第46話 さよなら、龍族の里
「なるほど。魔法陣を描くことで七人分の魔力を均等にして、全員が同じだけの力を出せるようにしたのか。それで詠唱を重ねたとはいえ、全員がキャトルを……」
感心するようにスハイルアルムリフは地面に描かれた魔法陣を眺めていた。
正直、ジェウセニュー・サンダリアンにはその辺りの理屈はよくわかっていない。何度かシュザベル・ウィンディガムが説明してくれたが果たして他の五人の内、何人がしっかりと理解しているのだろうか。
とりあえず訳知り顔で頷いておく。
「しかし、この方法ではお互いの属性を打ち消し合ってしまうはず……まさか無属性魔法を発動させるとは……」
「無属性魔法?」
ぱちり、とスハイルアルムリフは目を瞬かせる。
「……知らずに発動させたのか、あれを」
きょとんとしたのは魔法族(セブンス・ジェム)の七人とアルゴストロフォス。スハイルアルムリフはマースティルダスカロスと顔を見合わせ目を丸くした。
「ムゾクセーってなんだすか?」
ネフネ・ノールドがこてんと首を傾げる。
隣に立つシュザベルを見上げているが、残念ながらそのシュザベルもそれを知らなかった。
聞いたこともない。
属性とは七つではないのだろうか?
頭が痛そうに額を押さえたスハイルアルムリフが小さくため息を吐き、口を開く。
「……無属性魔法とは、七つの属性が過不足なく合わさったときにのみ発動する特殊な魔法のことだ。異なる属性を合わせるのは難しく、そう簡単にできるものではない。故に無属性魔法というものは希少で、発動が珍しいのだ」
「異なる属性を合わせる……?」
そう、とスハイルアルムリフは頷く。
「通常、異なる属性を同時に発動させたところで互いを打ち消し合ってしまう。だが、どういうわけだか時折こうして複数の異なる属性の魔法を発動させることができる。……我ら龍族(ノ・ガード)でもあまり見ることのない魔法だ」
「アタシも生まれて初めて見た~」
「アルもなのだぞ」
「私も見るのはこれで四度目ほどだ」
龍族たちが口々に言う。
頷くスハイルアルムリフには悪いが希少性がよくわからなくなった。そもそも彼はどれほど生きているのだろうか。その龍生の中で四度は少ないと考えていいのだろうか。
少なくとも数百年は生きているのだろうし、それを思えば四度は少ないといえるか。
ただどれほどの希少性なのかはわかりにくかった。
「そういえば以前、ミンティスとフォヌメの魔法がリンクしたことがありましたね。その上位互換と言ったところでしょうか」
「リンク?」
「異なる属性の魔法を同時に発動させ、威力を上げることです。私が仮に名付けました」
シュザベルが言うには、ここまでの道中で魔獣と戦った折にミンティス・ウォルタとフォヌメ・ファイニーズの魔法が互いを打ち消し合うことなく発動したことがあったという。
シュザベルは持っていた分厚い本のページをめくってジェウセニューたちに見せた。
「ここに記述があります。この本の中では机上の空論扱いになっていますが、あのときのミンティスとフォヌメはやってのけました。そしてさっき、私たちも」
あの虹色を思い出してシュザベルはほうと息を吐く。
シュザベルの本には『同時に発動するだけではなく、共に信頼し合い、心を通わせる』必要があると書かれていた。
さっきの自分たちは目的を一つにすることでうまく発動できたということだろうか。
「……確かおまえたちは大精霊祭の意義を知っていたな」
ふと思い出したようにスハイルアルムリフがジェウセニューたちを見た。
なにを言い出すのだろうと首肯だけすると、彼は続ける。
「あの大掛かりな封印は大精霊による無属性魔法によって施されたものだ。一説には別の空間を作り出し、そこに封じていた、とも」
「大精霊?」
「……おまえたちが精霊と呼び、神官たちに守らせているものだ」
