第42話 イユの話、メルの過去 2
龍族唯一の料理人であるチューシーポーヴァルに作ってもらった干し肉と龍族二人が採ってきた果物をおやつ代わりに齧りながらジェウセニューたちは切り株を囲む。
この場にいるのはジェウセニューの他にマースティルダスカロス、アルゴストロフォス、ミンティス、そしてメルベッタ・ダーキーだ。
フォヌメとネフネはフェリシテパルマンティエについて行った(連れて行った?)し、イユ、そしてシュザベルはスハイルアルムリフと共に去っていった。
――シュザ……、
ミンティスのおかげで多少は頭が冷えた。
でも今すぐ素直に謝って仲直りできるかと言えば――できる気はしない。
だって……恥ずかしい。
(さっきの今で仲直りって……流石にカッコ悪過ぎるだろ……)
大人になって効率を一番に置くようになればいっそすぐにでも走っていくこともできるかもしれない(いや、大人は大人で変なプライドが邪魔をして余計に無理な場合もあるだろうが)。だがジェウセニューは思春期真っ只中。気恥ずかしさにそこまで素直にもなり切れなかった。
(まぁ、ミンティスも少し時間を置けって言ってるし)
スハイルアルムリフが共にいるのだから危険もないだろう。
いくつめかの干し肉を口に放り込む。ところでこの肉、なんの肉なんだろうか。
「ちょっと、セニュー。食べすぎ。ボクまだ一つしか食べてないんだけど」
横でマースティルダスカロスが取ってきた黄色いヤブラカの実を齧っていたミンティスにつつかれた。
もう、と言いつつミンティスも切り株に広げられたおやつに手を伸ばす。
「ところでさ」
ミンティスが赤いヤブラカの実を口に放り込みながらジェウセニューを見る。
きゅっと目を瞑る様子から、思ったよりも酸っぱい実に当たったらしい。ミンティスはどうにかそれを飲み込むと、それで、と再び話を切り出す。
「セニュー、なんかすっきりしたみたいだけど、なにか悩んでるみたいだったのはどうにかなったの?」
「え?」
「なにかはわからないけど、ここしばらく悩んでたでしょ。神界に行く前から……熱を出すようになってからだから、今年の誕生日くらいからかな? 悩んでる割に話そうとしないし、ボクらにも相談してくる様子もないから、どうしたんだろうねってシュザとも話してたんだ。フォヌメは……あの調子だから気付いてるのか気付いてないのかよくわからないけど」
いつ相談に来るかなって待ってたんだけど、とミンティス。
気付かれていた。しかもこの口ぶりでは気を使わせないように隠していたこともバレているようだ。
ジェウセニューは顔に熱が集まるのを感じながら干し肉を噛み千切って誤魔化す。
「いや……まぁ……うん、えっと……」
「お父さんのこととかだったら聞けないのはわかってるけどさ、結構見ててバレバレだから、下手に隠そうとしない方がマシだと思うよ」
「ぐぬぅっ」
ミンティスの指摘は痛い。主に心が。
いや、ジェウセニューとしては別に友人たちが当てにならない、役に立たないから相談しなかったわけではない。
内容が内容だし、そもそも自分がなにをどうしたいのかすらわからなくてどう相談したらいいのかもわからなかったのだ。
しどろもどろにジェウセニューがそう伝えると、ミンティスは笑って、
「そんなことだろうと思ったよ」
と言った。
自分では隠せていると思っていたのだが。
ミンティスは鋭いところがあるとはいえ、他の友人たち(特にフォヌメ!)にすら気付かれているということは、聡いシュザベルはもしかしたらおおよその内容まで見抜いているのかもしれない。ジェウセニューは気まずげに青いヤブラカの実を齧った。
その様子を見てくすくすと笑っていたミンティスは、それで、と続ける。
「相談事はできなくても、悩み事が解決したのかどうかは教えてくれるよね?」
にんまりとミンティスの唇が三日月を描く。
うん、とジェウセニューが頷けば、ミンティスは満足そうに目を細めた。
「それならよかったよ。一人で解決できたの?」
「いや……その、<龍皇>、サマ……に、話を聞いてもらったんだ。愚痴でもなんでもいいから吐き出すと楽になれるからって。その、<龍皇>サマなら、父さんのことについてとか、知ってるらしくて」
そっか、とミンティスが頷く。
