第44話 仲直り
二日置いて頭が冷えただろうと大人の龍族に判断されたジェウセニュー・サンダリアンとシュザベル・ウィンディガムは少しの距離を置いて向かい合っていた。
どうにも顔を合わせづらくて、二人ともぶっすりとした不満顔だが。
「ほらほら、早く言いたいこと言わないと日が暮れちゃうよ」
「もう何分そのままなんだい。男の子なんだからシャキッとしなよ!」
楽しげなのはミンティス・ウォルタとマースティルダスカロス。
「が、がんばるのだぞ、セニュくん……!」
「せ、セニューくん、シュザベルくん……」
心配そうなのはアルゴストロフォスとメルベッタ・ダーキー。
「……」
「……」
なにかを考えているのか少し上の空なのはイユ・シャイリーン。
一同を見渡して腕を組んだまま後方で沈黙を守るのはスハイルアルムリフだ。
見つめられる先であるジェウセニューとシュザベルはお互いを見やったまま動かない。
「……シュザ、」
「……セニュー、」
声が重なる。
が、あとが続かない。
再び二人の間に沈黙が落ちる……、
「いやはよ謝らんかーいっ」
ごつっっっ、
マースティルダスカロスの両手が少年二人の後頭部を掴んで打ち合わせた。
とんでもなく硬い音がした。
ミンティスですら「うわ……」と呟いたきり声をなくしている有様だ。
「もーう、言いたいこともやりたいことも決まってるんだから、さっさと謝っちゃいなさい!」
そう言ってぷりぷりと怒るマースティルダスカロスの足元にジェウセニューとシュザベルが無言で崩れ落ちる。
「マースティルダスカロス、きさまの馬鹿力では頭が砕けるぞ」
「やーだなぁ、始星卿。ちゃんと手加減してるに決まってるじゃないか」
手加減してあれかぁ、とはミンティスの呟きだ。
ジェウセニューは小刻みに震えては呻いているので一応生きていることがわかるが、シュザベルの方はぴくりとも動かない。
残念ながらマースティルダスカロスの手加減にジェウセニューの石頭は計算外だった。
ふらふらとジェウセニューが起き上がり、小さく頭を振る。
「マースさん……ひでぇ……」
「思ったより勢いついちゃったかな……ごめんごめーん」
あっはっはと笑うマースティルダスカロスは特に悪びれない。シュザベルはまだ地面に沈んだままだ。
なんとか起き上がったジェウセニューは「うわ、シュザ死んでる……」と呟いて地面に座り込んだ。
はぁー、と深いため息を吐いて、ジェウセニューは両手で顔を覆う。勢い込んで来たもののいざシュザベルを前にすると言葉が出なかった。
ここまでの言い合い喧嘩は初めてだし、なにより相手がシュザベルだ。
フォヌメとはよくくだらない言い合いはするが、あまり彼とはそんなことにもなったことがない。だから、なにをどう言えばいいのかわからなかった。
ちなみにフォヌメとは喧嘩になってもお互い阿呆(ミンティス談)なのでわざわざ仲直りの言葉など口にしたことがない。気付いたら二人ともいつも通りで、そもそも深刻になるような喧嘩になっていないからだ。
ぼんやりとジェウセニューが考えていると、うう、と目の前の物体(シュザベル)がようやく呻き声を上げた。
「……シュザ、生きてる? 死んでたら返事してくれ」
「……死んでません……勝手に殺さないでください……」
ゆうらりとシュザベルの頭が持ち上がる。いつもそれなりに整えられている髪が乱れているのでまるで幽霊のようだ。
何人かの口から「ヒッ」という声にならない悲鳴が聞こえた。もしかしたらジェウセニューも声を漏らしていたかもしれない。
返事をしたのだから死んでるんだな! という意味のない返しを返すこともできずに心臓の辺りを押さえて幽鬼と成り果てた友人を凝視する。普通に怖い。
よく見るとジェウセニューとぶつけた額が小さく切れて出血している。より怖さを演出してくるのはやめてほしい。
それに気付いたメルベッタがそっとハンカチを差し出しているのが唯一の良心だと気付き、自分を含めてまともな奴はいないんだなと再確認してしまったジェウセニューだった。いやでも本当怖いから無理だよこれは。
怨霊は「ああ、すみません……血が……弁償を……」なんて言いながら額に当てられたハンカチを押さえる。メルベッタは平然と「清潔にはしてるけど……、新しいのイユくんが買ってくれたから大丈夫……」と答えていた。
「まったく……どんな石頭をしてるんです?」
「おい、オレのせいかよ」
「貴方が無傷で、私は出血沙汰。これ以外に貴方のせいである証拠がありますか?」
口を尖らせるシュザベルに、ジェウセニューはきりと奥歯を噛んだ。
なんだその態度は! こっちは心配しているのに!