「えっ、あれって大精霊だったの!?」
「……」
大精霊とは精霊をまとめると言われるとても偉くて強い精霊とされる。とはいえ精霊自体が珍しく、自然を崇拝するような種族にとっては恐れ多い存在なのだが。
自分たちは自分のことすらあまりよく知らないのだなとジェウセニューはぼんやりと考えていた。
大精霊祭の意義だって、三年前に神族(ディエイティスト)の長であるヴァーンによって魔法族全体に知らされた事実だった。
それはとある強大で恐ろしい存在を封印しているということ。
そして魔法族とはその封印を守るための守護者だったということ。
ジェウセニューたちはなにも知らなかった。
いつも大きな存在に守られてぬくぬくと、それなりに平和に生きてきた。
それが悪いことではないのだが、自分のことをよく知らないというのは尻の座りの悪いものだ。かといって封印だの大精霊だのと自分たちで知るには大きすぎる情報だ。……なんか、こう、情報量的な意味でも。
そんなことを考えていたら、不意にジェウセニューたちを大きな影が覆った。
「おお、皆ここにおったのか」
飄々とした声に顔を上げればスハイルアルムリフよりも大きな白く光るひと際美しい龍が降りてくるところだった。
わぁ、と誰かが小さく声を上げている。
巨大な白銀の龍はゆっくりとジェウセニューたちの前に降り立つ。ぶわりと風の余波が彼らの身体を撫でた。
龍は形のいい翼を折りたたみ、のんびりとした動作で伸びをした。
「うむ、全員揃っておるな」
その声には聞き覚えがある。――<龍皇>だ。
「……<龍皇>……サマ……?」
「うん? おお、この姿を見せるのは初めてじゃったか。どれ、少し話しにくいかの」
白銀の美しき龍――<龍皇>は光り輝く龍体となると、それが収束して小さな影を作る。
光が収まるとそこにいたのは以前出会った小柄な老人だった。
見覚えのある姿に思わずジェウセニューはほっと息を吐く。
老人は長い髭を扱きながらスハイルアルムリフとジェウセニューの姿を見上げた。
「うむ、スハイルアルムリフの試練を乗り越えたか。ようやったのう」
「えっと、オカゲサマでちゃんと魔法を使えるようになりました!」
礼をするとスハイルアルムリフは気恥ずかしそうにそっぽを向き、<龍皇>は楽しそうに呵々と笑った。
「うむうむ、ちゃーんと礼ができてえらいのう。フェリシテパルマンティエの友人が持ってきたという外の飴ちゃんをあげような」
ほうれ、と<龍皇>はどこぞからぽこぽこと個包装された可愛らしい丸い飴玉を魔法族たちに手渡していく。シュザベルやイユ・シャイリーンなどは恐縮して変な角度でお辞儀をしている始末だ。
いちご味、りんご味、オレンジ味ときて何故かケール味が混じっていた。誰が喜ぶんだこの味は。……まあ、ニトーレ・サンダリアン辺りにあげたら笑ってはくれるだろうから持ち帰ることにした。
「……それで、なにか御入り用でもあったのでは」
「おお、そうじゃった、そうじゃった」
飴玉を配り満足した様子の<龍皇>は大きく何度か頷くとジェウセニューたち魔法族を見上げた。
「スハイルアルムリフの条件を達成できたということは、もうこの里から出ていくのじゃろう?」
「……はい。母さんと父さんを助けに神界へ行きます!」
そうか、と<龍皇>は毛の長い眉を下げた。
隣にやってきた小さな赤い影がジェウセニューの服の裾を掴んで寂しそうにきゅうと鳴いた。
「そのことなんじゃがな、神界へ行くよりも帰った方がいいと思うのじゃが、どうじゃろうの」
「…………<龍皇>サマまで、危ないからって言うんですか」
いいや、<龍皇>は首を横に振る。
思った反応とは違ってジェウセニューは首を傾げた。
「先ほど神界の者から連絡があってのう。邪眼を持つ混ざりものの子が『ジェウセニューを狙った者が魔法族の集落に』と言い残したそうでな」