その横でメルベッタが黒い目をぱちぱちと瞬かせた。
「……話して、吐き出すと、楽に……?」
ジェウセニューはミンティスと顔を見合わせ、首を傾げる。
「話を、聞いてもらうだけで……悩み事が解決、するの……?」
メルベッタも同じようにジェウセニューとミンティスを交互に見やってから首を傾げた。
多分、ジェウセニューと同じようにそんなことだけで心持ちが変わるのだろうかと半信半疑なのだろう。
するとジェウセニューの横で大人しくクノココ(光っていない)を食べていたアルゴストロフォスが顔を上げて、「アル、しっているぞ」としたり顔でメルベッタを見上げた。
「ナヤミゴトってひとりでかんがえつづけるよりも、だれかにきいてもらったほーがカイケツしやすいんだって。ココロのヨドミ? は、たまにはきだしておかないとからだのなかぐるぐるして、くるしくなってよくないことばっかりかんがえるようになっちゃう。だから、はなしをきいてもらうだけでも、なくだけでもコーカがあるのだぞ!」
「まぁ、全く考えずにすぐに人に解決策を聞くばっかりじゃダメだけどね。なんだっけ……下手の考え休むに似たり、だっけ」
横でマースティルダスカロスがくすくすと笑った。
メルベッタは「心の、淀み……」と繰り返している。なにか思うところがあるようだ。
しばらくなにかを考えていた様子のメルベッタは不意に一人こくりと頷いた。
「話を、聞いてほしい……」
メルベッタが不安そうにぎゅっと胸の前で手を組んだ。引き結んだ唇と瞳は真剣にジェウセニューたちをゆっくりと見渡している。
その真剣な様子に、ジェウセニューは思わず齧っていた木の実を飲み込み、胡坐をかいた膝の上に手を置いて姿勢を正す。横のミンティスも聞く姿勢を取り、龍族たちも静かに背筋を伸ばした。
その少年たちの様子にメルベッタは少々困惑した顔をして、小さく首を振った。
「……あんまり一生懸命聞かれるような話でもないし……その……そう、姿勢を改められると……話しにくい、な……」
「……わかった、普通に聞く」
ふぅと一息吐いて、全員正した姿勢を少しだけ崩す。楽な姿勢で、それでもメルベッタに意識を向けて。
メルベッタは本来それほど人の注目を集めて話すのは得意ではないのだろう。ジェウセニューだって、数人の友人たちと雑多に適当な話をするのはいいが、その友人たち全員に背筋を正して注目されたら話しづらいと思う。
ふう、とメルベッタは息を吐き、一度目を瞑る。ゆっくりと目を開いて、もう一度ジェウセニューたちを見た。
「……自分とイユくんは、イユくんの両親と自分を育ててくれた叔父たちの仲が良かったことから、幼馴染みたいな関係。と言っても、自分はその、この通り、あまり人と喋るのは得意じゃないし……当時のイユくんは……言っていいのかな、これ。あんまり言わないであげてほしいんだけど……引っ込み思案で、自分と同じように人と交流するのが得意じゃないタイプだった……」
あの明るいイユが。
思わずジェウセニューはミンティスと顔を見合わせた。
しかもどちらかと言えば周囲の同じ年代の子どもたちにいじめられていたらしい。
ますますもって想像がつかない。
だがメルベッタが嘘を吐く必要もないし、そんな様子もないから本当にそうだったのだろう。
メルベッタが語るには、幼馴染と言っても親や保護者たちのグループがあり、その子どもたちという関係であって、そう頻繁に会うものでもなければ仲良く遊ぶグループでもなかったようだ。ただ、親や保護者たちの用事に連れていかれてそこで手伝いをさせられたり放牧とばかりに「危ないことはしないのよ」の一言だけで放置されて遊んでいるくらいのものだったらしい。
だから当時のイユとメルベッタはお互いの存在は認知していても挨拶以上のことをするわけでもない関係だったらしい。
「……自分は……自慢じゃないけれど、当時はゆくゆく闇魔法族(ダーキー)で一番の治癒師になれるだろう、と……言われていたくらい、魔法が得意だった……」
ジェウセニューはもう一度目を瞬かせた。
だって、今のメルベッタは魔法が使えないと聞いていたから。
(生まれつきじゃなかったのか。……もしかして、オレと同じ、マリョクカイロフリョーってやつ?)