鎮火したはずのなにかが頭の中でまた火が付いたようだった。
「な、んだよ……それ! ぶつかったのはオレのせいじゃないだろ!」
「そもそもそれも貴方が馬鹿なことを言うからでしょう? バカなんだからあまり考えすぎて馬鹿なことしないでください。おかげで私たちはここまで来ることになったんですから」
ちょ、ちょっと……、とミンティスが顔色を変えて止めに入ろうとするが、向き合ったまま睨みあうシュザベルに手で小さく制される。
カッとなったジェウセニューはそのままシュザベルに噛み付きそうだ。
「来てくれなんて言ってないだろ!」
いつかのようにジェウセニューが叫ぶ。
ムッとした不満そうな顔でシュザベルも返して叫んだ。
「じゃあ心配させないでくださいよ!」
え、とジェウセニューがひるむ。
「しん、ぱい、したの、かよ……」
「あったりまえでしょうが! 本当にバカですね! どこの世界に友人が行方不明と聞いて心配しない友がいるっていうんですか!」
「……そ、れは……ごめん……」
はぁー、とシュザベルが大きくため息を吐く。
ジェウセニューは気まずくて無意味に頭を掻いた。
「心配、しました。空想の産物とさえ言われるような神界にまで行って、こんな……どこにあるのかもわからないような伝説の龍族の里にまで来る程度には」
「……うん」
「元気で、無事でよかった」
「……ん。ありがと……」
「……バカに馬鹿と言いすぎました。申し訳ありませんでした」
「……いや、それ謝ってるつもりか? 誰がバカだ、こら」
二人で顔を見合わせる。
どちらともなく、ふっと吹き出して笑った。
座り込んだまま腹を抱えて笑う。
あんまりにも自分たちがバカバカしくて。
一頻り笑ってから、ジェウセニューは目尻に溢れた涙を拭う。
「はぁー……バカだな、オレたち」
「バカは貴方とフォヌメだけで十分ですよ」
「うるっせぇ、バカって言う方がバカなんですー」
「はいはい、バカバカ」
「……悪かった」
「……私も、言いすぎてすみませんでした」
また目を見合わせて、少し笑う。
なにをあんなに恐れていたのだろう!
ジェウセニューはなんとなく、シュザベルもどうしていいかわからなかったのだと思った。
視界の端でミンティスが胸に手を当てて大きく息を吐いている。彼にも心配をかけてしまった。
「その……ミンティスも、ごめんな」
「ご心配おかけしました」
「いいよ、貸しイチってことで。あ、セニューは二ね」
「なんでだよ!」
ミンティスの横でメルベッタも胸を撫で下ろしていたのが見えた。
さて、とシュザベルがちらとイユを見る。
「次は、イユさんたちの番ですね」
ぴくりとイユの肩が揺れる。ジェウセニューたちは首を傾げた。
イユも誰かと喧嘩していただろうか?
「あー……その……」
歯切れの悪いイユをメルベッタが心配そうに見やる。
イユはそれを見て観念したかのように大きく息を吐き、自分の両頬をぱちんと叩いた。
「メルベッタちゃん、話が、あるんだ」
今度はメルベッタがびくりと肩を揺らす。目をぱちくりと瞬かせてイユを見た。
……が、ジェウセニューたちが注目しているのを見返して、イユは居心地悪そうに頭を掻いた。
「……ちょっと、場所移そっか」
「……う、うん……?」
イユはさっとメルベッタの手を取ると足早に森の方へ去っていった。メルベッタは少し顔を強張らせ、わけがわからなそうにしていたが大丈夫だろうか。
シュザベルを見ると、小さくため息を吐き「大丈夫、でしょう。多分」と心もとないことを呟いていたが、本当に大丈夫だろうか。
「なに? イユとメルも喧嘩でもしてたっけ?」
「そんな素振り見かけなかったけど……」
ジェウセニューはミンティスと顔を見合わせる。
龍族たちもこてんと首を傾げていた。……いや、ただ一人、スハイルアルムリフだけは肩をすくめているが。
「その、勝手にあれこれと言うわけにはいかないのですが、ちょっとイユさんとメルさんのすれ違いについてお話しした方がいい、ということになったんですよ」
「すれ違い?」
「えーと……メルさんの魔法について、とか……」
シュザベルはどこまで言ってもいいものかと考えながら、言いづらそうに言葉を選ぶ。
しかしジェウセニューたちもメルベッタからそれなりに話を聞いているので、幸いすぐに理解できた。
ああ、と二人で頷いて「小さい頃の」と続けた。
「お二人も聞いていましたか」
「メル側の話だけどね。そっか、なんか幼馴染にしてはぎこちないと思ってたんだよね」
過去が過去だからだと思っていたが、なにやらすれ違うようなこともあったのかと納得する。
「それじゃあ、ボクらが口出しする問題じゃないね。ま、腹割って話せば落ち着いて帰ってくるかな」
ミンティスがほっとしたように言う。ジェウセニューも落ち着いて二人のそばに腰を下ろし直した。
シュザベルとミンティスも輪を作るように座り込む。
難しい話が終わったと見て、アルゴストロフォスものそりとジェウセニューの背中にもたれ掛かるようにしてやってきた。
「アル~、重い~」
「アル、まだかるいほうなんだぞ」