「<龍皇>さま、邪眼も混ざりものも今時は差別用語に当たるかと」
「おお、せんしてぃぶでないーぶな問題じゃの。すまぬ、すまぬ」
<龍皇>とスハイルアルムリフはなにやらやり取りをしているが、ジェウセニューたちは目を丸くしてお互いに見やることしかできなかった。
邪眼や混ざりものの子というのが誰のことを指すのかはわからないが、その人物が言い残したという言葉が問題だ。
「オレを……ってことは、もしかして、母さんと父さん、を……」
「か、可能性は高いかと」
シュザベルも頷く。横でミンティスとフォヌメも頷いた。
ならば行く先は決まったも同然だ。
「――行こう、魔法族の集落に!」
イユとメルベッタ・ダーキーも力強く頷く。
ジェウセニューはくるりと<龍皇>たちに向き直り、頭を下げる。
「教えてくれてありがとう! オレたち、集落に戻ります!」
「……そうか」
「うむ、それがよかろう。準備ができたら声をかけるとよい。送ってやろうな」
なにからなにまでお世話になりっぱなしだ。ジェウセニューはぎゅっと唇を引き結んで、もう一度深く頭を下げた。
そうなると準備が必要だ。
少しの間とはいえあちこちにお世話になった場所だ。お礼を言わなければならない人たちも多い。シュザベルたちは持ってきた荷物を抱えるだけでいいかもしれないが、身一つでやってきたはずのジェウセニューは何故か少しばかり荷物が増えていたのでその整理もしなくてはならない。……龍族の者たちは久方ぶりの他族の客人に舞い上がりすぎだと思う。
まずは一つずつ片付けるかとジェウセニューはマースティルダスカロスに頼んで拠点にしていた『島』に送ってもらうことにした。
裾を握ったままのアルゴストロフォスはきゅうんと鳴くだけで離す様子がない。
「? どうした、アル」
「……うん……」
そうしてまたきゅうんと鳴く。
ジェウセニューは首を傾げた。
ただそのまま裾を離さないだけで移動や行動を邪魔するつもりはないらしく、ジェウセニューはアルゴストロフォスをくっつけたまま龍体となったマースティルダスカロスの背に乗る。
シュザベルとイユはスハイルアルムリフに、フォヌメとネフネはフェリシテパルマンティエに礼をするとその場に残った。ミンティスとメルベッタは荷物の整理で途中まで一緒だ。
アルゴストロフォスの様子は心配だが、なにやら故郷に危機が迫っているとなれば構っている暇はない。
マースティルダスカロスはなにか気付いた様子だったがなにも言わずにお礼行脚に付き合ってくれた。
「マースさんも、いろいろありがとう」
「どういたしましてー。楽しかったよ、セニュー。またいつでも遊びにおいで」
「そう簡単に来れる場所じゃないけど。でも、また来たいな」
毎日がちょっとした冒険のようだった。
冒険譚で何度も読んだ架空の龍族の棲み処。知らない風のにおい。見たこともない地形に、一人では行き来できない『島』。変わった植物。
繋がっていて変わらないはずの空すら違って見えた。
あまり長い時間ではないが、短すぎるほどでもない日数をこの龍族の里で過ごした。
きっと、ジェウセニューにとってこの体験は生涯忘れられないものとなるだろう。
次に訪れる機会があれば、そのときは純粋に楽しめる心持ちのときがいい。そこだけは少し苦笑して、ジェウセニューは最後のマースティルダスカロスとのフライトを楽しんだ。
この上空からの景色も見納めかと思うとちょっとだけ寂しさを覚える。
気がかりなのはずっと裾を掴んだままの小さな新しい友達。
マースティルダスカロスが元の『島』に降り立ち、ジェウセニューたちも地面に足をつける。
「なぁ、アル」
「……」
アルゴストロフォスは俯いたままだ。
どうしたものかと膝を折ってアルゴストロフォスに視線を合わせる。キラキラとした蜂蜜色の大きな瞳が潤んでいた。