メルベッタは困ったように眉を下げて小さく自嘲的な笑みを浮かべた。
「小さいころ……何歳だったかな、多分、まだ十にもなってなかったころだと思う。……いつものように自分たちは集まっていた。集まっていたと言っても、自分は一人で本を読んでいたし、他の子たちはイユくんをからかって遊んだりしてた。……本当は、そういうの止めなきゃいけないんだと思う。でも、当時の自分は養父母の迷惑にならないようにしなきゃって必死で……ううん、言い訳。自分は、イユくんが嫌がっているのを横目に……面倒ごとを避けたかったんだ」
その声は心底後悔しているようで。
メルベッタは再び俯いて膝の上の両手を握りしめていた。
「……過去にしたこと、しなかったことは変えられない。あんま手に力入れると傷ができちゃうよ」
横に座ったマースティルダスカロスがそっとその手を取って、手の力を抜かせる。いいこいいこと言いながら頭を撫でるとメルベッタは目に見えて困惑していた。
「自分は……いい子、なんかじゃ……」
「いーや、マースさんから見たらいい子だよ。だってそうやって悔いてる。ちゃんと反省してる。きっと、次に同じものを見たら、今度はそのときできなかったことをしてあげられるでしょ。大人になるって、そういうこと。いい子じゃなかったら後悔も反省もしないもんだよ」
でも後悔しすぎはやめときなね、とマースティルダスカロスはからからと笑った。
メルベッタの手のひらは小さく爪の痕が残っているくらいで傷として残らないもののようだ。ジェウセニューもここにきて何度か両親のことを考えすぎたときなどに似たようなことをしてマースティルダスカロスに叱られている。
メルベッタは一息吐いて、続きを語る。
「……しばらく木陰で一人、読書をしてた。他の子たちは、いつの間にか……近くにはいなかった。イユくんが来て……怪我をした魔獣の子を連れてきて……」
『ねぇ、治癒魔法使えるんでしょ。この子、治してあげてよ』
魔獣を癒して大丈夫だろうか、とは思ったようだ。でも、いつもどこか線を引いているメルベッタが、いつもどこか一歩引いているイユに頼られたという事実に、なんだかメルベッタは嬉しくなってしまった。
それが、間違いだったのかもしれない。
「……………………治癒魔法をかけて、傷が癒えたと思った瞬間……大きくなった魔獣が……」
一瞬の出来事だったらしい。
真っ赤に染まる眼前と、その隙間に見えたのは幼いイユが目を見開いてメルベッタを見下ろす姿。
魔獣は幸か不幸か、咆哮を上げてどこかへ走り去っていったという。
そして――、
「治療されて、目が覚めたら…………自分は、もう、魔法を使えなくなっていた」
治癒魔法だけでなく、全ての魔法が使えなかった。
何度一人で試しても、詠唱する口が、魔法を使おうとする身体が震える。
心配した叔母が闇魔法族中の医療の心得がある者たちを頼っても駄目だった。時折港に商売に来る商人を伝手に、集落外の医師を頼っても駄目だった。
メルベッタの原因不明の魔法力消失は解決しなかった。
そうしている内に、十年以上も時が経っていた。
「……正直、三年前の出来事は自分にとって都合が良すぎたくらい。……それまでは、魔法も使えない魔法族なんて……いや、あからさまに虐められるようなことは、なかった……けど……」
集落に居るのはつらかった。
小さく吐き出されたその言葉に、ジェウセニューまでぎゅっと唇を引き結んだ。
ジェウセニューだって、そう思ったことがなかったわけではない。
だって、あの場所は自分の居場所にするには少し、寂しかった。疎外感が苦しかった。
もし幼馴染のモミュアが、友人たちがいなければ、きっとジェウセニューは人知れずあの家から姿を消していたかも……いや、ジェウセニューにはそれも無理かもしれない。あの家は母との思い出の場所だったから。
マースティルダスカロスがメルベッタの頭を優しく撫でている。
「……三年前、本当は一人で出ていくつもりだった。もう、集落には戻らないつもりで。でも……イユくんがついてくるって……」
『メルベッタちゃんがいないなら、イユクンもここにいても仕方ないし~。どうせなら一緒に行こ? ほら、旅は道連れって言うでしょ☆』