「いや首! 首に重さかかって折れそう! せめて角度変えてくれ!」
ひぃひぃ言うジェウセニューの悲鳴を聞いてようやく、アルゴストロフォスはジェウセニューの横に落ち着いた。
「なんキロくらい?」
「まえにソクテーしたときはたしか、もうすぐひゃくきろだったのだぞ!」
えへんと胸を張るアルゴストロフォスには悪いが、龍族の子どもの百キログラムがどの程度の成長度合いなのかがわからない。
ただただ場合によってはただの魔法族(セブンス・ジェム)であるジェウセニューの首が折れかねないということしかわからなかった。
こほん、と、シュザベルがわざと咳払いをして意識を別に向けさせる。
「それで……セニューはこれからどうするつもりなんです? 計画はあるのですか?」
今後のことを聞かれてジェウセニューははっとアルゴストロフォスを撫でる手を止めた。アルゴストロフォスは名残惜しそうに頭をジェウセニューの胡坐をかいた膝の上に乗せる。
「計画……ってほどのことはまだ考えてない。とりあえず、力付けてハイルさんに一発入れるだろ。んで<龍皇>サマにお願いしたらまた神界に行けないかなって」
「ほとんどなにも考えてないんですね、わかりました」
ふむ、とシュザベルは腕を組んで考え込む。
おやとミンティスが首を傾げた。
「そういえばボクらがここに来たときにもなんかやってたけど、なんでハイルさんに攻撃仕掛けてるの? 相手は龍族なんだからセニューがいくら規格外でも勝てるわけなくない?」
ミンティスたちはジェウセニューの不調が嘘のように魔法を操っているのを見ていたが、スハイルアルムリフとの約束については知らないのだと気付き、ジェウセニューは軽く説明する。
それを聞いた二人は納得して頷く。
「それで悪役三下みたいなセリフ吐いてたんだ」
「誰が三下だ」
「それなら正面から向かうのは無謀では? なにか策を弄しないと一生この龍族の里から出られませんよ」
わかってるよと不貞腐れたようにジェウセニュー。
「だからあのときは最初にオレが行くと見せかけて人の姿になったアルに先行してもらって、その隙をついてオレが一撃! って作戦だったの!」
無駄だったけど……、と肩を落とす。その横でアルゴストロフォスもしょんぼりと尻尾を揺らした。
「うう、アルがもうすこしながくひとのすがたになれてたら……」
「いや、アルはよくやってくれてるって。見破られたのはオレが気配殺しきれなかったせい」
「ふむ……セニューが一撃入れたらいい、というだけであって、誰がどう手伝ってもいいんですね?」
「え、ああ。何度かアルにもマースさんにも手伝ってもらってるけど、なにか言われたことないぜ」
それなら、とシュザベルは身を乗り出す。
「私たちも協力したって文句は言われませんよね」
ジェウセニューは驚いて目をぱちぱちと瞬かせた。シュザベルの意図を理解して、ミンティスもにんまりといたずらを思いついた子どものように笑う。
「いっそみんなで仕掛けるのはどうかな?」
「仕掛けるタイミングや順序が重要になってきますね」
「正面から行っても全部無効化されるんだよな……でも奇襲も上手くいかないし……」
「やり方が悪いんじゃない? ほら、狩りのときみたいにちゃんと気配消せてる?」
「狩り……狩りかぁ……」
「とはいえハイルさんもセニューの姿が見えないと不審に思うでしょうし……」
「それなら……」
「いやこうした方が……」
悪巧みを考えるかのように少年たちは頭を突き合わせてああでもないこうでもないと言い合う。
それを近くで聞いていた龍族の大人たちは、
「……これは……私が聞いてはいけないものなのではなかろうか……」
「もー、みんな始星卿ここにいるよー?」
くすくすと、呆れ笑っていた。
残念ながらその声はジェウセニューたちには聞こえていない。
そんなことをしているうちに随分と時間が経っていたのだろう。
イユとメルベッタが森の中から戻ってきたのが見えた。
仲良さそうに手を繋いで戻ってくるその様子は、もうなにも心配いらないようだ。
「あー……こういうの、なんて言うんだっけ……リア充爆発しろ?」
ミンティスが肩をすくめる。
「それ、セニューは言っちゃダメだと思うよ」
「いえ、そういうミンティスもでしょう。……というかこの中でそれを言っていいのはフォヌメだけでは?」
シュザベルが真顔で続ける。遠くで誰かがくしゃみをした気がした。
***
「――っくしゅん、」
フォヌメ・ファイニーズはむずつく鼻に思わず小さくくしゃみを漏らした。横にいたネフネ・ノールドがきょとんと眼を瞬かせる。
「フォヌメさん、風邪ひーた?」
「いや……すこぶる元気だが」
くすくすとフェリシテパルマンティエが笑う。
「では誰かが先生の噂をしているのやもしれぬのう」
「ふふ、人気者はつらい、ということだね! 流石は僕!」
「うん、フォヌメさん元気ちょー元気」
そんな会話をしていたとかしていなかったとか。
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