる。
……海?
「……げ、」
すぐ真下には海面。遠くに港が見えそうで見えない。
水面に叩き付けられる、と目を瞑ったジェウセニューだったがどういうわけか一向に水しぶきと冷たい水の感触は襲ってこなかった。
そろりと目を開けると何故かジェウセニューは丸いなにかの中に入って浮いていた。
シャボン玉に似たそれは透明で触っても割れることはない。
落ち着いてよくみれば友人たちも同じようなシャボン玉の中で浮いていた。
誰一人状況がわからないようで、きょとんと眼を瞬かせている。
「……シンラク、は?」
「こちらで捕獲しましたよ」
知らない第三者の声にびくりと身体を震わせる。
見上げれば、知らない男が中空に立っていた。
琥珀色の短い髪をした見知らぬ男だ。細い糸目が印象的だが全く記憶にない。風体としてはいつだったか父に見せてもらった本に載っていた東の方の民族衣装に似た服装の優男だ。
どうしてだか、シンラクにどことなく似ている気がした。
「どちらさまでしょう」
シュザベルの緊張した声に男は薄い唇に弧を描く。
軽く一礼してみせると、男は小脇に抱えたシンラクを指す。シンラクはぐったりとしていて意識がないようだった。
「これを回収に来ました、神族(ディエイティスト)の者です。……ジェウセニューの父の部下、と言えばわかりますか」
父さんの、と小さく呟けば、男はジェウセニューの方を向いてこくりと頷いた。
「一応、これは神族の端くれ。いろいろあって行方を追っていましたが、ようやく確保できました。協力、感謝しますよ」
「別に神族サマのためにやったわけじゃないけどねぇ~」
あははとイユが乾いた笑いを漏らす。髪が乱れているが、疲れていてもう直す気力もないようだ。
横に浮かぶメルベッタとミンティスもシャボン玉の中でぺたりと座り込んだままぼんやりとしている。話を聞いているのかどうかもわからない。
男は軽く肩をすくめる。
「終わった……ん、ですね?」
「だからデスとマスが逆……じゃ、ないですね。ええ、終わった、と思います」
「これを確保したので、もうそちらに迷惑はかけませんよ」
男は頑なにシンラクの名を呼ばないつもりのようだった。
「とにかく……あなた方を魔法族の集落まで送りましょうか。港で構いませんね」
勝手に決めた男が指をついと動かすとシャボン玉ごとジェウセニューたちの身体が海面スレスレを移動していく。
自分は動いていないのに移動させられて、なんだか変な気分だ。
そこそこのスピードでシャボン玉が動いていたのであっという間に港が見えてきた。
「……母さんと父さんは?」
「あっ」
「……それもこちらで確保していますよ」
男の言葉でジェウセニューは胸を撫で下ろす。
いや、忘れていたわけではないのだ。忘れていたわけでは。
ただちょっと慌ただしくて失念していただけで。
そうやってジェウセニューは自分に言い訳しながら、ふと龍族の里で<龍皇>に言われたことを思い出していた。
――全て小僧たちにぶつけてみるといい。おぬしの家族のことじゃ。だんまりを決め込むことはあるまい。
父さん、母さん、たくさん話したいことがあるんだ。
ジェウセニューは胸を高鳴らせて大きく深呼吸をした。
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