あの日、メルベッタが怪我をしてからイユは変わった。
明るくて、人懐っこくて、いつでもにこにこしている好青年。あのころの、一歩引いたような、引っ込み思案の少年はもういない。
きっと自分が殺してしまった。
メルベッタは小さくそう言うと、ぎゅっと両手を握りしめ――はっとして力を抜いた。
「……三年間、楽しかった……。イユくんと二人なのは気まずいかもしれないと思ったのも、最初だけだった。……いつだって、イユくんは自分のことを優先して考えてくれた、から……」
楽しかったと言った瞬間は浮かんでいた笑みも、徐々に曇っていく。
「……いつも、イユくんは本当にこの旅が、楽しいのかなって……考えると、苦しくなる……」
でも、言ってしまえばこの楽しいと思える時間は、旅は、終わってしまうかもしれない。そう思うとメルベッタはなにも言えなくなっていった。
それを見たイユはまた困ったように眉を下げ、メルベッタを思って笑うのだ。
そしてメルベッタは更に楽しいかとも笑うなとも言えなくなる。
旅は楽しい。集落にいたころよりもずっと。
イユと一緒にいるのは楽しいし落ち着く。
だけど。
メルベッタの唇が震える。
ああ、そうか。ジェウセニューは一人納得する。
メルベッタ“も”考えすぎなのだ。
ジェウセニューは<龍皇>と話して、諭された。『話をしなさい』、と。
それと同じなのだ。
メルベッタは自分の考えを外に出さずに生きてきた。むろん、イユにも。
おそらく幼いときからの習慣なのだろう。養い親と言っていたし、ずっと気を使っていただろう。
そうして溜まっていたぐるぐるとした気持ちを出すことなく、出せる場所なく、ひたすらに自分の中で向き合ってきた。
(オレが言うのもなんだけど……不健康だなぁ)
きっと、イユとだけでも話してみるべきなのだろう。本人にその勇気があるかはわからないが。
あのさ、とジェウセニューはメルベッタに向けて声をかける。
「その……簡単じゃないってのは、わかってるんだけどさ……話してみたらいいんじゃないか?」
「はな……す……?」
うん、と頷けば、メルベッタは少し不安そうにまた眉を下げる。
「イユと、さ。案外、それだけのことで不安なこととか全部解決することだってあるし。……いや、ほんとメルにとってはそれだけじゃないんだろうけど、さ」
話す……、と、メルベッタは小さな声で繰り返す。やはり不安そうで、恐ろしいことを提案してしまった気持ちになる。
でも、とジェウセニューは一人頷いて「簡単なことじゃないけど」と前置いた。
「オレ、母さんと父さんが無事だったら、ちゃんと話してみようと思うんだ」
ジェウセニューが言うと、ミンティスは驚いたように目を丸くして、ふっと笑った。
『話してみる』と決断するのはメルベッタだけではないのだ。
「ああ、それはいいかもね」
「うん。んで、ついでに父さん殴っとく」
「殴るの!?」
全員、何故殴る必要が……と顔に書いてある。が、<龍皇>サマが殴っとけって言ってたと説明すると特に龍族の二人はそれなら仕方ないと頷いていた。
「ただ、あの父さんだからなぁ……真正面から行っても殴れるかどうか……」
「そこ重要なんだ……いや、セニューがいいなら止めないけどさ……。顔だと振りかぶったときにバレやすいし、横からお腹の辺り行ったら? 駄目なら足」
「それだ」
きゃっきゃっと作戦を立てる少年二人に対して、メルベッタは困ったように眉を下げているが二人には見えていない。なんならドン引きしているが。
ふとメルベッタはなにかを考えるようにして、首を傾げる。
釣られて、アルゴストロフォスもこてりと首を傾げた。それを見て、ジェウセニューたちは作戦会議を止めてメルベッタを見る。
「……自分も、やってみよう、かな……」
「え? イユ殴る?」
「そ、そっちじゃなくて……は、話して、みる方……」
そう言って、メルベッタはくすりと笑った。今までで一番、肩の力の抜けた笑顔だった。
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