「……アル」
「……み、しい」
「アル?」
「さみしい、んだぞ……」
すんすんと鼻を鳴らす子龍の鱗を撫でる。ザリザリとしているのに滑らかで、つい触ってしまう不思議な手触りだ。
ぽろぽろと大粒の涙が鱗を伝ってジェウセニューの手に落ちた。
離れたところでフォヌメが「龍族の涙……染色の高級素材……!」と言っているのが聞こえた気がするが無視した。
「セニュくん、まほうがまたつかえるようになって、よかったっておもうんだ。スハイルアルムリフさまにかててよかった、って」
でも、とまた雫が零れる。
「どうじに、かてなければよかったのにっておもっちゃったのだ。……そんなこと、おもいたくないのに」
「……うん」
「アルはまだ、ちゃんとひとのすがたになれない。しょーぶは、セニュくんのかち」
「うん」
「くやしいし、どうしてアルはこうなんだろうって」
「……アルはすごいよ。オレ、きっと一人で頑張ろうとしてたら、途中でわけわかんなくなってただろうし。アルがいてくれて、アルが一緒に頑張ってくれたから、オレ、ちゃんとまた魔法が使えるようになったんだって思ってる」
ぽたり、とまたジェウセニューの手を雫が濡らした。
それを拭ってやりながら、小さな友達の目を覗き込む。
くりくりと丸くて愛らしくて、そしてジェウセニューの目の色と似た金色が少年を映す。
「アル、もっと頑張って、自由自在に人の姿になれるようになるんだろ」
「……できるかな」
「できるさ。だってアルはオレの好きな赤色なんだから!」
「なんなんだぞ、それ」
ふは、と小さく吹き出す。ようやく笑ってくれたアルゴストロフォスの頭を撫でて、ジェウセニューは立ち上がる。
もう一度アルゴストロフォスと目を合わせ、「じゃあさ」と笑った。
「約束しようぜ」
「やくそく?」
「そう。今度オレがこの里に遊びに来るまでに、アルは転化の術をマスターすること!」
「……また、あそびにきてくれるの?」
「ああ! 今度はちゃんと、遊びに来る。別にアルがこっちの集落に遊びに来てくれてもいいけどな」
「ひとのすがたになれるようになったら、あそびにいけるのだぞ!」
「おう、じゃあちょうどいいや」
アルゴストロフォスがくるくると嬉しそうに喉を鳴らす。
「うまく人の姿になれるようになったら、里の外に飯食いに行こうぜ。今でも少しは人の姿になれるようになったけど、まだまだ時間が短いし、それじゃ食べてる間に龍体に戻っちゃうし」
ぱっとアルゴストロフォスの顔が華やぐ。
「そとのごはん……!」
「おう。なんならうちに遊びに来たっていい。そしたら……うちでご飯食べてもいいし」
「いく! セニュくんのおうち、いきたいのだぞ!」
離れたところから「その場合、ご飯作るのってルネロームさんかモミュアちゃんだよね」というミンティスの声が聞こえた気がしたが無視した。
じゃあ約束、とジェウセニューはアルゴストロフォスの目の前に拳を突き出す。
アルゴストロフォスも握った前足をジェウセニューの拳にこつんと合わせた。
「やくそく、なのだぞ」
「ああ、約束。だからもう泣くなよ」
「ないてないんだぞ」
ジェウセニューは小さく吹き出して、アルゴストロフォスと並んで友人たちの方へ合流する。
アルゴストロフォスは途中で歩みを止めた。その隣にマースティルダスカロスが寄り添う。
「ばいばい、またね、セニュくん!」
大きく手を振るアルゴストロフォスに手を振り返して、ジェウセニューは<龍皇>たちに向き直った。
視線だけで頷き、龍体となったスハイルアルムリフの背に乗る。
遠ざかっていく『島』ではいつまでも、いつまでも、赤い子龍が大きく手を振っていた。
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